2001年(平成13年)1月17日
弁護士報酬敗訴者負担制度に関する決議
(決議の趣旨)
司法制度改革審議会が平成12年11月20日に発表した中間報告において基本的に導入することを提言した「弁護士報酬の敗訴者負担」制度は、市民の司法の利用を萎縮させ、国民の裁判を受ける権利を侵害するものである。最終報告においては、弁護士報酬の当事者負担を原則としつつ、敗訴者に負担させるべき法分野ないし訴訟類型を検討するという方向に改められるべきである。
(決議の理由)
第1. 中間報告における提言
司法制度改革審議会は、平成12年11月20日に発表した中間報告において、「制度的基盤の整備」の一つとして「利用しやすい司法制度」を取り上げ、その中で「裁判所へのアクセスの拡充」の方法として、弁護士報酬敗訴者負担については、基本的に導入する方向で考えるべきであり、ただ敗訴者に負担させるべき弁護士報酬額の定め方、敗訴者負担の例外とすべき訴訟の範囲や例外的取り扱いの在り方について検討すべきであるとした。
第2. 民事訴訟費用の在り方を検討する際の視点
1. 弁護士報酬を訴訟当事者にどのように負担させるかは、法論理的に一定の帰結を導き得るものではなく、それぞれの国の司法制度の成り立ちや運用の歴史のなかで形成されてきたもので、多分に法政策的判断に由来するものである。
法政策的にみて、弁護士報酬を含む訴訟費用の負担の在り方が、国民の裁判を受ける権利を実質化し、市民にとって利用しやすい司法を実現するための重要な検討課題であることに異論はない。
2. ところで、前述のとおり、司法制度改革審議会は、弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入を、「裁判所へのアクセスの拡充」のための一つの方策として取り上げている。
しかし、中間報告の中でも指摘されているとおり、弁護士報酬を原則として敗訴者に負担させることは、市民による司法の利用を萎縮させる結果をももたらすおそれがある。
3. 従って、「裁判所へのアクセスの拡充」という観点からみるならば、弁護士報酬を原則として敗訴者に負担させるについては、弁護士報酬を各自負担とする現行制度を変えてまで行う必要性が存在するのか、他方、これを変えた場合に弊害は発生しないのか、という二つの点が厳しく問われなければならない。
第3. 弁護士報酬を原則的に敗訴者に負担させる制度を導入することの積極的な必要性は存在しない。
1. 中間報告では、弁護士報酬を原則的に敗訴者に負担させるべきであるとする理由として、現行制度の下では、
@ 訴訟を必要以上に費用の掛かるものとさせ、また、法によって認められた権利の内容が訴訟を通じて縮小されることとなるので、それが、訴えの提起をためらわさせる結果となる。
A 不当な訴え・上訴の提起、不当な応訴・抗争を誘発するおそれもある。
ことを挙げている。
2. しかしながら、@についていうならば、いわれるところの権利の縮小効果(目減り効果ともいわれる)が訴提起をためらわせている点については、何ら実証的研究がなされているわけではない。また、Aについても、弁護士報酬の当事者負担の原則があるが故に不当な訴え等が誘発されているということが問題視されている現状にあるとも思えない。
むしろ、敗訴者負担を原則とすべきであるとする主張の背景には、勝訴者は、判決による確定をまたずに当然に権利者であり、敗訴者はその主張を争うべきではなかったという考えがあるものと思われる。
しかしながら、多くの訴訟で争われる権利は、訴訟手続によってその存在が確定されるのであって、訴訟手続を待つまでもなく明白であるというものはむしろ少ないのである。
民事訴訟における裁判所の判断は、両当事者から提出された証拠を、裁判所が自由なる心証に基づいて評価し、最終的に証明責任によってなされるものであって、結果としての敗訴者の主張が全て不必要なものであり、訴訟手続において争ったことに伴い生ずる必要費用を全て負担させることが合理性をもつというものでは決してない。
勝訴者が弁護士報酬を負担することがあっても、それは紛争解決に伴う費用の一つであって、それぞれが負担することがむしろ公平に合致し、弁護士報酬はそれぞれの当事者が負担することを原則とすることこそ合理性をもっているのである。
そして、もし、不当訴訟や不当抗争といわれるものがあるとすれば、そのことを不法行為としてそれに相当する責任を負わせればよいのであって、すべての提訴者・応訴者の弁護士報酬を一律に敗訴者に負担させるというのは論理の飛躍があるといわねばならない。
3. いずれにせよ、後述のように裁判の利用が不当に抑制されるという重大な懸念を超えてなお、弁護士報酬を原則敗訴者に負担させる制度に転換すべき必要性は乏しい。
第4. 弁護士報酬を原則として敗訴者に負担させる制度を導入することの弊害は甚大である。
1. 一般民事事件においては、双方に言い分があるという場合が多く、証拠の関係からも訴訟の見通しが不確実で、勝訴を確信できない事件が少なくない。
例えば、借家人が明渡し訴訟を提起された場合、信頼関係の破壊や正当事由の存否が不明確であるため、相談を受けた弁護士は、確実な見通しを言えず、相手方の弁護士報酬負担の危険を犯してまで応訴に踏み切ることには、大きなためらいが生ずるであろう。通常の貸金や取引代金の請求の事案においても、契約書を所持している相手方に対し、言い分としては十分理由があるものの証拠の裏付けの乏しい当事者は応訴を諦めざるをえないことになるであろう。
また、訴訟の見通しを考える上で従来の裁判例は重要な参考となるが、例えば、社会的にみて救済されなければ妥当性を欠くが、その被害を救済する判例法理が形成されていないケース、判例はあるものの、その判例が社会や時代の要請にあわないケースや該当事案に適用ないし準用できるのか意見が分かれるようなケース等があり、結局、裁判例を通して、勝訴の見通しを立てることも容易ではない。
加えて、医療過誤訴訟や建築紛争の当事者間にみられるように、情報の格差(証拠の偏在)や経済格差(資金力の格差)があれば、本来勝訴してもおかしくない事案で敗訴の憂き目をみることも珍しくはない。このような場合に、敗訴者に相手方の弁護士報酬を負担させることは極めて不合理である。かかる事情は、提訴前の情報開示制度の不備が著しく、提訴後の証拠収集制度も不十分である我が国の民事裁判の現状のもとでは、大なり小なり一般の民事事件にも通ずることである。
このように自らが渦中にある事件の勝訴が確信できないとなれば、敗訴した場合に相手方の弁護士報酬の負担まで強いられるという考慮が、市民に提起を萎縮させる方向で働くことは想像に難くない。この制度の導入は、結果的に、一般民事事件において市民を司法から遠ざけることになるのである。
2. また、公害訴訟や消費者訴訟といった現代型訴訟、国賠訴訟、行政訴訟、政策形成型訴訟などの分野では、著しい提訴萎縮効果をもたらす。その弊害は、甚大である。
公害訴訟や消費者訴訟などのように、実定法上の権利救済規定が不十分な法分野においては、勝訴の見込みが困難ななかで被害者の権利救済のために幾多の困難な裁判が闘われてきた。公害の分野では、イタイイタイ病訴訟、水俣病訴訟、大阪空港差止訴訟、原発差止訴訟等をあげることができる。薬害等の分野ではスモン訴訟、HIV訴訟、ヤコブ病訴訟、予防接種禍訴訟、未熟児網膜症訴訟等をあげることができる。政策形成型訴訟では、湾岸戦争訴訟や原発差止訴訟等をあげることができる。原発差止訴訟やヤコブ病訴訟は、今まさに闘われている。これらの訴訟においては、証拠の大半が加害企業や行政の手中にあるなかで、手探り状態からの提訴準備を余儀なくされる。敗訴によって、相手方加害企業や行政の代理人弁護士の費用を負担する可能性があるとなれば、生命身体を害され、経済的な困難に直面している被害者(社会的弱者)にとって、提訴は事実上不可能となるに等しい。
また、ねずみ講、豊田商事、霊感商法に代表される悪徳商法による被害救済は、提訴の段階では明確な勝訴の見通しもなく、解決に至るまで相当期間を要している。さらにサラ金・クレジット被害、先物取引被害、ワラント被害、変額保険被害、製造物責任などの消費者訴訟も、法の整備が不十分で、かつ証拠の大半が業者・企業側の手中にあるという証拠偏在のなかで、勝訴の見とおしを持てないまま、やむにやまれず提訴し、あるいは応訴することを余儀なくされてきた。同種被害が広がり、続発する状況下で、幾多の敗訴判決を重ねながら、敗訴事例の限界を法理論の上でも、証拠の上でも乗り越える努力を積み重ねてようやく勝訴判決を得て、新たな救済法理を確立するに至ったのである。その成果が、無限連鎖講防止法の制定、製造物責任法の制定、消費者契約法の制定、貸金業規制法、出資法、割賦販売法、証券取引法の改正など立法の動向にも多大な影響を及ぼしたのである。現に、先物取引に関する訴訟は揺れ動いており、変額保険訴訟はなお困難な状況にある。パイオニアともいうべき敗訴覚悟の先駆的な提訴の積み重ねなくして、これらの判例法理や法改正等はあり得なかったのである。弁護士報酬敗訴者負担制度のもとでは、それ自体がかかるパイオニア訴訟の大きな障壁となる。
これらの事情は、敗訴率の極めて高い国賠訴訟や行政訴訟においても、湾岸戦争訴訟や原発訴訟などのように国家の政策形成に多大な影響を及ぼす類型の訴訟においても、同様である。
以上に述べたような現代型訴訟や政策形成訴訟は、当事者としての実質的対等性が情報の格差(証拠の偏在)や経済的格差(資金力の格差)によって失われている紛争状況のもとで、法の不備を補って社会的弱者の権利救済の途を拓き、新たな立法を促進するなど、戦後司法のなかで重要な役割を果たしてきたし、現に果たしつつある。弁護士報酬敗訴者負担は、かかる現代型訴訟等の提訴の著しい障壁となり、提訴を萎縮させることになる。その弊害は、はかりしれない。
第5. 敗訴者負担を原則としつつ、負担額の範囲を調整し、あるいは、例外的な処理を設けるだけでは弊害を回避することは困難である。
1. 中間報告においては、弁護士報酬の敗訴者負担を基本的に導入する方向で考えるべきであるとした上で、その弊害を避けるため、
@ 敗訴者に負担させる金額は、勝訴者が実際に弁護士に支払った報酬額と同額ではなく、その一部に相当しかつ当事者に予測可能な合理的な金額とすべきである。
A 労働訴訟、少額訴訟など敗訴者負担制度が不当に訴えの提起を萎縮させるおそれのある一定種類の訴訟は、その例外とすべきである。
と提言している。
2. しかしながら、@についていえば、そもそも〃当事者に予測可能な合理的な金額〃とは実際にどのようなものをいうのか判然としない。〃合理的〃という以上、経過に鑑みれば当事者に負担させることが妥当なものということになるが、前述のとおり、訴訟の帰趨が提訴前において判り難いことは明らかであるし、その原因も多様なものなのであるから、判決の時点でも、その費用をいずれの当事者の負担に帰すべきかの判断は容易ではない。
このことは、訴訟を提起しようとする当事者の立場に立っていえば、将来敗訴した場合には、相手方の弁護士報酬の全てを負担させられる場合もありうることを前提として決断しなければならないことを意味し、当事者の訴訟提起の意欲を著しく減弱化させることになるであろう。
更に、その負担額を定めなければならない裁判所にとっても、極めて大きな負担を課すことになる。すなわち、現在、訴訟費用の負担は、概ね請求額と認容額の割合によっていると思われるが、上記の趣旨に照らせば、そのような簡便なものであってはならないことになる。すなわち、裁判所は、当該訴訟の要件事実とは別に、弁護士報酬の負担額を決めるために訴訟提起前の事情を含め、多岐にわたる事実関係を認定せねばならず、しかもその判断基準は事案毎に異なるのであるから、それが容易なものでないことは明らかである。
また、このような事情に照らせば、裁判所より弁護士報酬の負担を理由に裁判上の和解が強く要請され、当事者としても不本意ながら応諾を余儀なくされるような事態が多くなることも容易に予測されるところである。
3. 次に、Aについていえば、そもそも、前述のように、提訴の萎縮効果は、一般的な民事訴訟の全般にわたるもので、中間報告が例示しているような一定種類の訴訟に限定することそのものが不十分である。また、特殊な類型の訴訟に限ったとしても第4.2で述べたとおり、除外すべき訴訟類型は多種・多様であって、これを網羅的に挙げることは不可能といってよい。加えて、これまでの審議の経過を見ても、公益的と考えられる訴訟は片面的敗訴者負担とすべきであるとする委員がいる一方で、概念のはっきりしない公益や正義を安易に持ち込むことにはためらいがあると述べる委員がいるなど、例外を設けるべき訴訟の類型や例外とする射程を概念的に確定することも、極めて困難である。
4. 結局、中間報告が挙げる例外的な処理なるものに現実的な機能を期待することは不可能なのである。
第6. 諸外国の例
ところで、アメリカでは、我が国同様、弁護士報酬は当事者が負担するのが原則とされている。ただ、契約で弁護士報酬の敗訴者負担を合意することが認められているし、証券取引法、独占禁止法などの法律により、100以上の類型の訴訟で(片面的)敗訴者負担が認められている。
アメリカ以外の諸外国において、弁護士報酬を原則敗訴者に負担させる制度を導入しているところがあることは事実である。例えば、ドイツでは、弁護士強制主義がとられ、1名分の弁護士報酬を敗訴者が負担することになっている(例外は、労働裁判)が、このような弁護士報酬敗訴者負担が制度化されているため、権利保護保険が発達しているのである。
フランスでも、弁護士報酬敗訴者負担が制度化されているが、負担額は少額に抑制されているといわれている。イギリスでは、弁護士報酬は訴訟費用として敗訴者の負担とされているが、限定的ではあるが訴訟費用保険もあり、少額訴訟(3000ポンド以下)には適用されず、和解が多用されている、ともいわれている。また、法律扶助事件では、基金から相手方の弁護士報酬が支払われるということもある。
このように弁護士報酬敗訴者負担を制度化しているところでも、弊害回避のために、負担させる金額を抑制したり、保険制度や基金制度を整備するなど制度的配慮がなされている。
従って、提訴に対する萎縮効果などの弊害を防止するための総合的な制度の整備を図るという観点を抜きに、弁護士報酬の原則敗訴者負担を導入することは、失当である。
第7. 結 論
以上の検討から明らかなように、「裁判所へのアクセスの拡充」を通じて「利用しやすい司法制度」を実現し、国民の裁判を受ける権利を実質化するためには、弁護士報酬を各当事者負担とする原則を維持しつつ、敗訴者に負担させるべき法分野ないし訴訟類型を検討すべきである。
以 上