韓国大統領と大田徳島前知事

 太田徳島前知事の落選は誠に残念であったが然し今回の出直し選挙で市民の支持が得られなかったのにはむしろ当然でもあった。何故ならば前回の知事選では無駄な公共投資にたいする市民の怒りが極限にまで達していてそのマグマは爆発寸前だった。

 だから知事候補者は誰でもよくてただ無駄な公共事業を差し止めてさえくれればそれでよいと思って投票したのだとさえ極言できるのであった。また太田氏もそれを公約に掲げての当選であった。従って太田氏は改革派市民の操り人形と言う宿命を帯びての登場であったのだ。

 太田氏には酷な言い方になるが市民の改革マグマが無ければさしたる市民運動の実績も無い太田氏が知事に当選できるはづも無いし又またその器でもないようにお見受けしていた。そのことの自覚が乏しかったのか当選するや公約はどんどん後退して既存勢力との妥協に追われ古い政治手法に溺れてしまい果ては改革派市民からの批判を受けて墓穴を掘っていった。
子供っぽいと批判されながらも信念を貫いて県民の指示を得た長野県の田中知事とは資質と信念において比べようが無いのである。

 さて韓国のノムヒヨン大統領がこれと同じ運命をたどるのではあるまいか。彼もさしたる改革運動の実績も無く政治姿勢も金前大統領ほとの情熱や実績も無いように拝見するが、太田氏のそれのように米軍装甲車が韓国の少女をひき殺した事件で国民の間に広がった反米感情のマグマによって押し出されたのは明確である。

 ところが彼のその後の歩みを見ると、米国の北朝鮮強硬政策に妥協しつつあるように思うのは私だけではあるまい。自分を押し上げてくれた改革派国民から批判されているのも太田氏によく似ている。

 前政権の太陽政策は道半ばとは言え正しい政策ではなかろうか。強硬政策の行方はソウル市民の多大な犠牲を伴うことは地図をみれば誰の目にも明らかだ。

 徳島県知事と一国の大統領を同列に扱った論評の失礼を詫びて筆を置きます。