弁護士費用敗訴者負担制度に関する意見書
平成12年9月19日
大 阪 弁 護 士 会
(意見の趣旨)
現状の司法制度整備状況下での弁護士費用敗訴者負担制度の導入は、市民の司法の利用を萎縮させ、国民の裁判を受ける権利を侵害する。弁護士費用の各当事者負担を原則としつつ、判例の積み重ねと個別法規の改正を通じて敗訴者に負担させるべき法分野ないし訴訟類型の拡充を図り、かつ公的制度による弁護士費用の補填をする方向で検討すべきである。
(意見の理由)
第1 司法制度改革審議会における検討の方向性
1 平成12年5月30日に開かれた司法制度改革審議会の第20回の会合において、裁判所へのアクセスの拡充の一環として、弁護士費用の敗訴者負担制度を基本的に導入することについて認識が一致し、その上で、例外扱いを認めるべき訴訟類型、負担させるべき弁護士費用の定め方などの具体的在り方について引き続き検討することとなった、と伝えられている。
右は、マスコミで、「弁護士費用、敗訴側が負担 司法改革審 制度導入で一致」などの見出しで、「勝訴する見込みがありながら弁護士費用の高さなどで訴訟に踏み切れなかった人が裁判による解決を求めやすくなるとともに、乱訴や審理の不当な引き延ばしの防止が期待できる」などと報道されているところである(平成12年5月31日付朝日新聞)。
2 司法制度改革審議会が打ち出した、弁護士費用を原則的に敗訴者に負担させる制度を導入するという検討方向に対しては、日弁連消費者問題対策委員会や岐阜や奈良など各単位弁護士会、さらには消費生活相談の現場等から相次いで強い危惧を表明する意見が寄せられている。
第2 民事訴訟費用の在り方を検討する際の視点
1 弁護士費用を訴訟当事者にどのように負担させるかは、法論理的に一定の帰結を導き得るものではなく、それぞれの国の司法制度の成り立ちや運用の歴史のなかで形成されてきたもので、多分に法政策的判断に由来するものである。
法政策的にみて、弁護士費用を含む訴訟費用の負担の在り方が、国民の裁判を受ける権利を実質化し、市民にとって利用しやすい司法を実現するための重要な検討課題であることに異論はない。
2 ところで、司法制度改革審議会の位置づけやマスコミの報道でも、弁護士費用の敗訴者負担制度の導入は、「訴訟利用の促進」すなわち裁判所へのアクセスを拡充するという文脈で語られている。
しかし、前述の日弁連消費者問題対策委員会等が指摘している危惧は、弁護士費用を原則として敗訴者に負担させる制度の導入そのものが、市民による司法の利用を萎縮させる結果をもたらすことにある。我々の危惧も、この点にある。
3 従って、今次の司法改革が標榜している「市民に利用しやすい司法の実現」という観点からみて、法政策的に、弁護士費用を各自負担とする現行法の原則を転換して、弁護士費用を原則敗訴者に負担させる必要性が存在するのか、弊害は存在しないのか、が厳しく問われなければならない。
第3 弁護士費用を原則敗訴者に負担させる制度を導入することの積極的な必要性は、存在しない。
1 弁護士費用を原則敗訴者に負担させるべきだとする主張は、裁判で勝ったのなら負けた相手方に訴訟費用を負担させるのは当然ではないか、権利があって認められたのに弁護士費用の分だけは自己負担というのは理屈に合わないのではないか、といった素朴な不公平感を最大の根拠にしている。それは、何となく正義感に合致するように思えるという意味で、一般市民感情としては理解できないではない。
しかし、それは結果として勝訴した者が感じる不公平感である。敗訴した場合は、多くの場合敗訴した上相手方の弁護士費用まで負担させられるのは酷だとの認識になるであろう。事実、訴訟の勝敗の予想は、当事者が主観的に思うほど単純ではない。証拠の事前開示手続が十分に整備されていない現行制度の下では、多くの場合提訴段階で勝訴・敗訴の見込みを立てることは言うほど容易ではない。訴訟の見通しについて、弁護士のなかでも意見が分かれることも珍しいことではない。地裁と高裁で結論が逆転することも日常的に経験するところである。従って、敗訴する者が、社会的にみて、法的にみて係争したことが無価値であったということにはならない。訴訟当事者となる市民が、証拠上勝訴・敗訴が必ずしも明確にならない状況のもとで、自らが敗訴する可能性もも視野に入れた上でなお、その場合に相手方の弁護士費用を負担することを当然のこととして受け入れる状況にあるとは、考えられない。
2 弁護士費用を敗訴者に負担させる制度を導入すれば、濫訴を抑制し、裁判の利用を促進することになる、という観点についても吟味が必要である。
そもそも、我が国では濫訴現象が問題視される現状にはないし、弁護士費用の負担を考慮して提訴を躊躇うという弊害が問題視されるほど現実に発生しているとは考えられない。仮に、そのような現象が一部に存在するとしても、後述する提訴萎縮効果による弊害の方がはるかに大きいというべきである。
3 いずれにせよ、後述のように裁判の利用が不当に抑制されるという重大な懸念を超えてなお、弁護士費用を原則敗訴者に負担させる制度に転換すべき必要性は乏しい。
第4 弁護士費用を原則敗訴者に負担させる制度を導入することの弊害は、甚大である。
1 既に述べたように、一般民事事件においては、双方に言い分があるという場合が多く、証拠の関係からも訴訟の見通しが不確実で、勝訴を確信できない事件が少なくない。結果的にも、敗訴者にも一部の利があり、相手の弁護士費用を負担させるのは酷という場合も多い。
加えて、医療過誤訴訟や建築紛争の当事者間にみられるように、情報の格差(証拠の偏在)や経済格差(資金力の格差)があれば、本来勝訴してもおかしくない事案で、敗訴の憂き目をみることも珍しくはない。このような場合に、敗訴者に相手方の弁護士費用を負担させることは極めて不合理である。かかる事情は、提訴前の情報開示制度の不備が著しく、提訴後の証拠収集制度も不十分である我が国の民事裁判の現状のもとでは、大なり小なり一般の民事事件にも通ずることである。
さらに、情報の格差や経済格差の問題をおいても、社会的にみて救済されなければ妥当性を欠くがその被害を救済する判例法理が形成されていないケース、判例はあるがその判例が社会や時代の要請にあわないケース、判例はあるが当該事案に適用ないし準用できるのか意見が分かれるようなケース等でも、勝訴の見通しは容易ではない。このように自らが渦中にある事件の勝訴が確信できないとなれば、敗訴した場合に相手方の弁護士費用の負担まで強いられるという考慮が、市民に提訴を萎縮させる方向で働くことは想像に難くない。この制度の導入は、結果的に、一般民事事件において市民を司法から遠ざけることになるのである。
2 また、公害訴訟や消費者訴訟といった現代型訴訟、国賠訴訟、行政訴訟、政策形成型訴訟などの分野では、著しい提訴萎縮効果をもたらす。その弊害は、甚大である。
公害訴訟や消費者訴訟などのように、実定法上の権利救済規定が不十分な法分野においては、勝訴の見込みが困難ななかで被害者の権利救済のために幾多の困難な裁判が闘われてきた。公害の分野では、イタイイタイ病訴訟、水俣病訴訟、大阪空港差止訴訟、原発差止訴訟等をあげることができる。薬害等の分野ではスモン訴訟、HIV訴訟、ヤコブ病訴訟、予防接種禍訴訟、未熟児網膜症訴訟等をあげることができる。政策形成型訴訟では、湾岸戦争訴訟や原発差止訴訟等をあげることができる。原発差止訴訟やヤコブ病訴訟は、今まさに闘われている。これらの訴訟においては、証拠の大半が加害企業や行政の手中にあるなかで、手探り状態からの提訴準備を余儀なくされる。敗訴によって、相手方加害企業や行政の代理人弁護士の費用を負担する可能性があるとなれば、生命身体を害され、経済的な困難に直面している被害者(社会的弱者)にとって、提訴は事実上不可能となるに等しい。
また、ねずみ講、豊田商事、霊感商法に代表される悪徳商法による被害救済は、提訴の段階では明確な勝訴の見通しもなく、解決に至るまで相当期間を要している。さらに、サラ金・クレジット被害、先物取引被害、ワラント被害、変額保険被害、製造物責任などの消費者訴訟も、法の整備が不十分で、かつ証拠の大半が業者・企業側の手中にあるという証拠偏在のなかで、勝訴の見とおしを持てないまま、やむにやまれず提訴し、あるいは応訴することを余儀なくされてきた。同種被害が広がり、続発する状況下で、幾多の敗訴判決を重ねながら、敗訴事例の限界を法理論の上でも、証拠の上でも乗り越える努力を積み重ねてようやく勝訴判決を得て、新たな救済法理を確立するに至ったのである。その成果が、無限連鎖講防止法の制定、製造物責任法の制定、消費者契約法の制定、貸金業規制法、出資法、割賦販売法、証券取引法の改正など立法の動向にも多大な影響を及ぼしたのである。現に、先物取引に関する訴訟は揺れ動いており、変額保険訴訟はなお困難な状況にある。パイオニアともいうべき敗訴覚悟の先駆的な提訴の積み重ねなくして、これらの判例法理や法改正等はあり得なかったのである。弁護士費用敗訴者負担制度のもとでは、それ自体がかかるパイオニア訴訟の大きな障壁となる。
これらの事情は、敗訴率の極めて高い国賠訴訟や行政訴訟においても、湾岸戦争訴訟や原発訴訟などのように国家の政策形成に多大な影響を及ぼす類型の訴訟においても、同様である。
以上に述べたような現代型訴訟や政策形成訴訟は、当事者としての実質的対等性が情報の格差(証拠の偏在)や経済的格差によって失われている紛争状況のもとで、法の不備を補って社会的弱者の権利救済の途を拓き、新たな立法を促進するなど、戦後司法のなかで重要な役割を果たしてきたし、現に果たしつつある。弁護士費用敗訴者負担は、かかる現代型訴訟等の提訴の著しい障壁となり、提訴を萎縮させることになる。その弊害は、はかりしれない。
第5 敗訴者負担を原則しつつ、例外規定を設けるだけでは、弊害を回避することは困難である。
1 確かに、司法制度改革審議会における討議においても、例外扱いを認めるべき訴訟類型、負担させるべき弁護士費用の定め方などを引き続き検討するとして、例外を設けるべきことが示唆されている。
しかし、前述のように、提訴の萎縮効果は、これらの訴訟類型にとどまるものではなく、「敗訴者負担をさせることができない」場合を、現代型訴訟等に限定することでは不十分である。加えて、司法制度改革審議会のなかにあっても、公益的と考えられる訴訟は片面的敗訴者負担とすべきであるとする委員がいる一方で、概念のはっきりしない公益や正義を安易に持ち込むことにはためらいがあると述べる委員がいるなど、例外を設けるべき訴訟の類型や例外とする射程を概念的に確定することは、極めて困難である。
仮に、現在の判例が認める範囲を超えて弁護士費用の負担を敗訴者に求める範囲を拡充するとしても、提訴萎縮効果の弊害を回避するためには、立法技術上、「敗訴者負担をさせない」ことを原則としつつ、負担させる場合を例外的に定めるという手法をとるべきであろう。
ちなみに、アメリカでは、我が国同様、弁護士費用は当事者が負担するのが原則とされている。ただ、契約で弁護士費用の敗訴者負担を合意することが認められているし、証券取引法、独占禁止法などの法律により、100以上の類型の訴訟で(片面的)敗訴者負担が認められている。
2 確かに、諸外国においても、弁護士費用を原則敗訴者に負担させる制度を導入しているところがある。例えば、ドイツでは、弁護士強制主義がとられ、1名分の弁護士費用を敗訴者が負担することになっている。例外は、労働裁判。弁護士費用敗訴者負担が制度化されているため、権利保護保険が発達している。フランスでも、弁護士敗訴者負担が制度化されているが、負担額は少額に抑制されているといわれている。イギリスでは、弁護士費用は訴訟費用として敗訴者の負担とされているが、限定的ではあるが訴訟費用保険もあり、少額訴訟(3000ポンド以下)には適用されず、和解が多用されている、ともいわれている。また、法律扶助事件では、基金から相手方の弁護士費用が支払われるということもある。
このように弁護士費用敗訴者負担を制度化しているところでも、弊害回避のために、負担させる金額を抑制したり、保険制度や基金制度を整備するなど制度的配慮がなされている。従って、提訴に対する萎縮効果などの弊害を防止するための総合的な制度の整備を図るという観点を抜きに、弁護士費用の原則敗訴者負担を導入することは、失当である。
第6 結論
以上の検討から明らかなように、弁護士費用の負担の在り方については、「市民にとってより利用しやすい司法」を実現し、国民の裁判を受ける権利を実質化するために、弁護士費用を各当事者負担とする原則を維持しつつ、判例の積み重ねや個別法規の改正を通じて条件を具備しつつ敗訴者に負担させるべき法分野ないし訴訟類型の拡充を図る方向で検討すべきである。
以 上