間違いだらけの「観光立国」政策
石橋秀樹
次世代総合研究所 共同代表
ウェブサイト・「特殊法人懲罰委員会」 主宰
独立行政法人・国際観光振興機構(JNTO) 元香港事務所次長
(前頁より続く)
3.何のための「観光立国」か?
本来「観光立国」とは、観光業を国家の基幹産業のひとつとして位置づけること、より具体的には外国人観光客による観光収入を国家収入の基盤にする、というのが世界の共通認識だが、日本の場合はそうではなく、訪れる外国人の数が海外に出かける日本人の3分の1を下回る(2002年)という著しい不均衡を是正する必要性があるためとされている。周辺諸国との所得格差が小さいヨーロッパやアメリカと異なり、わが国はこれまで周辺諸国と比べて所得が格段に高かったために、海外旅行者数が訪日外国人数より圧倒的に多かっただけの話であり、そのことでわが国にとって何か具体的な不都合や不利益を生じたのだろうか?
1990年前後には訪日外国人数と日本人海外旅行者数の比率は最大1:4まで格差があったが、経常黒字抑制のために、日本政府は自国民の海外旅行奨励し(「テン・ミリオン計画」)、むしろ結果として格差の拡大を政府自らが後押ししていたのである。
そもそも「計画」では、「何のために」、「1,000万人」に倍増させる必要があるのか、国民に納得の行く説明がされていない。
昔から日本の政治家や役人は、池田勇人氏や「所得倍増論」や宮沢喜一氏の「資産倍増論」のように、「倍増」がお好きなようだ。国土交通省もご多分にもれず、旧運輸省時代から「国際コンベンション倍増」「「ウェルカムプラン21(訪日観光交流倍増計画)」なるものを掲げていた。しかし、倍増そのものが目的となっており、何のために倍増するのか、という点が常に曖昧であった。
要は、単にわかりやすい、というだけで、実は数字そのものに実質的な意味はないのではないだろうか。
目的については、「国際交流の増進と経済の活性化」のためだとするが、果たして本当に国民はそれを望んでいるのか?交流以前に犯罪の増加を恐れる国民は少なくないはずだ。
国土交通省が昨年5月に公表した「国土交通行政インターネットモニター調査・「観光立国の実現に向けて」の結果も見ても、外国人観光客の増加による相互理解の増進や観光収入の増大というメリットを認める一方で、デメリットとして、「観光客を装った犯罪者の入国による犯罪の増大」を懸念するという意見が全体の9割を占めている。
「観光立国」というからには、観光収入を今後の日本経済の柱に加えることを目指すのか? それならば、政府は査証緩和による不法滞在や犯罪増加のリスクと、経済効果の得失を具体的な数字も含めてきちんと国民に説明する義務がある。
その上で、外客受入による経済効果と治安維持をどう両立させるかにつき、国民的な議論を深める必要があるのではないだろうか。
4.何ともちぐはぐな「ビジット・ジャパン・キャンペーン」
「ビジット・ジャパン・キャンペーン」という言葉を耳にされたことがあるだろうか?
官民一体で上述の観光立国行動計画を具体化するというもので、実施本部長は北側国土交通大臣、以下国内大手旅行会社や航空会社、ホテル、マスコミの関係者のトップが顔を連ねている。
国策であれば、内閣府や総務庁もメンバーに加わって良さそうなものだが、政府関係のメンバーは外務省広報文化交流部長、文化庁次長、経済産業省商務流通審議官、国土交通省観光審議官のみであり、事務局は国土交通省から非常勤の事務局次長と常勤職員1名のみである。これを見ても国全体でコンセンサスができた政策からは程遠いことが窺い知れる。 現に、法務省や警察庁は査証緩和には慎重な立場を崩していない。
余談だが、「観光立国」というのは、小泉首相自身の意向というよりは、かつて運輸大臣や運輸政務次官を務め、日中間の観光促進に力を入れている二階俊博・経済産業大臣(政調会長運輸大臣だった2000年には日中文化観光交流使節団に顧問の肩書きで参加)や、中韓との関係強化を目指し、国土交通大臣ポストを握る公明党あたりがプッシュしているものと想像される。
ところで、具体的なキャンペーンの内容だが、「Yokoso Japan!」をキャッチコピーに、主に在外公館とJNTOの海外事務所が共同で現地におけるイメージ宣伝、広報等を実施する一方、日本国内においても受入対策の充実を図るために、国内向広報活動を実施すると言うものである。
「Yokoso Japan!」というコピーも随分とセンスに欠ける(「オソオセヨ コリア」、「ファンイン チャイナ」「サワディー タイランド」と聞いて、外国人が理解できるだろうか?)が、それはさておくとしても、
これらの事業はいずれもJNTOの通常業務に過ぎず、特に目新しいものではない。現に、筆者がアジアの旅行会社に聞いたところでは、特に旅行会社や旅行者にインパクトを与えるようなものではない、と評している。 そればかりか、多忙なところへ次々と視察招請事業が舞い込み、むしろ迷惑だと言う声すら少なくない。
キャンペーン事務局の構成は、JNTOから2名出向しており、国土交通省からも常勤、非常勤各1名が出向している。
また、JNTOの下には、国際観光サービスセンター(ITCJ)という財団法人がある。元々は職員の福利厚生組織であったが、政府機関という制約により出版事業等、JNTO本体が扱えなかった業務を取り扱うことにより次第に事業規模を拡大しており、JNTOと競合している業務すら見受けられる。こうした機関がありながら、ビジット・ジャパン・キャンペーン事務局と、屋上屋を重ねるような無駄はいかがなものか?
現に、日本観光協会理事長も2004年に「アジア近隣諸国の経済発展が訪日外客数増加の最大要因である。台湾は1979年、韓国はソウル五輪の翌年1989年に海外旅行を自由化し、訪日旅行客が増加した。中国も2008年、北京五輪を経て大きく増加することが予想される。訪日外客数は入国ビザ発給の改善だけで急増する可能性が高い。」と発言している。
元々これらの国々は日本に強い関心がある。日本は他国にない美しい自然風景を有するのみならず、ハイテク、テーマパーク、ファッションといった先進的な文化を常に生み出し続けている。このコラボレーションこそが日本の最大の観光魅力なのだ。特にアジアの人々はこうした情報をリアルタイムでチェックしているし、現地のマスメディアも日々微に入り、細に入り大きく取り上げているのだ。宣伝するまでもなく、もはや情報飽和状態なのである。
ところで、去る1月20日から2月20日までは、「Yokoso Japan Weeks」なるものを展開しているとのことで、実施本部である国土交通省が各鉄道駅ホームなどに「観光大使」である木村佳乃を使ったポスターを掲示している。旧正月の旅行シーズンに合わせて実施したものらしい。しかし、このポスターこそ、日本のちぐはぐな国際観光政策とセンスの無さを浮き彫りにしている。
ポスターはいずれも「あなたもできるようこそ!ジャパン」と書かれており、木村佳乃が若い白人男性に切符の買い方を教えたり、道案内をする場面のものである。
周辺国における知名度を考えた場合に木村佳乃が「観光大使」に相応しいかどうかはさておくとして、「アジア諸国における旧正月の時期に合わせて実施」と謳っておきながら、キャンペーンポスターに登場するのはなぜか欧米人ばかりだ。(ちなみに、欧米人の訪日のピークは通常10月)
本気で国民に観光立国を訴えるのであれば、センスの無いポスターを作成するよりは、公共広告機構でCMを打つなり、NHKの7時のニュースの前に広報を入れるなり、政府がスポンサーになってインバウンドをテーマにしたテレビドラマでも放映した方がまだ効果的なのではないか?
5.国が観光プロモーションを行う時代は終わった
以上に述べた状況を考えた場合、果たして国が税金を使って観光宣伝業務を行う必要性があるのだろうか?
国の機関であるJNTOの存在意義として、現地旅行業者や一般大衆に対する宣伝・広報活動が挙げられる。しかし、こうした活動は何も公的機関でなければできないわけではない。
他方、最も重点的な送り出し市場である韓国、台湾、香港では日本の情報が観光のみならず、飲食、文化を含めて溢れかえっている。(中国でも訪日旅行可能層はケーブルテレビや衛星放送を視聴している。)また、現地の旅行会社の中には、日本国内に事務所を構えたり、日本在住の知人から情報収集を行うケースも多い。また、毎月のように日本へ出張しているスタッフも多く、ヘタな日本人より余程知悉している。
また、一般大衆もネット社会の今日では、日本の観光情報は現地で容易にアクセスすることができる。
これらの国々ではもはや「日本」を国単位で売り込む市場ではなく、地域や都道府県単位になっている。もはや「日本・九州」としなくとも、「九州」或いは「鹿児島」だけで十分に通用してしまうのだ。
地方自治体も、JNTOの手を借りずとも、地元のJTB支店や日本航空等の支店を経由して現地(海外)支店経由とタイアップすることにより、招請事業、現地セールス、市場調査を行うことは十分可能であるし、現地の新聞を一通り概観すれば、訪問すべき旅行会社やマスコミのリストくらいは自分たちでも収集できる。
かつては「セールス」というよりも「陳情」に近いありさまだったが、徐々にノウハウも蓄積され、また関係者相互の情報交換も密になってきたため、自治体独自で実施することは十分可能である。
航空会社も当然現地の旅行業者との関係は深いため、独自に、或いは地方自治体と共同で、旅行業者やマスコミの招請事業を自ら実施している。
彼らにしてみれば、JNTOは「あればたまに便利」程度で、なくなったからといって彼らのインバウンド業務の実施に支障が出ることはない。
JTBをはじめとする国内の大手旅行業者も、これまではインバウンドビジネスは利幅が薄いということで力を入れてこなかったが、最近では白バスの規制や、現地の無資格ガイドの排除等彼らにとってもビジネスチャンスは増大しているため、意欲的に業務を拡大している。
筆者が香港に駐在時に懇意にしていた現地旅行業者は、異口同音に「JNTOの宣伝活動は中途半端で殆ど役に立たない。情報収集や消費者への宣伝は自分たちでもできる。自分たちの訪日ツアー広告の経費を半分負担してくれれば理想的だが、日本は予算がないのだろう?それならばせめて、査証の緩和や外国語標記の充実といった受入態勢の整備等を何とかしてほしい。」とホンネを語ったものである。
香港のみならず、中国大陸やフィリピンでセミナーを実施した際も、「宣伝の前に、国として査証問題をどうにかしてくれないことには動きようがない。」と言われた。
このように、もはや国の機関であるJNTOの存在意義は希薄である。JNTOは自分たちを「外客誘致事業のノウハウを持つオンリーワンの組織である。」と自画自賛しているようだ。しかし、手前味噌だが、現在JNTOがノウハウと称しているものの中には、筆者自身が現場から声を大にして提言したものも随分含まれているくらいだから、実はノウハウの蓄積も大したことはなく、「オンリーワン」 なんぞ笑止千万だ。
JNTO自身がいくら自己肯定したところで、肝心の送り出し側で斯様な評価を受けている事が、不要な組織であることの何よりの証左なのだ。
6.まとめ
先進的な文化を生み続ける一方、美しい自然風景と安全なイメージを守り続けることこそが、実は最強の観光政策になるのである。
他方、目的の曖昧な訪日外客1,000万人達成のために安易な査証緩和を実施すれば、日本がこれまで誇りとしてきた安全なイメージを犠牲にしかねない。これは観光政策の観点からも取り返しのつかないダメージだ。
そして、宣伝は民間に任せ、国は外国語表記の充実等の受入対策強化と治安の維持に専念するべきである。まやかしの「官製プロモーション」はもはや不要なのだ。
(追記)
本稿執筆中に、「観光庁」設置検討へ・自民が基本法改正の方針(日経2006年2月6日)」という記事が出た。
観光庁が設置された場合、恐らく現在の国土交通省総合政策局の観光4課(観光企画課、国際観光推進課、観光地域振興課、旅行振興課)を母体に、外務省、経済産業省、総務省、法務省といった省庁からの出向者、更にはJNTO、観光協会、JTB等の国内大手旅行業者の出身者で固められると思われるが、これらの省庁・機関・業者に外客誘致の実務に通暁し、有効な企画立案ができる人材はほぼ皆無であり、「偉大なる素人集団」になることは目に見えている。
筆者の知る限り、最も実務に通暁した人材は、ホテルやテーマパーク等の海外セールス担当者だ。彼らは直接ビジネスを行っているだけに、海外の訪日旅行取扱業者との人脈も豊富で、かつ現地のマーケット事情や外客受入のノウハウを知悉している。
ただ、残念なことに、彼らの多くは周囲の無理解やこれまでのインバウンド軽視に絶望して退職しているのだ。
筆者は、観光庁の設置そのものには反対ではないが、先ずはこうした隠れた人材を引き上げ、再活用するしくみをつくるべきだと考える。
2006年2月8日 記