俳句を始めました

 俳句について、ひょんな事から俳句をひねることになった。

 今年の三月憧れの飛鳥の里を訪ねてその事を義姉に報告したら、「その感動を俳句にしたらどうです」という勧めに 俳句ねぇ と思ったが折角言ってくれるのだからと妻の勧めもありひねることにした。

 とはいっても小学生の頃に  
古池や蛙飛び込む水の音  朝顔につるべ取られて貰い水  と読本で習って以来とんと俳句にはお付き合いがない。しかし文芸とはいえ長編小説をかくわけでもなく、せいぜい十七字並べるだけの事だからみようみまねでやれる事だからと思案して二三句をひねり義姉に送ったところ  陽光を棚田に受けてふきのとう が俳句らしくなっているとの返事に気をよくした。

 更に義姉の言うには 多作多捨 が何より大切で沢山作ってみなさい。と言う指導があり自分も面白くなって句手帳を持ち歩き風景などを観察してこれを書き留め推敲して俳句帳に入れている。

 それから俳句の入門書が二三冊送られてきて拾い読みしていると歳時記なるものがありそれに季語が掲載されておりこれがないと俳句ではない とあるので早速書店で歳時記を買い求めた。これがまた大変なもので一晩や二晩読んでどうのこうのと言えるようなものでない。

 また今までは見もしなかった新聞の俳句欄を毎週見たり、テレビの俳句番組を覗いたり勉強と言うにはおこがましいが楽しんでいる。また送られてきた俳句の書も読んだり積極的に参考書も買って読んだりしている。そこで知ったのは俳句というものは江戸時代は庶民の言葉遊びとして歌会というものがあり、和歌の前半と後半を二人で作る遊びだったらしい。 裕福な閑人階層の品の良い遊び でありその後で懇親の宴をはっていたのであろうと推察している。それを芭蕉が出て発句である五七五を独立させてこれに 森羅万象を表現させ得る事のできる藝術の域にまで高めていった ので芭蕉を俳聖というらしい。

 それから明治に子規が出て俳句の改革をやるが、これが近代俳句でそれまでのものを古典俳句というらしい。 私が小学校で習ったのは古典俳句であった。だから俳句というイメージは  
静かさや岩に沁み入るせみの声  に代表される俳句である。しかし子規が改革した近代俳句は藝術にとらわれることなく自由に物事を表現するいかにも廃仏棄釈、脱亜入欧 を近代日本建設の基本として西欧化に傾斜して行った当時の風潮の中で生まれたものだと認識している。

 古典俳句に帰れとは言わないが、最近の俳句の中には美的センスを疑うものさえもてはやされている感がある。 子規の句の中にも 痰が出たとか出ないとか聞くだけでも嫌気がさすのもあるが、あんなものでも子規の俳句だというので有難がって書いている著者もいるがどうかと思う。

 子規を近代俳句の祖というが彼は二十歳代の後半で他界しているから、もしも七八十歳まで生きていたらまた変わっていたろうことは推測できる。このように書くと近代俳句に不満があるようにも聞えるが、新聞欄にみるかぎりでは古典俳句の流れを汲むものが多いのではないだろうか。 味わい深い俳句に出会う事が多い。

 俳句結社にそれぞれ所属して活動するのが普通だが最近はインターネット上で投句できるサイトが沢山あり添削もしてくれる。 顔が見えないのが有難く、また師匠さんの作風に従う必要も無く一匹狼で自由が楽しめるとあって結構多くの人が参加している。欠点は誹謗中傷を書き込む輩がいることだがそれもまた反論があり自然に淘汰されてはいる。

 まだ俳句歴三ヶ月の駆け出しにもならぬ奴の妄言であることは間違いないので、この辺で筆を置くが今までの妄言のの証としたい。
        
   俳句習作」へ