医療過誤被害遺族の立場から訴えます
田 下 昌 夫
私はソフトウェアを開発しているごく一般的なサラリーマンです。
結婚し妻と一緒に暮らして1年半で出産を迎えました。
ところが、妻は出産時に医療過誤が原因と思われる大量出血で帰らぬ人となりました。
子供は仮死状態でしたが、1ヶ月のICUでの入院により、今は、1歳半のやんちゃな女の子に成長しています。
そして、私達遺族は妻を死に陥れた病院を相手に裁判を起こしています。
出産時の様子は「生まれました」という連絡が入ってから、1時間以上も待たされ、何の説明もないまま「とにかく輸血承諾書のサインをくれ」と言われ、まだ妻が生命の危険にさらされていることも分からず、医者の言う通りにサインをし、ひたすら待合室で待ちました。
そして、出産から2時間以上も経ってから「危ないから会ってくれ」と言われ、分娩室に入り、意識がなく苦しんでいる妻を見て、初めてただごとではないと感じました。
それから、妻は大学病院に移され、2度の心臓停止、大量の輸血にもかかわらず止まらぬ出血、そして腎臓、肝臓、肺、心臓、脳が次々機能しなくなっていき、18日間苦しんだ末、ケーブルだらけの妻は私の腕の中で心臓が止まりました。
出産をした病院の医師がいちばん最初に説明しに来たとき、カルテも持たず、両手をポケットに突っ込みながら、
「赤ちゃんが仮死状態で、気を取られていて、お母さんは意識があったから大丈夫だと思って・・・」
と、話しました。
出産時に何があったのか。帝王切開のはずがしていないのはなぜか。納得のいく説明が全くありませんでした。
分娩室という密室でいったい何が起きて、妻は亡くなったのか。真実は現場にいた医師と、妻にしか分かりません。妻はもうここにいなく、医師が納得のいく説明をしないのなら、この密室で起きたことを知るには、裁判という手段を使うしかありません。
裁判を進める過程のなかで、さまざまな情報が公開され、はじめて、医師は正しいことをしたのか、それともしていなかったのか、妻は仕方なく死んだのか、それとも殺されたのか、密室の中が見えてくるのです。
今このような経験の中で、敗訴負担制度について考えると納得ができません。
1. 敗訴負担制度は、確実に勝てる裁判、つまり医療の間違いが明らかな場合だけ、裁判を起こすことが許されることを意味します。
私達遺族には、医療現場の情報と、医学の知識は一切ありません。全て、病院が情報を握っている状況の中で、正しい医療かどうかを裁判の前に予め判断することは不可能です。
ですから、敗訴者負担となれば、裁判を起こせるような状況とは、病院側がミスを認めた場合のみと言わなければなりません。2. 敗訴負担制度が、無駄な提訴の抑制を目的とするならば、それは、まるで、雑居ビル火災で、燃えやすいものを散らかしっぱなしにしておきながら、火種だけを気をつけようとする姿とよく似ています。
無駄な提訴を防ぐなら、本来は、争いの起きない、透明で、患者に対して精一杯の医療を提供する体制づくりを、どう支援するかを考えるべきです。3. 私のこの裁判は、何が起きたのか知りたい、ということがきっかけでした。
妻がなぜ死んだのか、その真の原因の探求を、妻に代わってやっているのです。
本来、病院がするべきことを、時間と費用をかけて遺族が代わりにやっているのです。
例え、病院側が勝訴したとしても、この原因の探求のために使った費用は、もともと、病院側で医師の行った医療が適切だったか調査のために使うべき費用なはずです。
その費用を患者が負担するとは、到底納得できるものではありません。
敗訴負担制度が現実のものとなるならば、真実を明らかにしようとする私の行為は、負ければ私側の弁護士費用と、病院側の弁護士費用を払わなければなりません。
子育てでお金もどんどん必要になってきます。子供には借金を残せません。
あと、残る財産は私の生命保険だけです。
命を救うはずの病院は、妻だけでなく、私の命まで吸い取ろうとするのです。
この制度を許してはならないと思います。