メディアとしての新聞

 「五十三%」 この数字を見てそれが何で有るか知っている人は恐らく皆無であろうと思う。 知らなくて当然である。 この数字はある新聞の二月一日の紙面にあった広告が占めるスペースの割合である。そしてこの日の総ページ数は32ページで広告の占めるページは全ページ広告が9ページでその他大小広告合計で8ページ合計17ページであった。

 32ページの新聞と言えばかなりの嵩である。それを読み始めて余りにも広告が目につきだしたので少し気になり測定する気になった。何と半分以上が広告である。

 新聞購読60年のキャリァを持ち新聞に信頼を寄せて生活をしているがこの広告スペースの多さには考えさせられた。新聞とても人の子霞を食べて生きていくわけには行かぬから広告を載せて収益を図るのは当然だかここまでやると広告会社と変らない。

 新聞社も不本意なことであろうと同情はしている。 「武士は食わねど高楊枝」と高所正論を吐き快刀乱麻を絶つ論陣を張りたいのが本音だろうがそうはいかないのが現実の姿で新聞発行を続けていくためには広告料収入は欠くことのできないものなんだろうが、不健全なものを感じるしまた新聞の危機も読み取れる。

 新聞はNEWSPAPERと言うから新しい事を知らせる事を使命としているのだろうが電波メディアの発達でその使命は薄らいでいる。これは仕方の無い事で宿命でも有るから情報が遅いと非難するのは酷である。遅くても詳細であったりでそれなりに価値はあるが致命傷でもある。「世の中の出来事を知らせる」と言う使命は終わったのではないか。 速報競争では完全に勝負はついている。

 それでは新聞は不要かと言うとそんな事は無くて、民主主義を国是とする限り社会の公器である事は間違いない。新聞なくして代議政治は成り立たない。勝れた記事の社会に及ぼす影響は計り知れないものがある。テレビ報道の軽薄さはこれからも続くだろうから新聞の持つ知性はこれから益々重要性が増すだろう。

 そこで一つ提案がある。 新聞の隔日発行 はどうだろう。そしてページ数の削減である。 新聞社の機構が肥大化して不要な記事が多くなり高コスト体質で広告収入に頼らざるを得ないと言う悪循環となっている。ページ数を削減して速報性よりも内容を充実させて隔日に新聞を届けてくれた方が読者は喜ぶと思うがどうだろう。