独逸回覧記 No.1/美濃口坦
ホロコースト訴訟の衝撃 〜「紛争解決の舞台」はこれでいいのか?
◆VW社の人道的援護基金〜「ドイツはよく払った」のか? ◆「ナチ固有の不正行為は戦争とは別」という認識 ◆スイス・バッシング 〜12億5000万ドルの和解はいかにして? ◆米国が提供する「紛争解決の舞台」 ◆「グローバル化した村」は西部劇の町のよう? ◆ドイツではピンとこない「戦後補償」というコトバ
スイスの銀行に預けられたままの資産の返還を求め、米国内にいるホロコーストの生存者や犠牲者の家族らが3年前に起こした訴訟は、銀行側が総額12億5000万ドル(約1800億円)をユダヤ人側に支払うことで和解が成立した。この「国際問題」を解決に導いたのは米国であったのだが…。
◆VW社の人道的援護基金〜「ドイツはよく払った」のか?
ドイツ自動車大手のフォルクスワーゲン社(以下VW社)は9月11日の監査役会で、戦時下同社で強制労働に従事した人々の余命の「人生設計」に寄与するために「人道的援護基金」の設立し、まず2000万マルク(約16億円)を拠出することを決定した。 この決定はただ漠然と「ドイツはよく払った」と思っている日本人にはピンとこないかもしれないが、事情を知る者にとっては今昔の感がする。
1992年、当時VW社担当(三等)重役ペーター・フレアクさんはアエラの遠藤正武記者に次のように語った。
「強制労働させられた人を個人的に補償する考えはない。当時のVW社と今のVW社とは、敷地は同じでも、別の会社だからだ。今となっては、誰が働いていたかも定かでない」(『アエラ』1992年19号より) あるいは
「……過去に堂々と立ち向かい、未来の自由を確保するために……第三帝国下の当社の歴史研究や、より未来に開かれた青少年の国際交流のために、1200万マルクを支出した」(筆者の当時のノートから)
というわけで、1992年当時では、戦時下VW社でタダ働きをした年寄りは一文ももらえず、いつかゴルフに乗ってくれるかもしれない青少年と歴史家のほうにお金が流れてしまった。
◆「ナチ固有の不正行為は戦争とは別」という認識
一方、ドイツ国家はどうしていたのか?この国が払ったのは「世界観、宗教、人種的理由から犯されたナチ固有の不正行為の犠牲者」に対してである。
戦時下、占領地から連行して強制的に労働させることなど、どこの国でもやることで、「ナチ固有の不正行為」とはいえない。ホロコーストという「ナチ固有の不正行為」は確かにドイツ国民が戦争をしているときに起こったのかもしれないが、本来戦争とは別のことである。 「戦争に伴って起こったこと(例えば強制労働)」には払わないというのが、今でも続くドイツ国家の立場である。選挙で苦戦中のコール首 相も強制労働問題で「国庫から払うかと聞かれれば、私の答えはノーだ」と答えた(週間新聞「ツァイト」Nr.36/1998)。
戦時下のドイツでは、欧州の占領地から連行された一千万人近い人々が強制的労働に従事していた。これらの強制労働者は、たとえ劣悪な労働条件であろうと、「死の収容所」の帰還者より戦後はるかに数多く生存していたはずで、疲弊した敗戦国が払いたくないのも理解しやすい。 戦後西ドイツのある政治家がこの強制労働者の補償問題を「雪崩の危険がある冬山で大声をあげること」に喩えたことがある。
冒頭で述べたVW社だけでなく、ドイツのどの企業もこのような立場をとる国家の背後に隠れ、また時効を認める国内法に守られて、強制労働者の要求を退けることができた。 ところが、現在VW社だけでなく、ベンツをはじめドイツの名立たる企業が交渉の意志表示をしている。今年の夏、いったい何が起こったのであろうか?
◆スイス・バッシング〜12億5000万ドルの和解はいかにして?
8月12日夜、ホロコースト犠牲者ユダヤ人の休眠資産問題で、スイスの銀行側とユダヤ人団体との間で和解が実現し、スイスの銀行側が総額約12億5000万ドルを支払うことになる。 口座探索依頼をする遺族に対して、アウシュビッツで死んだ犠牲者の「死亡証明書」を要求したり、スイス銀行法特有の厳格な守秘義務を盾にとって、半世紀のあいだ取り合わなかったのがホロコースト犠牲者の「休眠資産問題」である。その結果、1996年の秋に米国で、ユダヤ人団体を中心にスイスの銀行に対する集団訴訟が始まった。
非難はスイスの民間銀行にとどまらないで、金塊を買うことでナチドイツに協力したスイス中央銀行の「ナチの金塊」問題、果てはスイスの中立批判へと、どんどん拡大していった。メディアでは、こまかい史的事実などあまり気にしない正義派を動員したスイス叩きになった。 英語が世界言語である以上、米国メディアが下す判決が国際世論になる。昔は中立国スイスが大好きだった日本の記者までもが「『中立』の美名に隠れ、戦争という『他人の不幸』で私腹を肥やした」と片棒をかつぐ。
このスイス叩きのフィナーレは、米国20以上の州や30の自治体のスイス銀行制裁決議(取引き停止を含む)であり、ボイコットは銀行に対してだけでなく、スイス企業全体に及ぶことになる。こうなると企業は弱い。巨額な法廷費用をはじめとする出費と、巨大な米国市場を考えれば、折れるしかないのである。 すでに述べた「強制労働」補償問題でも、ユダヤ人財産接収問題でも、第三帝国下不当な利益を得たドイツ企業が軒並みに態度を変えたのは、このユダヤ人団体とスイスの間に起こった事件の経過を見たからである。
◆米国が提供する「紛争解決の舞台」
事件の経過は現在急速に変質しつつある国際社会を如実に示す。世界中に散らばっているユダヤ人ホロコースト犠牲者対スイスの銀行の紛争は国境を越えているので「国際問題」である。 米国世論も、戦時下スイスの中立を非難する。米政府もそれとなく同調するようなセリフを口にするが、だからといって戦後連合国がスイスと締結した国際条約等の交渉をし直す気がない。ということは外交チャネルにのる「国際問題」でない。訴訟があったのは米国である以上、スイスの銀行の米国支店でセクハラがあったのとそう変わりがないことになる。
そのうちスイスの国内でも、自国の「永世中立」という国是を批判する人々がでてきて、国を割っての議論になる。こうなると今度はスイスの「国内問題」である。訴訟が起こってからのこの3年間、恐らくスイス国民は最後の最後まで問題が米国の「国内問題」であるか、スイスの「国内問題」であるか、スイスと米国の間の「国際問題」であるか、断定できなかったはずである。 確実にいえることは、世界中の元移民からできた米国社会が紛争解決の舞台を提供した、ということである。すなわち、国際問題らしきものが米国の国内問題に転換される。米国の国内ルールが国際社会に適用される。 この点、欧州の銀行関係者が文句をいう金融界のグローバリゼーションと遜色ない。今まで国家という枠のなかで保護され、動こうとしなかった欧州の企業がこの米国という奇妙な「紛争解決の舞台」に引きずり出され、軒並みに示談に応じるようになる。
今のところ、米国以外のどこの社会もこのような「紛争解決の舞台」を提供できない。今どこか不満を感じているスイス国民も大西洋の彼方からショック療法があってはじめて自国銀行の「休眠資産問題」の処理を不正だと思うようなったのではないだろうか。
◆「グローバル化した村」は西部劇の町のよう?
こうして見ると、1970年代はじめ流行ったマクルーハンの「地球村(グローバル化した村)」という表現も、ある種の現実味をおびてくる。問題はこの「グローバル化した村」の質である。米国社会がご親切にも提供してくれた「紛争解決の舞台」は、どこか伝統も歴史も欠如し、浅薄で西部劇の町を連想させる。
巨額の報奨金を脳裏に浮かべる米国弁護士と、ユダヤ人住民を選挙区に多数もつ野心家政治家の活躍の場であり、そこで開かれる議会の調査委員会とやらも、スイス人記者が嘆いたように、「スイスがヨーロッパのどこにあるかもよく知らない」議員さんが出席するのである(「ノイエ・ツュリヒャー・ツァイトゥング」)。
今回のVW社の2000万マルク「人道的援護基金」の設立に対し、米国被害者団体の弁護士は「こんな金額では告訴を取り下げることはできない」と硬化している。「ベントレー」というマークのついたスポーツカーを作るために、赤字だらけのロールスロイス社買収に10億マルク以上も払った企業に対して、弁護士としてはここで安々と引き下がれない。
話は、VW社にとって米国市場という大きなお菓子を横目で見ながらの示談ということになる。これもVW側には計算ずみで、ペレス前イスラエル首相、ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領、フラニツキー前オーストリア首相といった引退政治家を基金の理事にむかえた。これら良心派政治家の名前は、「スイスがヨーロッパのどこにあるかもよく知らない」米国の議員さんには無力であっても、米国メディアに対してある種の効果は期待できるからである。
◆ドイツではピンとこない「戦後補償」というコトバ
1990年代前半の日本で、慰安婦問題をきっかけに不十分だった「戦後処理」が指摘され、アジアに対する「戦後補償」の実現が要求された。当時ドイツのユダヤ人に対する補償が一つの模範とされることが多かった。しかし、これはかなりトンチンカンな話である。 すでに述べたように戦後西ドイツは、戦争とは別の「ナチ固有の不正行為」を償うために払ったのである。その証拠に「戦後処理」とか「戦後補償」というコトバは、日本語ではおさまりが良いが、ドイツ語では多くの人にピンと来ない。
また「戦後処理」とか「戦後補償」といった表現を使い、敗戦国民が自分のした戦争とそれを関連づけると、議論が別の方向に進んでいく危険があるのではないのだろうか。グローバル化が進行中の国際社会にふさわしい隣国との関係を築くというのが目的なら、ある程度まで国内のコンセンスをつくることが前提である。
敗戦国民は戦争に関して自国も悪かったし、むこうも悪かったと考えるのが普通である。参考のために、ドイツの数字をあげる。例えば、1964年の世論調査では、西ドイツ国民の51%が「むこうもこちらも悪かった」とする「喧嘩両成敗」説で、「ドイツは戦争をしたことに責任があった」と考える人々が半分以下だった。この「自国責任説」は30年後の1994年でも56%に達したにすぎない。いまでは半分を割ったかかもしれないが、「喧嘩両成敗」説がけっこう存在するのである。もし戦後の西ドイツに「戦後処理」とか「戦後補償」という表現が定着していれば、ホロコーストの犠牲者に補償も人道援助もできなかったことはいうまでもない。 ■
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