| 大和心いずこへ |
「敷島のの大和心を人問わば 朝日ににおう山桜花」と万葉集の有名な歌だが、この大和心が日露戦争に勝利?して富国強兵の道を走り出した頃から 大和魂 という勇ましい言葉にかわっていったと思う。大和心は優しさである。しかし大和魂は殺戮であり、討ちてし止まん、である。軍国主義は相手国を叩き潰して降参させることを本業としている。外交の延長としての戦争と侵略戦争とは本質的に違うと思う。 日露戦争は前者であった。だから戦争に大和心が随所にみられたと語り継がれている。ところが日露戦争で味を占めた人々が侵略戦争を始めるが、この侵略戦争でのキーワードは大和魂であった。だから戦争相手に対する優しさなど微塵も無い。あったのは虐殺事件や捕虜虐待、生体実験などなど目を覆いたくなるような事ばかりであった。 それに引きかえ日露戦争におけるそれは、ロシヤ兵捕虜に対する日本人の心温まる交流等が数多く伝えられている。これは第一次世界大戦におけるドイツ兵捕虜に対する日本人の接し方も同じであってドイツの捕虜達が感謝してオーケストラで演奏会までやってくれている。大和心で接していたかららである。恐ろしい大和魂への傾斜は軍部だけでなく、日本人が皆そうであったのではないか。 日露戦争を日本軍が大和心で戦っていたことは、乃木大将とステッステル将軍との降伏会見で、ロシヤの将軍や幕僚達に武装のままでの会見を天皇の許可を得て乃木大将が行っている事からも明瞭である。あの激しい戦闘の後でも相手に対する敬意は示しているのである。また日本海海戦で海に投げ出されたロシヤ水兵を、危険を冒して皆救い上げてもいるのである。人間性豊かな行動としてこれも世界から賞賛されている。 第二次世界大戦ではこのような話はついぞ聞かない。(南方の海戦でイギリスの駆逐艦と交戦してこれを撃沈したあとで、敵の水兵を救援したことで艦長が非難されたケースが一つある。) 世界全体が正気ではなかったのだ、とも言えるがそんな中で、オーストラリヤで日本兵捕虜が手厚く処遇されていた話を今朝のラジオで聞き胸が熱くなるのを禁じ得なかった。ラジオの伝えるところによると、捕虜となった日本兵数百人が突然集団脱走を敢行し射殺されたり自殺したりして全員死亡したという。 昭和二十年六月十一日の事だ。その動機が日本軍の戦陣訓にあるという。捕虜となり生きて辱めをうけるな。即ち捕虜となったら自殺せよとの教えだったという。自殺の道具が食事用のナイフだったという事も痛ましいかぎりだが、その捕虜の遺体を手厚く葬り墓地が作られているという。戦後帰還した軍人達がが国の為に戦った人は何処の国の人も同じだ、といって募金をして墓地の整備とお守りをしているという。これに現地の日本人も協力しているそうだ。 捕虜となった事を隠すため偽名を使っているので人々の特定は出来ないらしい。日本軍がオーストラリヤ兵捕虜虐待事件で補償訴訟が起こされている時だけにこの話を聞くのは辛い。日本の大和心がオーストラリヤに生きていたとは・・・。それにしてもどうしたのだろうか、金満国の日本人は。戦後の社会で胸が熱くなるような、世界の人々に感動を与えるような大和心の話をあまり聞かない。 また日本には 罪を憎んで人を憎まず という言葉もあったのだがそういう世論も今はない、徹底的にやっつけろ みたいな話ばかり横行している。 相手チームのミスに拍手をして喜ぶスポーツファンの何と多い事か、そこには人に対するいたわりの心もフエァなスポーツマンシップなどまったく無い。日本人の道徳心の頽廃は、戦争責任をあいまいにしている事にあるという指摘には噛み締める価値はある。明治になった頃伊藤弘文らの使節団が、ちょんまげと羽織袴に刀をさした異様な姿で米国を訪れたが、彼らの礼儀正しさに皆が驚いたという。こんな話をまた聞きたいものである。 |