瀬戸内寂聴さんの法話

 瀬戸内寂聴さんの法話は高い人気で毎回盛会だそうだ。 聞いた事は無いがさもありなんと言う雰囲気を持った人である。

 あるときテレビでちらりと見ていたら何かの話の後なんだろうと思うが 「世の中不条理に出来ているんです。」 と例の調子でぴしゃっと決めていた。 こういうのを「悟り」というのかも知れない。 迷いが無いのである。 なるほど人々が聞きに行くわけだと納得した。 

 実に清々しくてさっぱりして岐路得をした気分になれると思うので聴きに行く価値は十分にあると思う。私も以後これを活用させてもらっている。 というのは確かに世の中不条理にできていて数え上げればきりが無いほどである。
 アメリカの武力による強権政策は措くとしても、身の回りに不条理は沢山有る。 例えば競争社会が世の中の進歩をもたらすから善だというのが最近の定説みたいになっているが、生まれながらににして身体的ハンディを持っている人はいくらでもいる。

 また総論賛成各論反対を唱えて破局に人々を誘導する政治屋は探すのに事欠かぬ。 官は悪事を働くが民は正しいかと言うとこれも怪しくて、自分の利益にさえなれば直ぐ賛成して、四国に三本も橋を架ける運動を一生懸命にやる。そして国の財政が破局を迎えても責任を感じない。

 卑近な例では交通信号を守らないのは子供でなくて大人である事は衆知の事実である。特に交通弱者と言われる老人に守らない人が多い。 と数え上げればきりがなくその中に自分もいることに気が付くが愕然ともしないのに我ながら驚く。だから瀬戸内寂聴さんが「世の中不条理に出来ているんです」と言うのに何となく納得できてくる。

 子供の頃遊んだ いろはかるた に 「むりがとおればどうりがひっこむ」 というのがあったが昔からこういう不条理は多かったのであろう。 今はどうなっているか知らないが昔、相撲の世界の兄弟子とは 無理へんに拳骨と書く という笑い話がある程不条理がまかり通っていたのであろうが、

 それはそれなりの意味もあり効用もあったのだろうが、最近の社会の不条理は何の効用も無くて、ただ自己の利益追求のみのもので歯がゆくてやりきれない思いをする事が多い。 そんなとき瀬戸内寂聴さんの「世の中不条理に出来ているんです。」の悟りの言葉を思い出し精神安定剤として使わせてもらっている。

 しかし瀬戸内寂聴さんは不条理を容認しなさいと教えているのではあるまい。 不条理に負けないでその是正の為に勤めなさいと教えているのであろう。