潮目の変化と総選挙
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 今日は衆議院の総選挙である。早く行ってこなければ思いながら空を見上げている。

 さて今度の選挙運動の特徴は従来の単なる名前の連呼だけではなくて、政策を提示しての本来あるべき姿の運動が展開されたと識者は評価していた。その通りだとそれには異論は無いが、公約にしろ契約にしろ中身はわれわれ素人にはよく分らない。

 公約に騙されつづけて五十年、という経歴の持ち主から見ると、字が変わったからからといってその人の心掛けが俄かに変わったろうと信じるには、その期間が長かっただけに申し訳ないが信じられない。と言うわけでカタカナ公約もあまり細かくは見ていない。

 昔から私は公約よりも、過去何年かの間その人がその党がなにをやってきたかで判断する事にしている。その観点から公約とか契約とかを見ていると、不謹慎なというそしりは免れないかも知れないが実に面白い。当選したいばかりによくもまぁこんなことが言えるなぁと呆れることもある。

 手の裏を返すと言う言葉があるがまさしくそれで恐れ入る。こういうと皆パリティシャンばかりのように聞えるかもしれないが、そうではなくてステイツマンの名に値する方々もたくさん居ると思う。実のところ公約の悪口を言い過ぎたが書いた人は騙すつもりで初めからいたわけではないと思うが、事志と違う事態となり苦渋の選択だったろうと思ってやりたい。

 しかし約束と言う物はそんな物ではないはずだ。さて今回のカタカナ公約の中で年金が大きなウエートをもっており、選挙民の関心もイラクなど目でなかったらしい。それはそれで理解もできるが、ただステイツマンならもう一つ視野を広めた公約を載せて欲しかった。それは 東アジヤ共同体 (EAC) に付いて夢を語って欲しかった。

 ヨーロッパ共同体が三十年前発足したとき誰が今日の通貨統合まで進むと想像したろうか。最近では統一軍まで創設するといってアメリカを慌てさせている。今東アジヤは火薬庫の様相を呈しているが、過去のしがらみにばかり足を取られて喧嘩ばかりしていないで、この総選挙と言う絶好の機会にスケールの大きい構想が聞けなかったのは残念と言う外は無いし、東アジヤ共同体 の構想は静かに深く大きなうねりとなっているそうだ。まさに潮目は大きく変わろうとしているらしい。