政治家の信念と宗教家の信仰

 今日のニュースで小泉総理が靖国参拝問題で中国と韓国を批判して「他国から戦没者の慰霊について兎角いわれる筋合いはない。国のために犠牲になった人を慰霊するのは当然で反対する理由が分らない。

 A級戦犯が合祀されているからいけないと言うが中国の孔子の言葉に「罪を憎んで人を憎まず」とあるではないか」。うんちくを傾けて顔を引きつらせて答弁していた。しかしし孔子は「死者に鞭打つなと言うのであってわざわざお参りに行け」とは言ってない、

 右傾化しつつある今の世相からするとこの小泉発言に拍手喝采する向きも多かろうが困った事である。小泉さんは国際条約を理解しているのだろうか。日本が締結したサンフランシスコ平和条約も日中間の取り決めも東京戦犯裁判を日本が受け入れたのが前提なのである。

 こんなこと位誰でも知っている。中国も韓国も一般戦没者を慰霊して悪いとは言っていないのだ。日本人だからA級戦犯の人も同じく慰霊したい気持ちはわかるが「戦争犯罪人である」と国際公約した責任は果たさなければなるまい。謝罪してもう60年も過ぎたからもういいだろうはこちらの言い分であって社会的には通用しまい。

 小泉さんはこのくらいの事は承知の上での発言であろうがそのよってくるところは自己の信念であるらしいが政治家の個人的信念はもう少し柔軟性があってしかるべきだと思うがどうだろう。個人の信念や宗教家の信仰ならばそれに殉じてもよいが政治家の信念で一国の民を巻き添えにしてはなるまい。そこまで我々は選挙で一任はしていない。

 小泉さんは変人だと自他ともに認めているが少し視野が狭くはありませんか。まさか誰かに頼まれてやっているのではないでしょうね。「向こう三軒両隣」は大切なものです。軽挙妄動を慎んで誤まり無きよう願いたい。それが宗教家の信仰と政治家の信念の違いですぞ。