| 心痛むニュース |
通信の手法が文字通り革命的な発展を遂げるに従い、情報量も飛躍的に多くなった為か心痛むニュースに接することが多いくなってきた。いろいろあるが特に痛ましいのが幼児や児童の虐待ニュースである。正直言って食事前などにこれを聞くのは嫌だ。ましてや食べながらこれを聞くのは耐えられない。 何時なんどき言うかしれない代物だから食事時はテレビは消すようにしている。これらの虐待は昔からあって何も事新しい事ではない、昔はもっと酷かったが報道もされなかっただけだ。と言う訳知りもいるがこればかりは統計も無いし比べようが無い。 唯言える事は戦後特に最近人権意識が高まって個人の権利が尊重され出した事がこの種の報道の多さになっている事はたしかだろうし、戦後間も無く国連が児童憲章を決議して、世界に向かって子供の人権尊重をアッピールした事もまた後押しをしていると思う。 こうして事実が表に出てくるようになった事は、問題解決の第一歩で大変よい事だと思う。このような子供の虐待が何故起こるのか、またこれを無くする事は出来ないのかと誰でも思うがこれと言った解決策はまだ無いらしい。最近若いお母さんと立話をする機会があり、たまたま子供の入学式のことになり お母さんが 自分の子供を指して この人はまだ・・・ と自分の子供に この人 と言うのを聞き少し気になった。さて問題は この人 という表現の持つ意味であり、また現代の若いお母さんの精神構造がいみじくもそこに現れているのではあるまいか、と例によって勘繰るが諸賢は如何でしょうか。 まず私見を述べればそれは 母子関係の絆の希薄さ が秘められているように思うのだがどうだろうか。もっと言うならば母子関係の個の対立を見るがどうだろうか。 生まれ時から基本的人権があり、これを尊重することが新しい母子関係なんだ、と言われたことにより本来人間が持っている動物的愛情を失ったのではあるまいか。 何時の時代でも 男女関係の愛情表現 は動物的以外の何物でもないのに、母子関係だけがスマートな愛情表現であらねばならぬ理由などあるのだろうか。それこそ人間性の否定ではないのか。母が子供を私物化する愛情の弊害は勿論有ると思うが虐待よりはましだろう。時代に逆行するような事を主張するようだが、この観点から再度親と子の関係を考え直す必要が有ると思うがどうだろうか。 また虐待防止策もこの辺から出てこないかなぁと思う。客観的には人々が 足るを知る ことを悟り、心にゆとりを持てるような社会政策を推し進めることが大切で、戦争の準備などしてしる時ではないのである。 |