自爆テロ

 どうも最近の出来事には釈然としない。立派な紳士の言う事がどうも可笑しいのである。それも一人や二人ならその人が可笑しいで済むが、現実はそうではなくて大方の人が善悪の判断能力が麻痺しているのではないかと思われるのである。

 その現象はいろいろあるが最大のものは自爆テロに対する感覚麻痺であろう。自爆テロ を犯罪者扱いして一件落着みたいに処理して平然としている人の何と多い事か。それとも良心の呵責に耐兼ねていっときも早く忘れたいと逃げ出している現象なんだろうか。または太い神経の持ち主で心底から犯罪者だ思い糾弾しているのだろうか。

 何がなんだか分からないが現象としては、社会が重いストレスの病にかかり異常行動をした、と後世の人が思うかもしれない。先日の新聞報道によると自爆テロで死亡したパレスチナの若い女性の家族の話が載っていたが、彼女は医学生で間も無く社会で働く事を楽しみにしていたという。それが何故自爆テロを敢行したのかについていろいろ書いてあったが犯罪者だと決め付けて糾弾するには余りにも気の毒で、イスラエルの無差別爆撃を抜きには考えられないものだった。

 無差別爆撃と自爆テロの応酬の話しは、私も判断不能だし解決策も勿論無いが、ただ有るのは 自爆テロ は戦術だなどとはどうしても思えない、余程の理由がある筈だと漠然と思うことだ。旧日本軍が行った特攻戦術はこれは間違いなく戦術だったが、自爆テロは少し様子が違うのではないかと思う。

 その正否は別として、私がここで言いたいのは 自爆テロ を犯罪者としての糾弾で終わりとする世間の風潮は、異常ではないですかと言う事です。今こそ世界は正気を取り戻す時ではないだろうか。

 私も戦後間も無く出版された 聞けわだつみの声 を帰省の夜汽車の中で読みながら。人前もはばからず涙か流れて仕方がなかった経験がある。それは同年配の若者が学業半ばで死ぬ為の出撃前夜に書いた遺書集なのである。パレスチナのあの若い女子医学生も自爆テロ前に遺書を書いたのだろうか。とにかく血を血で洗う争いをいっときも早く止めさせなければならない。片方に加担するなどとんでもないことだ。理屈はあとからでいい。