| もはや戦後ではない |
先日総選挙が行われた。その結果は広い意味では勝敗無し、とも言える結果だった。何故ならば膨大な政治的含み資産を持つ自民党が単独過半数に及ばず、しかも公明党の支持票がなけれは200議席の獲得も出来なかったろうとの分析も見られる。 一方次期政権を目指した民主党も目標の200議席に遠く及ばないのに、笑顔が消えない党首菅さんは兎も角として、笑顔を見せない小沢さんは負けは負けだと渋い顔で総括していたが流石歴戦の勇士だなぁ、この人は政権獲得を本気で考えていたんだなぁと改めて感心した。 さて新議員の顔写真と経歴を特集から眺めたが、若い人が男女ともかなり多く世代交代が進んでいる様子が窺えた。この現象は敗戦後公職追放でそれまでの支配層が立候補出来なくなり、無名の若い人たちが国会の多数を占め民主主義という理念を掲げて活動を始め、国民もこれを支持して明るい希望に燃えた、あの時の事を思い出した。 今これらの顔ぶれを見てその時ほどの新鮮さは到底無いが、それでも何か明るさを嗅ぎ取る事が出来る。 何故それを嗅ぎ取るかというと、自民党の崩壊の始まりを見るからだ。自民党が選挙の基盤としてきた財界、企業、建設業界、地方、官僚組織等々が分裂したり世間に気兼ねして選挙運動をあまりしなかったらしい。 当たり前である。国会は国民のものだ。戦後一貫して一部の人たちの利益の為に、あまりにも政治は加担し過ぎてきた。そして政治家は金をばら撒き選挙民は票を出すこのシステムが、半世紀以上続いてきたのだが右肩上がりの経済の終わりがこのシステムの終焉を告げたのだ。 その上政治家は過信して四国に三本も橋をかけるという無駄遣いをやり、つもり積もって国の借金が八百兆円にもなっいるそうだ。昭和三十年代に経済白書が もはや戦後ではない といって当時の流行語となって皆がはしゃいだが、今になってみると実は戦後はずっとバブルが弾けるまで続いていたのである。 そしてこの 失われた十年 を経ての総選挙で、戦後政治システムを清算して、新しい政治システムすなわち二大政党へと脱皮しようとしたのではないだろうか。そのように考えると今こそ 戦後ではない時代の始まり と言えるのかもしれない。 |