現代中国人物辞典(オ)

王雲坤(おう・うんこん)
Wang Yunkun

【現職】
中共第16期中央委員、吉林省委書記、吉林省人代常務委員会主任
【生年・出身】
1942年12月 江蘇省●(サンズイに栗)陽
【学歴】
天津大学無線電系(1965年卒)
【略歴】
1966年…4月 中国共産党入党
大学卒業後、吉林化学工業公司化工機械工場党委宣伝科長、党委秘書、同工場弁公吏主
任、同宣伝科長、同職場党支部書記、同工場政治部主任、同工場党委副書記、同公司共青
団委書記などを歴任
1982年…9月 吉林市政府に転任して、工業主管副市長に就任
1983年…4月 中共吉林市党委副書記・同市長に昇任
1989年…3月 吉林省政府副省長
1993年…2月 吉林委常務委員、吉林省長春市党委書記
1995年…6月 中共吉林省委副書記・省長代行
1997年…9月 中共第15回全国代表大会で中央委員に選出
1998年…4月 吉林省委副書記
1999年…2月 吉林省委書記
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に再選
【吉林省一貫勤務のベテラン】
 王雲坤は1966年以来、一質して、吉林省での勤務である。最初の勤務先である吉林化学工
業公司は現吉林省長の洪虎も、大学卒業後に勤務した企業である。王雲坤は洪虎より2年あ
との配属で、どのぐらい勤務したか不明だが、おそらく知己を得たに違いない。吉林化学は
1953年からの第一次5ヵ年計画に建設が着手された化学コンビナートで、現在では中国でも有
数の石油化学コンビナートに成長している。
 洪虎はその後、別の工場勤務などを経て、1978年には国務院の石油工業部に転任し吉林を
離れているが、王雲坤は一貫して、吉林省の党政活動にかかわり、一歩も吉林省出ていない
点が特徴で、吉林省の数多くの部署を経験している。長春、吉林両市の書記や市長、省政府
では電子工業庁(1986年)、政府秘書長(1992年)などの要
職をこなしており、吉林省を知り尽くした人物といえるだろう。
 吉林省は王雲坤(書記)、洪虎(省長)のコンビで運営されていくが、両者とも1940年代の生
まれで、2007年には定年である65歳を超える。吉林省を含め、東北三省(ほかに、遼寧省、黒
龍江省)は吉林化学を含め、国有企業が多く、企業改革と企業再編が急務である。しかし、そ
のことは失業率の悪化や社会不安を助長しかねない。今後の両者の手腕が問われるところで
あるが、今後5年前後には若い第五世代のリーダーに吉林の将来を託さざるを得ないであろ
う。

《吉林省の概況(2000年)》
【略号】吉
【省都】長春
【ウエブサイト】http:〃www.jilin.gov.cn



王雲竜(おう・うんりゅう)
Wang Yunlong

【現職】
中共第16期中央委員、全人代副秘書長
【生年・出身】
1945年1月 山西省平遥
【学歴】
北京工業学院航空系(1968年卒)
【略歴】
1966年…3月 中国共産党入党
1983年…5月 山西省地震局副局長
1989年…4月 山西省科学技術委員会主任
1992年…5月 山西省太原市委書記
1997年…6月 重慶市委副書記(常務)、市人代常務委員会主任
9月 中共第15回全国代表大会で中央委員候補に選出
2002年…10月 全人代常務委員会副秘書長
11月 中共第16回全国代表大会で中央委員に昇格
【全人代のスポークスマン】
 王雲竜は山西省生まれであるが、北京工業学院(現北京理工大学)を1968年に卒業した。
北京工業学院では、政治局常務委員の曾慶紅、吉林省長の洪虎の後輩にあたり、同期に
は、李永金大連帝人代主任(前大連市長)らがいる。卒業後の経歴の詳細は明らかでない
が、卒業年の1968年は文化大革命の真っ只中にあり、農村ないし工場に分配されていたもの
と推測される。
 1992年には出身の山西省の省都である太原市委書記に就任しているが、その後は重慶に
移り、さらに2002年に全人代に転任している。



王家瑞(おう・かずい)
Wang Jiarui

【現職】
中共第16期中央委員候補、党対外連絡部副部長
【略歴】
1989年…1月 郵電部報刊発行局長
2000年…12月 党中央対外連絡部副部長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会で中央委員候補に選出
【党対外連絡部】
 現在の部長は戴秉国(中央委員)であるが、在任期間がすでに5年以上になっており、また年
齢も1941年生まれの62歳になっていることから、そろそろ交代時期であろう。5人の副部長の
中で、中央委員(候補)は王家瑞一人であることから、後任部長として、王家瑞が就任する可
能性は高い。



王岐山(おう・きざん)
Wang Qishan

【現職】
中共第16期中央委員、海南省委書記
【生年・出身】
1948年7月 山西省天鎮
【学歴】
西北大学歴史系(1976年卒)
【資格】
高級経済師
清華大学経済管理学院、中国金融学院研究生部兼職教授
【略歴】
1963年…隣西省延安県満庄公社
1971年…隣西省博物館研究員
1983年…2月 中国共産党入党
1986年…書記処農村政策研究室正局級研究員、国務院農村発展研究センター連終室主任、
所長など歴任
1988年…中国農業信託投資公司総経理、党委書記
1989年…11月 中国人民建設銀行副行長、党組メンバー
1993年…6月 中国人民銀行副行長、党組メンバー
1994年…中国人民建設銀行(1996年に中国建設銀行に改名)行長兼中国投資銀行董事長、
中国国際金融公司董事長
1997年…9月 中共第15回全国代表大会にて中央委員候補に選出
12月 広東省副省長(金融担当)
2000年…11月 国務院経済体制改革弁公室主任
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に昇格、海南省委書記
【金融行政から地方行政−「太子党」の代表】
 王岐山は、薄照来と同様に、文草世代であり、かつ「太子党」(故桃依林(元副総理)の娘婿)
の一員である。文革により大学入試は中断し、中学(高校)卒業後、隣西省の農村(人民公
社)に下放され、そのまま、隣西省博物館(楼蘭のミイラが展示してあることで有名である)に
勤務した。
 1973年に西安にある西北大学(2002年大学ランキング52位)に入学しなおし、歴史を学ん
だ。義父である桃依林の名誉回復などにより、北京に戻り、農村問題の研究員として、再スタ
ートをきる。
 1988以降は、主として金融畑を歩み、1993年の中国人民銀行副行長時代に、朱路基に抜擢
され、広東省の金融改革を託される。広東省での金融改革やGITIC問題の処理の実績が認め
られ、中央の体制改革を担当、15期の中央委員候補から中央委員に昇格し、一時、国務院の
金融関係部署への異動が予想されていたが、党大会直後、前書記であった白克明の河北省
委書記への異動に伴って、海南省委書記に転出し、広東省から分離した海南省長として、再
び華南の指揮をとることとなった。
 海南省は1988年に、全島が、中国で第5番目の経済持区に指定されると同時に、広東省か
ら分離し、中国で第30番目の省となった。一時は、海南ブームと呼ばれるほど、内外資本が集
まり、発展の兆しを示したが、その後、ブームは沈静化し、外資の進出もさめ、新たな発展を
模索せざるを得ない状況にある。

《海南省の概況(2000年)》
【略号】填
【省都】海口
【ウエブサイト】http:〃www.hainan.gov.index c.htm



王侠(おう・きょう)
Wang Xia

【現職】
中共第16期中央委員、陝西省延安市委書記
【略歴】
2001年…2月 陝西省延安市委書記
2002年…5月 陝西省委常務委員
11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員候補に選出
【延安書記】
 王侠は革命の聖地延安の女性書記である。延安は黄土高原の北に位置し、西は甘粛省に
接する。13の県区、163の郷鎮、3434個の村からなり、人口は205万人、うち農業人口が146万
人である。
 31の省・市・区のうち、直轄市と一部の省を除いて、各省都(中国では「省会」)の書記は中央
委員候補である。省都以外の主要都市で、市委書記が中央委員候補に選出されているのは、
王峡の延安市、庭門市(鄭立中)、大連市(孫春蘭)である、隣西省の省都は
西安であるが、中央委員書記は革命の聖地延安から選出されている。



王旭東(おう・きょくとう)
Wang Xudong

【現職】
中共第16期中央委員、国務院情報産業部長
【生年・出身】
1946年1月 江蘇省
【学歴】
天津市科技進修学院系統工程班(1982年修了)
【略歴】
1972年…2月 中国共産党入党
1982年…人民解放軍1418研究所団委書記、党委副書記電子工業部18研究所所長、天津市
委組織部長など歴任
1991年…10月 天津市委副書記
1993年…5月 天津市委副書記に再選
1995年…中央組織部副部長
1997年…9月 中共第15回全国代表大会で中央委員候補に選出、党中央組織部副部長
2000年…6月 河北省要害記
2002年…10月 情報産業部党委書記
11月…中共第16回全国代表大会にて中央委員に昇格、河北省委書記辞任
2003年…1月 情報産業部副部長
3月 情報産業部長に昇格

【情報産業部一IT産業所管官庁】
 王旭東は大学を卒業しておらず、人民解放軍を経て、天津市に就職した後に、天津市科学
技術進修学院で学習したようである。1982年に電子工業部の第18研究所長となるが、このと
きの、電子工業部副部長が江沢民で、両者は十分面識の機会があったものと推測できる。
 王旭東のキャリアは1997年の中央組織部副部長就任で、さらにアップすることになる。特に、
1999年3月に組織部長に就任した曾慶紅との出会いが後の昇進につながったといえる。
 このように、王旭東は、これまで、地方一中央一地方一中央のパターンを繰り返しているが、
その都度、有力な指導者とめぐり合っており、それが次の展開につながっている。2002年の党
大会直後、河北省委書記を辞任したが、これに先だって、情報産業部党委書記に就任してお
り、情報産業部長に就任することが決定付けられていた。
 王旭東は、党大会前の2002年10月に、情報産業部党組書記に任命されている。国務院など
国家機関では、部長は、党組の書記であることが普通であり、このことからも、王旭東の人事
は内定していたのである。形式的には、2003年1月に情報産業部副部長に就任し、2003年3月
の全人代で部長に任命された。
 情報産業部(信息産業部、「信思」とは中国語で情報の意味)は1998年の国務院の機構改革
にともなって新設されたもので、旧電子工業部、旧郵電部を中心に再編されたものである。
WTO加盟による、通信分野の開放は一段と進み、また、中国の携帯電話を中心とするIT産業
は急速な勢いで伸びており、いまや携帯電話の普及は米国を抜いて世界一の保有台数となっ
ている。
 さらに、IT関連のベンチャー企業の成長、欧米留学生の帰国、携帯電話メーカーを中心とす
る欧米多国籍企業による研究開発拠点(R&D)の急増など環境の変化に備え、また次世代携
帯電話の決定や通信規制の緩和などさまざまな課題が持ち上がっており、王旭東にかかる期
待は極めて大きい。情報産業での実績を引きさげて、さらに、中央でのステップアップを行う
か、あるいはもう一度有力地方の書記を努め、政治局入りするか、1946年生まれの王旭東に
は、まだ時間が残されている。



王金山(おう・きんざん)
Wang Jingshan

【現職】
中共第16期中央委員、安徽省長
【生年・出身】
1945年2月 吉林省主嶺
【学歴】
四平師範専科(1968年卒)
【略歴】
公主嶺農業副局長、梨樹県委副書記、吉林省副省長、白城地委副書記、白城地区行政公署
専員、吉林省委組織部長、吉林省委常務委員など歴任。
1971年…中国共産党入党
1992年…吉林省委副書記
1993年…吉林省委副書記再選
1996年…8月 漸江省委副書記、全国供給合作社党組書記
1997年…9月 中共第15回全国代表大会にて、中央委員候補に選出
1999年…1月 中華全国供給合作総社副主任(常務)
2002年…10月 安徽省副省長、代理省長
2002年…11月 安徽省委副書記、中共第16回全国代表大会にて中央委員に昇格
【安徽省長】
 王金山は吉林省出身で、白城地区書記、行政公署専員を歴任しているという点で、同じ吉林
出身の政治局員の回良玉(1978年から書記、行政公署専員)、青海省長の蘇栄(1987年から
89年まで、書記と行政公署専員)と共通である。
 王金山の就任期間が不明であるが、王金山は蘇栄より3つ上であり、蘇栄は回良玉の後任
であることから、王金山は蘇栄の後任として赴任した可能性がある。王金山はその後、安徽省
に転任しており、同じように、吉林省から安徽省に転任した回良玉と共通する。
 また、王金山は四平師範専科の卒業であるが、蘇栄も白城の後、四平市委書記に転任して
おり、ここでも共通点を持つ。なお、白城地区は、日本のODAによる援助(フッ素病解決のため
の無償援助)が行われている地域である。
 王金山は1996年に吉林から浙江省に転任しているが、1997年には中央委員候補に選出さ
れ、中華全国供給合作総社副主任として北京に転勤している。
 その後、2002年の党大会直前に安徽省に再び転任し、王太華の書記転任によって、その後
任省長となった。安徴省には、王太華以外に、副書記の沈躍躍(女性、中央委員候補)、秘書
長の王明方(中央委員候補)がいる。



王君(おう・くん)
Wang Jun

【現職】
中共第16期中央委員候補、江西省委副書記
【略歴】
1999年…9月 江西省副省長
2001年…12月 江西省委副書記
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員候補に選出
【江西省副書記】
 王君は2001年に副省長から副書記に転じている。副省長時代は黄智権(現省長)の下で、そ
して現在は5人いる副書記の一人として、孟建柱書記の下で務めている。5人の副書記のうち、
省長の黄智権と王君だけが中央委員および中央委員候補であることから、王君は、おそらく、
江西省の地元幹部出身ではなく、今後、他の地方あるいは、中央に昇進していく可能性があろ
う。



王謙(おう・けん)
Wang Jian

【現職】
中共第16期中央委員候補、青海省林業局長
【略歴】
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて、中央委員候補に選出
【青海省林業局長】
 局長クラスが中央委員候補に選出されるのはきわめて異例である。王謙の出自と経歴は不
詳であるが、林業分野の専門家であろう。青海省の報道などでみると、森林問題、環境問題、
緑化対策などにおいて多くの発言を行っている。
 青海省は三大内陸盆地の一つであるツアイダム盆地を抱えている。ここの砂漠化問題は
年々より深刻化している。この地域の森林被覆率は〇・九%以下であり、砂漠化面積は全省
の砂漠化面積の90%がこの地域となっている。さらに、貧困人口の60%以上がこの地域に居
住しているといわれ、青海省はこの砂漠化問題イコール林業行政が大きな課題となっており、
その担当が王謙率いる林業局である。
 王謙の人脈はほとんど不明であるが、林業専門という立場から、国家林業局長の周生賢、
副局長の江澤慧(江沢民の実妹、中国林業科学研究所長)さらには、周生賢が弁公室主任を
務める全国緑化委員会主任の温家宝総理と何らかの人脈を持っていよう。王謙の中央委員
候補選出は、中国が緑化、林業、砂漠化問題などを重視しているひとつの象徴といえるかもし
れない。



王建民(おう・けんみん)
Wang Jianmin

【現職】
中共第16期中央委員、人民解放軍成都
軍区司令員(中将)
【生年・出身】
国防大学
【略歴】
1993年…2月 集団軍副軍長
1995年…集団軍長、洛陽軍区副司令貝
1996年…9月 洛陽軍区某集団軍軍長
1997年…9月中共第15回全国代表大会にて中央委員候補に選出。洛陽軍区某集団軍長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に昇格、人民解放軍成都軍区航空
兵某団長、成都軍区司令
【成都軍区】
 王建民は、洛陽軍区から成都軍区に転勤してきた軍人で、15期の候補委員から16期に中央
委員に昇格するとともに、成都軍区では、航空団長から、党大会後の軍部の人事再編によっ
て、成都軍区司令に昇進した。成都軍区は、それまでの昆明軍区と合併した七大軍区のひと
つで、四川省、雲南省、貴州省各軍区とチベット軍区を管轄する。



王剛(おう・ごう)
Wang Gang

【現職】
中共第16期中央委員、政治局員候補、
書記処書記、党中央弁公庁主任
中央直属機関工作委員会書記
【生年・出身】
1942年10月 吉林省扶余
【学歴】
吉林大学哲学系哲学専攻(1967年卒)
【略歴】
1968年…7月 建設工業部七局八公司宣伝科幹事
1977年…7月 新盤自治区党委弁公庁秘書
1986年…11月 中央弁公庁、国務院弁公庁信訪局副局長
1987年…8月 中央弁公庁、国務院弁公庁信訪局常務副局長、党委書記
1994年…9月 中央弁公庁副主任、中央楷案館長、国家楷案局長
1997年…9月 中共第15回全国代表大会にて中央委員候補に選出
1999年…3月 党中央弁公庁主任、中央直属機関工作委員会書記、中央楷案館長、国家楷
案局長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に昇格、16期一中全会にて政治局員
候補委員、書記処書記に選出
【党中央弁公庁と曾慶紅との関係】
 王剛は吉林省出身である。大学卒業時は文化大革命の混乱時であり、大学に待機を余儀な
くされただけではなく、建設工業部における宣伝関係だけで9年間の勤務となり、その後、新顔
自治区に4年間派遣されている。
 1981年に北京に戻ってからは、台湾弁公室に4年、党と国務院の信訪局(民衆の意見・不
満、訪問などの対応)に5年勤務。党中央弁公庁副主任には、1994年に就任したが、その時の
主任が曾慶紅であった。曾慶紅の後を受けての、弁公庁主任であることから、曾慶紅との関
係が密接であることをうかがわせる。
 曾慶紅は1993年に温家宝の後を受けて、主任に昇格しているが、王剛はその下で働いてき
たのである。党内での地位も、15期の中央委員候補から16期に政治局員候補に2階級昇進し
たのも、曾慶紅の昇進のしかたと似ている(曾慶紅は14期の党員から15期に一挙に政治局員
候補、16期に政治局常務委員となる)。
 また、王剛は曾慶紅と同じく、中央弁公庁主任、政治局員候補、書記処書記という三つの地
位を得ている。
 党中央弁公庁とは、共産党の日常業務を行うと同時に、である。部下には、由喜貴副主任
(中将、中央委員候補、警護局長)と令計画(中央委員候補)がいるが、由喜貴は王剛と同様
に江沢民ブレーンの一人であり、令計画は胡錦濤の秘書である。
 王剛は弁公庁主任であると同時に、国家档案局長を兼ねている。档案とは個人の身上記録
のことである。中国では一般農民を除いて、すべてのひとについて作成され、就職の際に必要
なばかりでなく、職場を移るたびに、これが次の職場に引き継がれ、生涯ついて回る。中央梢
案館はいわば、政府の公文書館であり、内外に公開されている。
 中央弁公庁主任はまさに、時の総書記の秘書役であり、歴代、総書記のブレーンが就任し、
その後の昇進の足がかりとなっている。江沢民時代は曾慶紅が弁公庁主任に就任し、王剛に
引き継いだ。曾慶紅は人事を握る組織部長も努め、これも賀国強に譲った。これらのことか
ら、曾慶紅の後継となった王剛、賀国強は曾慶紅の意向イコール江沢民の意向として引き継
いでいかざるを得ない。



王鴻挙(おう・こうきょ)
Wang Hongju

【現職】
中共第16期中央委員、重慶市長
【生年・出身】
1945年10月 重慶市渝中区
【学歴】
四川大学数学系(1968年卒)
【略歴】
1968年…10月 重慶彰水重昌石鉱工場勤務
1974年…10月 重慶彰水郁江大橋工程処股長
1976年…10月 重慶彰水県工交部幹事
1979年…2月 中国共産党入党重慶彰水県委弁公室幹事、副主任
1985年…2月 四川省治陵地委副書記
1988年…4月 四川省治陵市委書記(県級市)
1990年…2月 四川省治陵地委副書記、行政公署専貝
1994年…7月 四川省治陵地委書記
1995年…12月 四川省治陵地区政協工委主任
1996年…3月 四川省治陵市委書記
1996年…9月 四川省重慶市委常務委員、治陵市委書記
1997年…6月 重慶市委副書記、重慶市副市長
2002年…5月 重慶市委常務委員、副書記
10月 重慶市代理市長
11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出
2003年…1月 重慶市長
【重慶市】
 王鴻挙は重慶生まれ(愈中区は重慶市政府のある中心部)であり、四川大学を1968年に卒
業した、文革世代の一人である。専攻は数学であるが、配属されたのは、地元重慶の重品石
鉱の工場であった。
 以来、一貫して、地元の治陵市で地道な歩みをしてきた。重慶市が直轄市になったのは、
1997年であるが、以来、重慶市副書記、副市長そして代理市長となり、2003年に正式に市長
に就任した。前任の市長は包叙定であったが、年齢制限のため引退し、1945年生まれの王鴻
挙が市長に就任した。これによって、国務院より派遣された黄鎮東書記と地元出身の王鴻挙
市長の組み合わせにより、西部開発のひとつの中心である重慶の発展が託されることとなっ
た。
 王鴻挙が長く務めた治陵地区は垂慶市の中部にあり、人口107万人、18の鎮、22の郷から
なる。機械、製薬、食品などの産業があり、中でも、治陵搾菜(ザーサイ)は全国でも有名であ
る。



王謙(おう・けん)
Wang Jian

【現職】
中共第16期中央委員候補、青海省林業局長
【略歴】
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて、中央委員候補に選出
【青海省林業局長】
 局長クラスが中央委員候補に選出されるのはきわめて異例である。王謙の出自と経歴は不
詳であるが、林業分野の専門家であろう。青海省の報道などでみると、森林問題、環境問題、
緑化対策などにおいて多くの発言を行っている。
 青海省は三大内陸盆地の一つであるツアイダム盆地を抱えている。ここの砂漠化問題は
年々より深刻化している。この地域の森林被覆率は〇・九%以下であり、砂漠化面積は全省
の砂漠化面積の90%がこの地域となっている。さらに、貧困人口の60%以上がこの地域に居
住しているといわれ、青海省はこの砂漠化問題イコール林業行政が大きな課題となっており、
その担当が王謙率いる林業局である。
 王謙の人脈はほとんど不明であるが、林業専門という立場から、国家林業局長の周生賢、
副局長の江澤慧(江沢民の実妹、中国林業科学研究所長)さらには、周生賢が弁公室主任を
務める全国緑化委員会主任の温家宝総理と何らかの人脈を持っていよう。王謙の中央委員
候補選出は、中国が緑化、林業、砂漠化問題などを重視しているひとつの象徴といえるかもし
れない。



欧広源(おう・こうげん)
Ou Guangyuan

【現職】
中共第16期中央委員候補、広東省委副書記
【生年】
1948年2月 広東省順徳
【学歴】
専門学校卒
【略歴】
1969年…中国共産党入党
1974年…順徳県陳村公社革命委副主任、党委書記
1983年…順徳県委書記
1992年…仏山市委書記
1993年…5月 広東省委常務委員
1997年…9月 中共第15回全国代表大会で中央委員候補に選出
2002年…5月 広東省委副書記
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員候補に再選
【広東省副書記一黄華華省長のライバル?】
 欧広源は順徳出身であるが、広東省のキャリアコースともいえる仏山市委の書記を歴任して
おり、広東省における若い世代の有力指導者の一人である。慮瑞華前省長(仏山書記歴任)
の後任として、次期省長候補の一人でもあったが、後任省長にはライバルの黄華華が選出さ
れた。
 欧広源(1948年生)と黄華華(1946年生)はほぼ同年代であり、経歴も似ている。広東省副書
記就任は黄華華のほうが早く、欧広源は農業担当としての副省長職が長く、副書記になった
のは最近である。
 中央候補委員就任は両人とも15期が始めてであり、16期も再選され、党中央での地位は同
じである。両人とも広東省以外での勤務経験もなく、このまま広東省でのライバルであり、協力
者として、新任書記の張徳江を支えていくのであろう。



汪光Z(おう・こうとう)
Wang Guangtao

【現職】
中共第16期中央委員、国務院建設部長
【生年・出身】
上海市
【学歴】
同済大学都市建設系(1965年卒)
同済大学路橋系修士(1981年、エンジニアリング修士)
【略歴】
1965年…江蘇省徐州市都市建設局技術員
1981年…江蘇省徐州市都市建設委員会技術科工程師、都市建設科長、副総工程師、副主
任など歴任
1983年…中国共産党入党
1984年…江蘇省徐州市副市長
1989年…建設部都市建設局長、総工程師
1995年…黒龍江省ハルピン市委副書記、代理市長、市長
1998年…北京市副市長
2001年…12月 建設部長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出
2003年…3月 全人代で建設部長に再任
【建設部と住宅事情】
 汪光Zは都市建設の専門家で、土木・建築研究で著名な上海の同済大学(2002年大学ラン
キング19位)の都市建築学部の学士、橋梁エンジニアリングの修士を取得している。卒業後は
江蘇省の徐州市の都市建設局に勤務している。この年代で、大学での専攻をそのまま生かし
た職場に就いたことは江光表にとって恵まれていたといえる。
 就職後も再び、同済大学の大学院に通っているのも優遇されているといえる。
 徐州市では、都市建設科長から副市長に大抜擢される。優秀であったことの証明であろう。
さらに、徐州から国務院の建設部の都市建設局長に栄転するが、1995年から党故にかかわ
り、まず、黒龍江省ハルピン市長となり、さらに1998年には北京市副市長となる。大都市の都
市建設行政の実績を経て、2001年12月に湖北省に転出した愈正声の後任として、建設部長に
就任した。
 中国はいま、都市の再開発・住宅建築ブームである。地下鉄工事、高架道路、立体道路、高
速道路の建設ラッシュでもある。北京、上海などの大都市では、オリンピック、万博という国際
的イベントの招致に成功し、大規模インフラの整備と都市再開発が行われている。
 また、従来の国家支給の住宅政策から、住宅販売、マンション販売などを通じて、持ち家制
度が奨励されている。愈正声は山東省、青島での住宅政策に功績をバックに、建設部長に就
任したが、汪光Zは都市建設の専門家として、都市建設とインフラ整備への期待が寄せられ
ている。



王滬寧(おう・こねい)
Wang Huning

【現職】
中共第16期中央委員、党中央政策研究室主任
【生年・出身】
1955年 上海市
【学歴】
復旦大学国際政治(1978年卒)
【略歴】
1997年…復旦大学国際政治系教授
1998年・‥5月 党中央政策研究室副主任
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出(新任)
12月 党中央政策研究室主任
【江沢民プレート国際政治の専門家】
 王滝寧はこれまでは無名の指導者であったが、江沢民の指名によって、上海の名門復員大
学国際政治教授の地位から中央入りした若手研究者である。
 2002年11月の党大会では、江沢民ブレーンの一人として、議長団席に王岐山と並んでいた。
閉幕の際は、退場する江沢民とにこやかに握手していたことが印象的であった。党大会直後
に、膝文生(中央委員、1940年生)の後任として、主任に昇格したが、ここでも江沢民の影響が
色濃く出ているものといえる。
 王滬寧は1998年に上海から中央政策研究室に転任しているが、その後、江沢民の内外視
察に同行しており、前政策研究室主任の膝文生らとともに、江沢民報告の起案や外交政策の
アドバイスをしている。
 王滬寧は1955年生まれで、中央委員では、習近平らと同じ第五世代のリーダーである。世界
情勢・国際政治がめまぐるしく動き、中国の対外ポジションが一層高まる中で、こうした第五世
代の若く、高学歴、留学経験者の次期指導者の活躍が期待される。王滝寧も、これらの第五
世代リーダーとともに、10年後(2012年)の党大会では政治局員あるいはそれ以上のポストに
就く可能性がある。



王三運(おう・さんうん)
Wang Sanyun

【現職】
中共第16期中央委員候補、福建省委副書記
【生年・出身】
1953年
【略歴】
1995年…12月 貴州省貴陽市委書記
1996年…5月 貴州省委常務委員
2001年…8月 四川省副書記
2002年…11月 福建省委副書記
11月 中共第16回全国代表大会にて中
央委員候補に選出
【共青団人脈】
 王三運は共青団出身といわれる。
1995年に内陸貴州省の省都である貴陽市委書記を歴任し、貴州省委常務委員、という共青団
出身の若手幹部の典型的なキャリアコースを歩んできた。胡錦涛が共青団第一書記ののち、
赴任したのも貴州省であった。貧困地域の書記派遣は歴代優秀人物が当てられてきたが、王
三運は実績が認められたのか、第二の地方勤務先は沿海の福建省である。
 王三運は、最近省長に就任した塵展工(1953年生)とは同年代で、次は、宋徳福(1946年生)
の後任として、福建省書記に昇進できるか、あるいはもう一つ地方、さらには中央(党・国務
院)に転任するか、という可能性がある。



王勝俊(おう・しょうしゅん)
Wang Shengjun

【現職】
中共第16期中央委員、党中央政法委員会秘書長
【生年・出身】
1946年10月 安徽省宿県
【学歴】合肥師範学院
1989年…2月 安徽省公安庁長
1990年…3月 安徽省委常務委員
1993年…6月 国務院全国打撃走私指導小組副組長(組長は李嵐清副総理)
1998年…3月 党中央政法委員会秘書長
4月 党中央政法委員会委員・秘書長
2000年・・・8月 中央社会治安総合治理委員会委員
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出
【党政法委員会とは】
 王勝俊は一貫して公安、政法関係に従事してきた。党政法委員会は、1980年に設立された
中国共産党の事務機構のひとつで、治安と法律の実施を所管する機関である。主な職責は、
公安(中国では警察のこと)、法院(裁判所)、検察院(検察庁)、司法部(法務省)など政法機
関に対する指導、政法分野の政策研究などである。その書記には、歴代、政治局員以上の大
物指導者が書記を務めている。
 これまでの書記は羅幹政治局委員(現政治局常務委員)であったが、16期の新体制発足に
より、前四川書記の周永康政治局員に交代した。周永康はこれまで、ほとんど政法関係の分
野に携わっていないだけに、王勝俊は政法のベテランとして、また、秘書長として新任の周永
康書記を支えていく役割を果たすであろう。



王衆孚(おう・しゅうふ)
Wang Zhongfu

【現職】
中共第16期中央委員、国務院国家工商行政管理総局局長
【生年・出身】
1941年10月 湖南安化
【学歴】
長沙鉄道学院橋隊専攻(1964年卒)
1968年…2月 中国共産党入党
1972年…湖南省機械化施工公司副科長、長沙市建工局工程師、長沙市城建局局長、長沙
市政府建設委員会主任など歴任
1984年…7月 長沙市委副書記
1985年…6月 長沙市委書記
1990年…12月 深セン市常務副市長
1994年…国家工商行政管理局局長兼党組書記
1997年…9月 中共第15回全国代表大会にて中央紀律検査委員に選出
2001年…国家工商行政管理総局局長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出(新任)
【国家工商行政管理局】
 王衆孚は湖南省出身である。長沙の鉄道学院を卒業後、いったんは人民解放軍に所属する
が、1972年に政府に移り、長沙市政府の建設関係部署を経験し、市委書記まで務める。
 深セン市ののち、国家工商行政管理局への転任となるが、国家工商行政管理局とは、国務
院直属機構のひとつであり、経済活動の監督・管理を担当する機関である。具体的に、外資
企業などにかかわる業務は、企業法人の登記管理、証明書の発行、不正取引に関する取り
締まりなどである。
 また、最近の中国は消費者保護が強調されて、不当な価格設定(各地の自由市場では測り
が置いてあり、購入した商品の量の重さが正確であるかどうか、消費者が確認するのが一般
で、これを管理しているのが、公平交易局)、欠陥商品、模造品、食品事故などを取り締まり、
消費者の訴えも、この工商行政管理局が行う(消費者権益保護局)。
 工商行政管理局は、地方(省・市・区・村)ごとにあり、進出した外資企業は契約の後、まず
登記を行い、工商行政管理局の登記証明があってはじめて、営業活動・生産活動に入ること
ができる(「企業注冊局」)。中国の企業・工場訪問をすると、玄関などに掲げてあり、すぐに目
に入るのが工商行政管理局発行の登記証明書である。



汪嘯風(おう・しょうふう)
Wang Xiaofeng

【現職】
中共第16期中央委員、海南省委副書記、海南省長
【生年・出身】
1944年10月 湖南省慈利
【学歴】
北京鉱業学院機械系(1969年卒)
【略歴】
1969年…石炭部准南鉱山機械工場で労働に従事
1970年…8月 湖南常徳第七一機械工場で技術員、同技師、工場弁公室副主任、同主任、副
工場長、工場長を歴任
1973年…8月 中国共産党入党
1983年…湖南省常徳地区委副書記、常徳地区行政公署専員
1986年…湖南省計画委員会主任、同委党組書記
1990年…湖南省副省長
1992年…10月 中共第14回全国代表大会で中央候補委員に選出
1992年…12月 湖南省委員会副書記
1993年…1月 海南省委副書記
2月 海南省副省長
1997年…9月 中共第15回全国代表大会で中央委員に選出
1998年…4月 海南省長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に再選
【海南省の設立と幹部派遣】
 汪嘯風は文革世代であり、卒業後、工場に配属された。1970年以後は出身地の湖南省に戻
り、1993年に海南省に移るまで23年務める。湖南省では常徳地区の行政公署専員などから副
省長まで昇進する。常徳地区は1988年に地区から市となり、2000年の人口は573万人。汪嘯
風は常徳地区の最後の行政公署専員であった。
 汪嘯風が転任した海南省は、1988年4月に全島が中国で第5番目の経済特区に指定される
とともに、広東省から独立し、中国で30番目の省となった。爾来、省のトップ、省長は基本的に
北京やその他の地方から派遣されている。



汪恕誠(おう・じょせい)
Wang Shucheng

【現職】
中共第16期中央委員、国務院水利部長
【生年・出身】
1941年 江蘇省●(サンズイに栗)陽
【学歴】
清華大学水利工学系(1968年卒)
高級工程師
1965年…4月 中国共産党入党
1968年…水利電力部部第六工程局
1978年…水利電力部第六工程局一工区委書記
1982年‥・電力工業部第六工程局一工区委書記
1984年…水利電力部水利建設総公司委員会副書記
1987年…水利電力部水利水電建設局長
1988年‥・国務院能源(エネルギー)部水電開発司長
1993年…国務院電力工業部副部長
1998年…国家電力公司総経理
1998年…11月 水利部長
2002年…11月 中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出
2003年…3月 水利部長に再任
【水利部】
 汪恕誠は、長く、水力発電の実務に携わった官僚出身である。清華大学では、胡錦涛の2年
先輩にあたるが学生寮では同室であったといわれる。1980年代の水利電力部では当時、李鵬
(前全人代委員長、元総理)が第一副部長であり、その後の経歴からみて、李鵬に近い人物と
いえよう。
 水利部は中国の水利行政を所管とする部署で、これまで、電力部との合併や分離などを繰
り返してきた。電力部は公司化し、水利部は残ったが、中国の水利建設は三峡ダム建設にみ
られるように、発電所の建設と大きく関係している。
 汪恕誠は水利の専門家であり、その点、胡錦濡との共通点があり、また、治水・灌漑の点で
は温家宝とも近い。
 汪恕誠は温家宝が総指揮をとる、国家防●(迅のシンニョウをサンズイに)抗早総指揮部の
副総指揮に就任しているほか、温家宝が副組長を務める西部開発指導小組のメンバーでもあ
る。



王震(おう・しん)
Wang Chen

【現職】
中共第16期中央委員、人民日報社長、
全国人民政治協商会議委員
【生年・出身】
1950年12月 北京
【学歴】
中国社会科学院研究生(大学院に相当)
【略歴】
1986年…8月 光明日報副総編集長
1995年…光明日報社総編集長
2000年…6月 党宣伝部副部長
2001年…8月 人民日報総編集長
2002年…11月 人民日報社長に就任
11月 中共第16回全国代表大会で中央委員に選出(新任)
【人民日報】
 人民日報は正式には、中国共産党中央委員会機関紙であり、中国を代表する最も権威ある
新聞である。過去には、人民日報の記事内容で、「正確なのは、日付だけ」などと冷やかされ
ており、まさに官報としての新聞であった。今日のように、インターネットでの検索が可能な時
代と違い、人民日報の社説などの行間を読みながら、中国情勢を分析した時代もあった。しか
し、ありとあらゆる大衆紙が氾濫している今日、共産党が変革を求められているように、人民
日報も時代の変化に対応せを得ない。
 新聞の使命とは別に、歴代、人民日報社長は中央委員であり、人民日報の社長、総編集
(編集長)の地位は依然重要であり、宣伝部系統や地方書記へのキャリアコースでもある。
 王震は2001年8月から総編集(総編集長)を務めてきた。それ以前にも、宣伝関連、光明日
報、人民日報など新聞の編集に携わってきたが、2002年11月に前社長、許中田の死去に伴
い、党大会直前に社長に就任し、兼務していた総編集には張研農が就任した。今後、王震
は、年齢的にみても、白克明のように地方書記に転任するか、あるいは一挙に宣伝部長(政
治局員)に昇格するなどの可能性があろう。



王正偉(おう・せいい)
Wang Zhengwei

【現職】
中共第16期中央委員候補、寧夏自治区委常務委員、銀川市委書記
【生年・出身】
回族
【略歴】
1998年…4月 寧夏自治区委常務委員
2001年…5月 寧夏自治区銀川市委書記(区委常務委員)
2002年…11月中共第16回全国代表大会にて中央委員に選出
【銀川市】
 寧夏自治区の区都、寧夏平原の中部にあり、人口は93万人である。銀川とは“銀白色をした
水路”を意味する。黄河の濯漑用水によって、早くから農業が栄え、“塞上の江南’’と呼ばれ
た。
 王正偉は回族出身である。回族は中国の少数民族の中で、壮族(チワン族)、満族に次いで
多く、2000年の人口は981万人である。しかも、回族は寧夏、甘粛など全国19の地区に住んで
おり、最も広範囲に居住する少数民族といえる。
 銀川市は1945年に成立した。以来、機械、化学、紡織、建材などの工業が盛んとなる。1990
年代には、ハイテク産業開発区も設置された。寧夏自治区は日本の島根県と友好都市(姉妹
都市)を結んでいる。日本企業の寧夏自治区への進出はきわめて少ないが、その中で、ロボッ
トメーカー大手のヤマザキマザックが旋盤など工作機械の合弁事業で、銀川に進出(2000年)
しているのが注目される。






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