国家や財界のためでなく

市民のための司法改革を

 

司法改革市民会議意見書

 

2001年1月20日

 

司法改革市民会議

目   次

 

はじめに

第1部 市民にとってあるべき司法改革……………………………1

一 司法改革の基本理念とその方向…………………………………1

 1 人間が尊重される社会のために……1

 2 司法が果たさなければならない役割……2

 3 最も大切な改革課題……3

二 市民のためのあるべき裁判官制度とは…………………………3

 1 市民にとって望ましい裁判官像……3

 (1)裁判官に必要な市民感覚・人権意識・社会経験

 (2)裁判制度の根幹は「裁判官の独立」

 (3)市民的自由の保障が不可欠

 (4)特例判事補制度は即時廃止を

 2 裁判官の自由と独立を脅かしているもの……5

 (1)最大の問題は最高裁事務総局の人事統制

 (2)事件処理数に追われ、差別人事が恒常化

 (3)裁判官会同などで裁判内容を統制

 (4)「公正らしさ」論による締め付け

 (5)日独の裁判官の違い

 3 市民のための裁判官制度を実現する具体的方策……6

 (1)判事補制度の廃止が先決

 (2)裁判官諮問委員会や公聴会制度の導入を

 (3)不可欠な給与体系と人事異動の抜本的な改革

 (4)最高裁事務総局の即時解体も

 (5)重要な裁判官の市民的自由の保障

三 市民のためのあるべき司法参加制度とは………………………8

 1 市民の司法参加の意義とその必要性……8

 (1)自由主義的な意義 

 (2)民主主義的な意義

 2 司法に市民が参加することの効果……9

 3 陪審制導入反対論とそれに対する反論……10

 (1)「精密司法」とその実態

 (2)「日本人の国民性」論

 (3)国民負担論

 (4)憲法違反論

 4 司法へのあるべき市民参加の方法と具体的な方策……12

 (1)刑事事件に本来の陪審制の導入を

 (2)民事事件にも陪審制の導入を  

 (3)なぜ参審制でなく、陪審制の導入が必要か 

四 市民のための利用しやすい裁判制度とは……………………15 

 1 最大のアクセス障害は納得できない裁判……15

 2 市民が求める民事司法改革……16

 (1)証拠偏在の是正のために

 (2)裁判官数はすみやかに倍増を

 (3)緊急に求められる行政訴訟改革

 3 市民が求める刑事司法改革……16

 (1)刑事司法の使命と役割       

 (2)日本の刑事司法の実態

 (3)国際人権規約に違反し、国際的な批判も

 (4)具体的な改革課題 

五 市民が求める弁護士制度の改革………………………………19

 1 何よりも重要な弁護士自治……20

 2 弁護士制度の改革は弁護士会の自己改革で……20

 3 弁護士へのアクセスに必要な公的資金の投入……21

六 市民が求める法曹養成制度……………………………………22

 1 市民が求める法曹像……22

 2 法曹選抜における公開性・公平性の確保……22

 3 現行司法修習制度の問題点……22

 4 人権感覚豊かな法曹の養成のために……23

 

第2部 中間報告の内容と問題点…………………………………24

一 「司法改革の基本理念と方向」について……………………24

 1 「この国のかたち」の意味するもの……24

 2 「公共性の空間」と司法の役割……25

 3 中間報告が掲げる改革の眼目……26

二 「裁判官・裁判所制度の改革」について……………………27

 1 審議会の基本認識と裁判官像……27

 2 審議会の改革の視点と具体的方策……28

三 「国民の司法参加」について…………………………………29

 1 国民参加の意義と必要性……29

 2 参加拡充の在り方……30

四 「制度的基盤の整備」について………………………………31

 1 「利用しやすい司法制度」の問題点……31

 (1)「国民」という用語のあいまい性

 (2)アクセス障害の根本原因

 (3)弁護士報酬の敗訴者負担の危険性

 (4)ADR(裁判外紛争解決手段)について

 2 「民事司法の在り方」の問題点……35

 (1)経済格差・情報格差を無視

 (2)労働事件・行政事件の先送り

 (3)迅速処理の問題性

 (4)専門家参審制の問題性

 (5)事物管轄の見直し問題

 (6)権利の切捨てにつながる「計画審理」

 3 「刑事司法の在り方」の問題点……37

 (1)効率的な公判審理を強調

 (2)監督される公的資金の投入

 (3)新たな捜査手法の導入

 (4)重点は刑罰権の迅速な実現

 (5)代用監獄の廃止などは先送り

五 弁護士制度の改革について…………………………………38

 1 弁護士の役割ー「公共性」の強調……38

 2 だれのために利用しやすい弁護士改革か……40

 3 弁護士倫理の強化と弁護士自治……40

六 法曹養成制度と法科大学院構想について…………………41

 1 中間報告の法科大学院構想……41

 2 中間報告の問題点……42

 (1)現行の法曹選抜制度と司法修習制度の理念

 (2)現行の司法試験と法学教育についての評価

 (3)法科大学院設置構想の評価

 (4)法科大学院構想の問題点

 (5)法科大学院構想の危険性

おわりに

 1 委員の偏頗性と「法の支配」の誤用

 2 両院の付帯決議を重視し、抜本的な内容の変更を

 3 本当に市民のための司法改革を実現するには

 

 

         国家と財界のためでなく

市民のための司法改革を

司法改革市民会議意見書

 

 はじめに

 

 政府に設置された司法制度改革審議会は、2000年11月20日、中間報告を取りまとめ、公表した。

 日本の司法は、新しい憲法の下で、司法権の独立(裁判官の独立)が強化され、基本的人権を擁護するとともに、違憲立法審査権を適正に行使することによって立法・行政をチェックし、社会的弱者を救済する役割を果たすことが期待されていた。ところが、実際には、戦後55年間、その与えられた大切な使命を果たすことなく、市民が違憲・違法を訴えてもその権限をほとんど行使せず、行政や立法にいたずらに追随するばかりか、企業活動を重視し、労働者や地域住民あるいは消費者など、一般の市民の権利や生活をないがしろにしてきた。

 一例をあげるならば、わが国の裁判所は、民主主義にとって一番重要な選挙における投票価値の著しい不平等を是正することなく、戸別訪問禁止などで市民の自発的な政治活動を厳しく制限する一方で、法人にも政治的活動の自由があるとして企業献金を是認することで政権党に加担し続けた。また、憲法が定める基本的人権の規定を無視し、企業が雇用者の思想・信条調査を基に差別することを容認したり、公務員の争議行為を刑事罰をもって禁止することを許すことで労働者を無権利状態に陥れた。さらに被害におびえ苦しむ住民の悲願を踏みにじり夜間の飛行や原子力発電所の運転差し止めを認めない。また、立証責任を盾に医療過誤や消費者訴訟で被害者を敗訴させ続けていることなど、その例にいとまはない。

 もし、こうした裁判が逆の結果を産んでいたら、今日の社会状況は全く違ったものになっていたはずである。政・官・財の癒着、社会の停滞など、わが国の病理現象の成因の多くは、裁判所の機能不全に帰するといっても過言でない。

 こうした司法の閉塞状況を打破し、司法本来の機能を回復するために、市民は司法が改革されることを求め、特に諸悪の根源とされる官僚司法制度を抜本的に改めるとともに、陪審制の導入による市民の司法参加を実現することによって、市民のための司法が実現することを強く期待した。

 ところがこの度の審議会の中間報告を見ると、市民の批判や要請を受けて「国民の司法参加」について一定の前向きな姿勢は示したが、裁判所の改革については透明性とか多様性といった美辞麗句を用いてはいるが、どのように改革するかについては全く具体性を欠いた内容となっている。そればかりか、中間報告は基本的には国家と財界の意向に沿った内容となっており、市民の司法改革に対する要求は巧みにはぐらかされ、実質的に拒まれているといわざるを得ない。このままでは、市民にとって司法は改善されるどころか、さらに改悪される恐れすらある。

 私たち司法改革市民会議は、2000年2月26日付けで意見書をまとめ審議会に提出したが、残念ながらその内容はほとんど受け入れられていない。このままでは司法改革に対する市民の期待は裏切られる結果になる恐れがある。

 そこで、私たちは裁判の当事者や、いわゆる司法被害者を含む多くの市民の参加を得て開催した6回にわたる会議の成果を踏まえ、以下、第1部で市民のための司法改革とはどういうものであるかを改めて提言し、第2部で審議会の中間報告の問題点を指摘するものである。

 審議会は、中間報告で「国民各位による忌憚のない意見、要望等を仰ぐ」と述べているが、本意見書を真摯に受け止め、憲法に基づいて、何よりも一般の市民の人権と生活を保障する司法制度に改革するために、私たちの意見を最終報告に取り込むことを強く要求する。

 

 第1部 市民にとってあるべき司法改革

 

 一 司法改革の基本理念とその方向

 

  1 人間が尊重される社会を

 

 中間報告は「司法制度改革の基本理念と方向」において、冒頭に「この国のかたち」を掲げた。その問題性は後に詳しく述べるが、むしろ国のあり方よりも市民の置かれている実態をふまえて、司法がどういう役割を果たす必要があるかを論じるべきである。     

 現在の我が国の労働者や消費者、一般市民が置かれている実態を見るならば、惨憺たるものがある。自殺者は中高年を中心に年間3万人を超え、過労死も後を絶たない。リストラの嵐が吹き荒れ、そのなかで、多重債務者を中心に破産件数は年間10万件を超えるに至った。若者や女性は不安定な雇用と低賃金に苦しめられ、また高齢者は年金の切り下げや低金利、それに介護保険の重圧に老後の不安を隠し切れない。国民健康保健の保険料が支払えない滞納世帯が全国で370万世帯、加入世帯の18パーセントを占めるに至り、保険証が49万世帯から取り上げられているという事実は、低所得層がいかに厳しい状況に置かれているかをよく物語っている。

 一方、国は金融機関の救済に莫大な公的資金を投入し、国と自治体は公共投資という名のばら撒き財政によって666兆円もの借金を抱えるに至っている。先行き不安から消費は落ち込み、景気は一向に好転せず、規制緩和によって競争が激化する中で、食品や自動車産業、家電製品など、安全性を最優先しなければならない業界が商品の安全性を無視して利潤獲得に狂奔し、また証券会社に続いて銀行や生保も悪徳商法顔負けの危険な金融商品を売りつけて消費者に莫大な被害を発生させている。他方、有害な科学物質や産業廃棄物、自動車公害などによって環境はますます悪化している。このようにして日本の消費者や労働者、地域住民などの一般市民の生命・身体の安全性や生活は、日々危険にさらされている。

 このように、21世紀を迎えた日本社会は、経済的にも精神的にも極めて不安定な状況にある。そうした現実を前にして、一般の市民が求めるものは、中間報告がいう「この国のかたち」などというものではなく、だれもが安心して暮らせる、一言でいうならば「人間が尊重される社会」の実現である。

 

  2 司法が果たさなければならない役割

         

 「人間が尊重される社会」を実現するために司法が果たすべき役割は、憲法が保障する基本的人権を最大限尊重し、消費者や労働者、地域住民など外国人を含む社会的弱者の権利と生活を護ることでなければならない。 

 市民間の紛争解決もさることながら、一般の市民は思想・信条・宗教・結社の自由はもとより、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、幸福追求の権利、平和的生存権が保障されることを求めており、身体の安全や財産権が侵害された場合には、その被害を速やかに回復してくれることを司法に期待している。公害や環境破壊から住民を護り、悪徳商法や企業活動がもたらす危害から消費者を護り、労働条件の改悪や過労死、それに一方的なリストラから労働者を護ることこそ、今日の司法に求められる最も大切な使命である。

 また、行政や立法機関が憲法に違反して、市民の基本的人権や民主主義を脅かしているときは、司法は違憲立法審査権を行使し、違憲状態を速やかに解消する責任がある。

 ところがこれまでの我が国の司法は、憲法が保障する基本的人権をないがしろにし、違憲立法審査権を全くといってよいほど行使してこなかった。そればかりか、行政の立場や企業の利益を守るために、行政の裁量権や営業の自由、さらには立証責任を盾にとって、地域住民や消費者を犠牲にし、労働者に企業経営の失敗のしわ寄せをしてきた。

 刑事裁判では裁判所は、警察・検察の調書をほとんど鵜呑みにし、無罪を訴えてもなかなか認めず、99パーセントを超える有罪判決を言い渡している。ところが、そうした中で4人もの無実の死刑囚を生み出し、その冤罪を晴らすのに30年もの歳月を強いてきた。

 このように日本の司法はこれまで市民に冷たく、市民のためにほとんど役立たず、閉塞状況に陥っているといっても過言ではない。そうした実態を認識し、その原因を突き止め、これをどう改革するかを論じなければ、真に改革の名に値する司法改革を行うことができないことは明らかである。

 今日の司法が閉塞状態に陥っている原因は、日本の司法が他の民主的な国家と異なり、陪審制など司法への市民参加の制度を持たないばかりか、後で詳しくみるように人事統制と裁判統制によって自由と独立を脅かされている職業裁判官によって裁判が行われていること、つまり官僚司法制度にその根本があることは、つとに指摘されているとおりである。

 人間が尊重される社会をつくるためには、司法改革は緊急の課題であるが、そのためには、司法が本来果たさなければならない役割を行使できるように改革し、市民のための司法を実現することが強く求められる。        

 

  3 最も大切な改革課題

 

 市民のための司法を実現するためには、裁判官や裁判所職員の大増員を中心にした人的基盤の拡充が必要であるが、それと同時に実務経験がなく、社会経験も乏しい判事補をいきなり裁判官として採用することを直ちに止めるとともに、全国の裁判官を統制している最高裁事務総局を解体し、官僚裁判官制度を廃止し、裁判官の自由と独立および裁判所の自治を回復することが不可欠である。そして刑事重大事件だけでなく、民事事件とりわけ国を相手方とする行政事件や国家賠償事件に陪審制を導入して、一般市民のさまざまな経験に基づく常識や意見が裁判に反映するような仕組みをつくりだす必要がある。

 裁判をより利用しやすくするために、利用者の費用負担を軽減するとともに法律扶助制度を充実することや、被疑者・被告人に対する公的な弁護制度を充実することも重要である。これらの根本的な改革がなされない限り、司法閉塞の根源とされる官僚司法制度の単なる手直しにすぎないものとなり、市民のための司法改革にはならないことは明らかである。

 後で詳しく述べるとおり中間報告は法科大学院を提起しているが、需要を無視した弁護士の大増員と同様、様々な条件が整備されない限り導入すべきでない。また、消費者の権利を護るためには懲罰的賠償制度、クラスアクション制度、団体訴権制度の導入などが極めて重要である。逆に中間報告が提唱している専門参審や弁護士費用の敗訴者負担など財界が求めている制度を導入するようなことがあれば、文字どおり財界のための司法改革となり、一般市民のための司法改革と評価することは到底できない。

                         

 二 市民のためのあるべき裁判官制度とは

 

  1 市民にとって望ましい裁判官像

 

 (1)裁判官に必要な市民感覚・人権意識・社会経験

 厳しい社会状況の中で権利意識に目覚めた市民が、現代の裁判官に本当に求めているものは、何よりも「憲法や国際人権法などを尊重する、人権感覚豊かな裁判官」、「行政権力や大企業など力の強いものの横暴から弱者を保護する勇気ある裁判官」、「検証などの証拠調べを厭わず、納得のいく判決を書く良識のある裁判官」、そして「市民の生活に精通し、市民常識を備えた裁判官」」ということになろう。つまり、民主主義社会において市民が求める裁判官像は、市民感覚を備えた、人権意識の高い、社会経験豊かな裁判官ということになる。                 

 (2)裁判制度の根幹は「裁判官の独立」

 ところで、日本国憲法は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職務を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定している。裁判官は憲法と法律に拘束されることは当然として、何よりも国家権力や社会的勢力から完全に独立しており、良心に従って自由に職権を行使することができなければならない。「裁判官の独立」こそは、憲法が明文で保障する裁判制度の根幹なのである。

 

 (3)市民的自由の保障が不可欠

 問題は、市民感覚を備えた、人権意識の高い、社会経験の豊かな裁判官をどうやって確保し、その自由と独立を守るためにどのような制度が必要かである。現在のように社会経験も乏しいまま司法試験に高い点数で合格し、わずかの実務修習しか経験していない、いわゆる「若くて優秀な」裁判官を採用し、彼らを官僚的統制システムにはめ込むようなことは、根本的に改める必要がある。裁判官の独立と市民的自由を抑圧し、自治の権限を強く制限したままで、市民感覚を持つことを要求したり、多少の人権教育や企業研修のようなことをしたりしても、本当に市民が求める裁判官になることはほとんど不可能だからである。

 そもそも、部内で子飼いから育て上げる、いわゆるキャリア裁判官制度のもとでは、ドイツのように裁判官の団体活動や市民的自由などが強く保障されていない限り、人事上の評価権を有する裁判長に迎合する事態は避けられない。

 

 (4)特例判事補制度は即時廃止を

 なお、戦後の裁判官不足の時代に「当分の間」ということで設けられた半人前の裁判官を一人前に扱う特例判事補制度を50年以上も放置してきたことは不当である。この際、「見直しを検討する」のではなく、直ちに廃止すべきである。

 

  2 裁判官の自由と独立を脅かしているもの 

 

 (1)最大の問題は最高裁事務総局の人事統制

 裁判官の自由と独立を脅かしている最大の要因は、なんと言っても裁判官の昇給や異動、部総括指名などを通じて行われている、最高裁判所事務総局を中心とした人事統制にある。

 日本ウォッチャーのひとりであるウォルフレンは、10カ国語以上に翻訳された著名な『日本・権力構造の謎』という本の中で、「現在、最高裁事務総局の司法官僚群が日本の司法全体を監督している。裁判実務に携わる裁判官ではないこうした官僚が、裁判官の任命、昇格人事、給与の決定、解任を牛耳っている」「法の番人としては最高の地位にある最高裁判事も、官僚にはかなわない」と、日本の司法の実態を海外に紹介している。こうした実態は、よほどのエリート裁判官は別として、ほとんどの裁判官が肌身に感じているものと思われる。

 現在、日本の裁判官の給与体系は23段階にも分かれ、検事もこれにならっており、徐々に昇給していく仕組みは行政組織と全く変わらない。この給与体系の下で、裁判官の給与に大幅な格差があるばかりか、思想・信条などを理由とするいわゆる「3号俸問題」といわれる昇給差別が行われている。さらに大都市勤務の裁判官には多額の手当てが支給され、大都市指向を助長している。

 

 (2)事件処理数に追われ、差別人事が恒常化

 裁判官は事件数をどれだけこなしたが成績として評価され、毎月報告することを義務付けられ、その他の勤務態度等を加味して所長による人事考課が最高裁事務総局に報告されている。裁判官は300件とも400件ともいわれる大量の事件処理に追われている。そればかりか、憲法が保障する言論・集会・結社の自由は事実上奪われた状態にある。このことは、寺西判事補事件によって明らかにされたとおりである。 

 配属は時に本人の希望が無視され、最高裁事務総局によって自由自在になされる。特に違憲判決をはじめ政府や政権党にとって好ましくないとみなされる判決を書いた裁判官は、憲法裁判や行政事件など重要事件が比較的少ない地裁支部を割り当てられるなど、差別人事が恒常的に行われている。また、裁判長や地裁所長、高裁裁判官への昇進などは、裁判所自治を無視し、最高裁事務総局の司法行政の一環として一方的に行われ、裁判官を官僚化させている大きな原因となっている。                  

 

 (3)裁判官会同などで裁判内容を統制

 重要事件は、最高裁事務総局に対する報告事件とされ、特に社会的・政治的に重要な事件については、最高裁事務総局が担当裁判官を集めてたびたび裁判官会同や協議会を開催して意見を交換させ、会議の最後に最高裁事務総局が一方的な見解を示すやり方を通じて、裁判内容に対して事実上の統制が行われている。

 

 (4)「公正らしさ」論による締め付け

 そもそも裁判官は判事補として採用される段階から差別・選別されており、これまで50人を超える修習生が裁判官になることを希望しながら、主として団体加盟や思想信条によって任官拒否されている。神坂修習生任官拒否事件について、大阪地裁は任官拒否を「公平らしさ」論によって正当化したが、司法修習生のみならず現職の裁判官も再任の際、任用を拒否されるのではないかと恐れて、社会的・政治的活動はもとより、市民との交わりをなるべく避けるなど、「公正らしさ」を装うために必要以上に萎縮した状態に陥っている。このことは、現職の裁判官や元裁判官が強く訴えているとおりである。

 

 (5)日独の裁判官の違い

 記録映画『日独裁判官物語』は、同じようなキャリア制度をとるドイツと日本の裁判官の日常生活や裁判に対する姿勢に違いがあることを鮮明に浮き彫りにしている。こうした裁判官の自由と独立を脅かすさまざまな官僚的統制のシステムの存在が、裁判所から自由闊達さを失わせ、裁判内容に深刻な影響を与える要因になっていることはこの映画が雄弁に物語っている。そして、このことが自由を尊ぶ弁護士からの裁判官任官を阻害している大きな原因である。

 こうした官僚裁判官制度を改革しない限り、市民が期待する市民常識を備えた、人権感覚豊かな裁判官を確保することは困難であるが、市民のための司法改革を実現するための眼目はまさにこの点にあることを理解すべきである。

 

  3 市民のための裁判官制度を実現する具体的方策           

 (1)判事補制度の廃止が先決

 市民のための裁判官制度を実現するためには、なによりもまず最初から裁判官として採用され裁判所の中だけで徐々に昇進していくキャリア裁判官制度、判事補制度の廃止が不可欠である。一定年数(できれば10年)以上、社会的経験を積んだ法曹(できれば市民の立場を一番理解し権力や社会的不正と闘っている弁護士)の中から、人権感覚豊かな、まさに一人前の裁判官を、民主的な手続きで選任することが大切である。そのことなしには、国家権力や社会的勢力から弱者の権利を断固として護ることのできる勇気ある裁判官を確保することは難しい。

 

 (2)裁判官諮問委員会や公聴会制度の導入を

 裁判官の任命を民主的にするためには、裁判官から自主的に選ばれた代表者や弁護士会が中心となり、市民の代表も加えた裁判官諮問委員会を創設し、それまでの実績を評価することによって、市民の期待に応える能力・識見を有するかどうか審査すべきである。特に最高裁判所裁判官の選任にあたっては、その見識や人柄を広く知ってもらうためにも、アメリカの制度を見習い、国会における公聴会制度を設けることが有効である。

 また、最高裁判所裁判官の国民審査は信任投票性を重視し、信任を可とするものに丸印を付ける方式に改める必要がある。

 

 (3)不可欠な給与体系と人事異動の抜本的な改革

 裁判官の自由と独立を確保するためには、官僚裁判官制度の根幹をなす給与体系と人事異動を根本的に改める必要がある。ドイツのように給与体系を3段階程度に平準化することは、裁判官に上下関係があってはならない以上、当然である。また、裁判官の定期的人事異動は原則的に廃止すべきである。重要な証人を調べた裁判官が、ある日突然いなくなり、新しく異動してきた裁判官が形式的に更新手続きをし、書類だけを見て判決を書くなどということがなされていいはずがない。仮に異動を認めるとするならば、本人の事情や希望を最優先し、同一高裁管内に限るべきである。 

 

 (4)最高裁事務総局の即時解体も

 エリート裁判官の牙城といわれ、人事権を通じて全国の裁判官を統制している最高裁事務総局は、即刻解体すべきである。

 司法行政は現行法で定める通り各裁判所の裁判官会議が行い、地裁所長や高裁長官の選任も選挙で選ぶことが望ましい。しかもその任期も限定し、権力が集中することを避ける必要がある。 

 

 (5)重要な裁判官の市民的自由の保障

 裁判官が市民と同じ感覚と常識を維持するためには、現行法を文字どおり適用し、裁判官にも憲法で保障された政治的・社会的・市民的自由を認め、その活動の自由が保障されなければならない。

 以上の諸改革が最低限実行に移されない限り、一般市民にとって望ましい裁判官を確保し、裁判官の自由と独立を維持することは事実上不可能であって、市民のための司法改革とは到底いえない。         

 

 三 市民のためのあるべき司法参加制度とは

 

  1 市民の司法参加の意義とその必要性                

 市民が司法に参加する根拠は国民主権から導き出される。その意義は権力者による不当な裁判から市民を護るという自由主義的な側面と、市民が司法に参加することによって市民の裁判に対する信頼と納得を得られるという民主主義的な側面がある。この両面から市民が司法に参加することの意義を正確に捉える必要がある。                         

 

 (1)自由主義的な意義 

 官僚的な職業裁判官だけに裁判を任せておくと、市民の基本的人権を尊重することよりも権力者や社会的強者の立場を重視し、治安や国家的秩序を最も大切に考えて、裁判を強権的に行うようになり、裁判自体が市民にとって桎梏になる危険性がある。自由主義的な意義は、これを防ぐために市民の参加が必要・不可欠であるという考えに基づく。             

 独裁政権によって廃止された陪審制が、スペインでは1995年に、またロシアでも1993年に復活したことは、陪審制の自由主義的な側面をよく表している。現在の日本の裁判所が、違憲の疑いが強いのに憲法判断を示すことを回避したり、行政行為の違法をなかなか認めようとしない理由や、異常なまでに高い有罪率の一方で、数々の誤判が生じている根本原因は、裁判を官僚裁判官が独占し、市民の参加を許さなかったところにあることは明らかである。

 市民が裁判手続に参加することによって、憲法原則に則って審理が適正になされ、裁判の公正さが担保される。とくに刑事裁判では「無罪の推定」が原則どおり働き、いわゆる権力犯罪についても市民の健全な常識によって誤判が防止され、違法捜査の不法が是正されるようになることは明らかである。

 

 (2)民主主義的な意義

 一方、市民が司法に参加することの民主主義的な意義は、そもそも権力は民主的な基盤の上に置かれなければならないという大原則に加え、市民が参加することによって、市民に分かりやすい言葉で審理が行われるようになり、裁判の透明性が担保されるという考えに基づく。また、裁判官も一人の人間として誤りを犯す存在であり、一人の人間の能力より衆知を集めた陪審制のほうがより間違いが少なくてすむということを重視する考えも、ここに入れてよいであろう。行政訴訟や国家賠償訴訟では、行政庁の弁解や都合よりも住民の権利が尊重され、「市民のための裁判」が実現することは間違いない。

 我が国のこれまでの裁判のように、権威を嵩にきて、専門家が市民に分からない専門用語と独特の論理を展開し、しかも行政庁の弁解をそのまま取り入れたような一方的な結論を押し付けることは、市民が参加する裁判では許されなくなる。その結果、手続ばかりか、裁判の内容も市民の常識にかなったものとなり、裁判に対する信頼が醸成され、市民の納得も得られることになる。                                     

  2 司法に市民が参加することの効果                 

 このように、「市民のための司法」は、「市民による司法」によって初めて実現することになる。さらに市民が司法に参加することによって、@観念的な法理論ではなく、具体的な行為準則に従って裁判が行われるために、具体的妥当性が得られるようになる、A適用にあたって法規範が社会規範によって検証され矯正される、B社会的弱者に対する配慮がより高まり、専門家や行政の責任が認められやすくなる、C損害賠償額が高額化する、などの効果があるといわれている。

 また、多数の市民を裁判手続に参加させるために審理を促進することが求められることになる。そのために集中審理手続きが必要・不可欠となり、事前全面証拠開示の実施や事前準備手続の充実によって裁判の迅速化が進むことになる。

 さらに、市民が裁判に参加することによる教育的効果も大きなものがある。かつて陪審は「民主主義の学校」といわれたが、市民にとって「人権と社会正義を学ぶ最良の学校」となるといってもよいであろう。

 このように見てくると、市民の司法参加、とりわけ陪審制の導入が、「市民のための司法」を実現する最も重要な試金石であり、この度の司法改革の最大の課題であることが理解できるであろう。

 

  3 陪審制導入反対論とそれに対する反論               

 陪審制については、導入に反対する最高裁判所などから、様々な批判がなされている。そのひとつが、判決の予測可能性や判決の統一性が失われ、法的安定性を欠くことになるという批判である。しかしながら、市民は画一的・硬直的な判決よりも、むしろ社会の変化や具体的事案に則した、より柔軟で社会的妥当性をもった判決を望んでいることを理解すべきである。 

 

 (1)「精密司法」とその実態

 日本の刑事司法は「精密司法」であるのに対し、陪審裁判は理由も明らかにしないから「ラフ・ジャスティス」だというような批判が、とくに現職の職業裁判官からなされることが多い。裁判官はさまざまな訓練を積んでいるのに対し、市民はマスコミの影響を受けやすく、感情に流されやすいとか、事実認定能力も劣っているので、誤判が生じやすい、ということも陪審反対論の根拠とされる。

 しかしながら、市民にとって裁判で何よりも大事なのは結論である。刑事裁判でいうならば市民常識に従って合理的疑いがある以上無罪とすべきであって、有罪とするための「精密」な理屈付けなどではないはずである。「精密司法」といわれるものの実態をみると、99.98パーセントの有罪率を支えるこれまでの刑事裁判を美化した、まさに裁判官の自己満足以外の何ものでもないといわざるを得ない。再審事件などを見ると、その中身は職業裁判官が法廷での被告人の真摯な弁解や証人の勇気ある証言を退け、捜査機関の作成した調書を丹念に読んで心証を取り、法律家独特の難しい理屈を長々と述べて被告人を有罪にすることを、「精密」と称しているだけに過ぎないことがよく分かる。

 その意味でこれまでの裁判のあり方を何ら反省せず、「精密司法」の名の下に現状を維持しようとするのは、市民を裁判手続に寄せ付けまいとする職権主義的な裁判官の自己正当化にすぎない。市民はその言葉のイメージに惑わされてはならない。

 そもそも裁判官は、法律はよく知っていても、社会的経験に乏しく、社会的常識を欠いていることはつとに指摘されているとおりであり、事実認定については特別の研修や訓練を受けていない「素人」にすぎない。もともと偏見や感情を持たない人間はいないといってもいいが、職業裁判官も例外ではなく、むしろ職業的慣れからくる偏見を持ちやすい立場にある。陪審裁判は誤判が多く、職業裁判官による裁判の方が誤判が少ないという批判については、何ら実証がなされていない。逆に、日本では現在でも死刑囚を含めた再審を求める声が後を絶たないことを重視すべきである。異様ともいえる高い有罪率の陰には、自白偏重の職業裁判官の思い込みによって冤罪に泣かされている者が多くいることは事実である。これを正すためにも陪審制を直ちに導入すべきである。

 

 (2)「日本人の国民性」論

 さらに、陪審制の反対論の根拠として、日本人の国民性や日本文化論があげられる。日本人は議論が下手で、自分の意見をはっきり言わず、大勢に押し流される傾向があるから陪審員には向かないとか、日本人はお上意識が強く、専門家である職業裁判官の方を信頼する、というのである。しかし、戦前の陪審制度や米軍施政下の沖縄での陪審員の経験、それに戦後新たに設けられた検察審査会制度の実績を見れば、日本人が陪審員に向かないとか能力が劣っているという指摘があたらず、それが一部の人々の愚民思想に基づくものであることは明らかである。

 国民性という抽象的な概念で、陪審制の是非を論じることは実証的でなく、極めて非科学的である。市民運動の中で演じられる模擬陪審のようなものであっても、真剣な議論が闘わされることは、関係した者の一致した意見である。ましてや一人の人間の運命が自分の判断次第で変えられるという場合に、はっきり意見を言わないとか、大勢に従うなどということはありえない。仮にそのような日本人がいるとしたら、そのこと自体が大変な問題であり、人権意識を向上させるためにも陪審制を積極的に導入すべきである。

 陪審を選択するかどうかは当事者本人の意思に任されるべきであるが、陪審制度が導入され、それが有効に機能すれば陪審制についての信頼が高まり、陪審を選択する者が増大するものと思われる。

 

 (3)国民負担論

 さらに、陪審員になることは市民にとって負担であり、陪審員を確保することが困難であるという意見が見られる。確かに、陪審員になることの意義を理解しないと単に負担と感じる者も出てくるであろう。しかし、その役割の重大性が分かれば納得してこれに応じ、任務を終えた後には満足感が残るというのが、陪審制を導入している国でのほとんどの陪審経験者の感想である。もちろん導入するにあたっては、陪審員に必要以上の不利益や負担を課さないように、陪審員の収入を確保したり、職場での理解を深めることが必要である。

 陪審制反対意見の中には、陪審制導入で国庫負担が増えることをあげる者もいる。陪審法廷の増改築、職員の増員、それに啓蒙・広告活動も必要になるであろう。しかしながら、日弁連の試算では、戦前の陪審法施行に要した準備費用を現在の物価に換算すると、43億円ないし104億円に過ぎない。当時から比べると、裁判所の数や事件数が増えており、民事裁判にも導入ということになると倍以上になるにしても、1機200億円といわれる空中給油機程度の金額であり、また総額7000億円といわれる地域振興券や無駄な公共事業費に比べば、たいした費用でないことがよく分かる。  

 

 (4)憲法違反論

 陪審制導入反対論の論拠としての憲法違反論が持ち出されることがある。同じような意見は、戦前、「裁判官による裁判を受ける権利」を規定していた大日本帝国憲法の下で華々しく展開されたが、最終的に退けられている。憲法学者の中には現在なお違憲論がないわけではないが、国民主権を基本原理とし、民主主義、自由主義を大原則にしている日本国憲法が、陪審制の導入を否定していないことは、憲法草案を議論した際の司法大臣の答弁からも明らかである。 憲法31条は「裁判所において裁判を受ける権利」を保障しているが、新しい憲法のもとで制定された裁判所法は、「この法律の規定は、刑事については、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」(同法3条4項)と、むしろ明文で陪審制の導入を予定した規定を置いている。また、同法案を審理した衆議院では、「陪審制度に関しては、単に公判陪審にとどまらず、起訴陪審をも考慮するとともに、民事に関する陪審制度に対しても十分なる研究をなすべし」という付帯決議をしていることを重視すべきである。

 戦後直ちに陪審制を復活しなかった方が問題で、陪審違憲論は、国民主権はもとより、民主主義や自由主義を理解しない者の、ためにする議論であることはこれらのことからも理解できるであろう。

 

  4 司法へのあるべき市民参加の方法と具体的な方策

 

 (1)刑事事件に本来の陪審制の導入を

 市民の司法参加で重要なことは、一般の市民が権限をもって裁判手続に実質的に携わることであり、市民の一部が職業裁判官の単なる補助者として、形式的に関与するようなものであってはならない。最高裁が一時打ち出した評決権をもたない参審制の導入などというのは、戦前の陪審制よりも市民の役割を軽視するものであり、絶対に認められない。

 刑事陪審については、すでに我が国でも大正デモクラシー運動の中で導入が決定され、各地で現職の裁判官や検事が参加した模擬陪審などを経た上で、1928年(昭和3年)に判検事256名を増員して実施された。

 ところが、陪審員の資格は男子で30歳以上、一定額以上の国税を納付するものに限定され、しかも治安維持法など重大事件は陪審から除かれた。そればかりか、日本の「国情」に合わせるということで、陪審員の答申は過半数で決めることとされ、しかも答申が被告人に有利な場合であっても裁判官は自由に「更新」することができ、裁判官は答申に拘束されなかった。さらに判決に対する控訴は認められず、請求陪審で敗訴した場合、陪審員の旅費や日当などの陪審費用は被告人の負担とされた。

 このように戦前の陪審制度は被告人にとって相当に不利益な「日本型陪審制」であったが、それでも16年間に484件が陪審に付され、無罪率は17,6パーセントに上った。

 しかしながら、この「日本型陪審制」は、あくまで裁判官が主体で、陪審員は「法廷の添え物」「刺身のツマ」と称されるありさまであり、次第に利用されなくなり、ついに1943年(昭和18年)、戦時を理由として「停止」されてしまった。このように日本の「国情」に合わせた陪審制は、結局は長続きせず、かえって不人気の理由となったことを忘れてはならない。

 中間報告は「特定の国の制度にとらわれることなく」「我が国にふさわしいあるべき参加形態を検討する」としているが、戦前の轍を踏むことのないよう、中途半端な陪審制や参審制を導入するのではなく、英米で実施されているような民意が裁判に反映される本来の陪審制を直ちに導入すべきである。

 

 (2)民事事件にも陪審制の導入を  

 司法の重要な役割のひとつは、行政の違法行為を監視するとともに、国や自治体が規制権限を適正に行使しているかどうかをチェックすることである。ところがこれまでの経験が示すように、官僚裁判官だけに判断を任せると、市民の立場より行政の弁解や都合を重視し、行政の裁量権を広く認めて、結局は行政追従の判決を下すだけに終わることになりかねない。

 とりわけ、裁判官・検察官の誤判事件をはじめとする公権力の行使や不作為の違法を追及する損害賠償事件、道路など公の営造物の設置・管理の瑕疵に基づく損害賠償事件、さらにはさまざまな行政事件などに、民主主義国家として市民の規範意識と正義感を反映させることは当然であり、市民のための司法を実現するには、こうした裁判手続に陪審制を導入することが必要・不可欠である。さらに国民の身体・生命・生活の安全性を確保することは現代国家の重要な役割であり、製造物責任など企業活動に伴う損害の発生を予防したり、被害を救済するなど、司法がその役割を果たすためには、市民の代表である民事陪審によって判断することが最も民主的で、市民の納得のできる結論が得られることはいうまでもない。

 銀行や証券会社など大企業の悪徳商法並みの横暴が許されたり、受忍限度論などという被害者に犠牲を強いる加害者の論理がまかりとおり、差止請求がなかなか認められないのも、官僚裁判官だけで裁判を独占しているからに他ならない。また、労働事件や公害・消費者事件など利害が厳しく対立し社会的に重大な事件や、現代型訴訟といわれる一定の事件には、民事陪審を導入することが強く求められる。ただし後で詳しく見るように、専門家参審といわれるものは市民の司法参加とは全く別のものであり、医療過誤事件など専門的な事件であっても、市民はその導入には絶対に反対せざるをえない。        

 

 (3)なぜ参審制でなく、陪審制の導入が必要か

 中間報告は、国民の司法参加は、「広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続において裁判内容の決定に主体的、実質的に関与していくことは、司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも、必要であると考える」と述べている。

 そうであるとすれば、民事訴訟に市民を参加させることは当然である。 問題は、参審制でも司法への市民参加の意義が、十分に発揮されるかである。陪審裁判では、事件毎に選挙人名簿などを用いて一般市民の中から陪審員を選び、陪審員は法律の専門家によって法廷に提出された証拠を基に、市民であればだれでも理解できる事実認定(刑事事件の場合には、裁判で調べた証拠で被告人を有罪と認定することに合理的な疑いがないかどうか)を判断することが、その任務とされている。

 ところが、参審制は、参審員は一定の要件を満たしたものの中から選任され、定められた期間、裁判所にたびたび出向き、職業裁判官と同等の立場で、一緒に裁判に関わる制度とされている。裁判事務には、陪審制における陪審員の任務とされている事実認定(有罪か無罪かの決定)の他に、法律の解釈、適応に関する専門的問題の処理も含まれる。

 しかし、参審員は通常、法律については素人であり、法律の専門家である職業裁判官と一緒に仕事をする場合、法律問題について判断を求められても裁判官と対等に議論することは極めて困難で、ほとんどの場合裁判官の言いなりになる他ないであろう。現在の裁判官だけの合議でも、日本では地位の違いからなかなか議論にならず、裁判長の意見を慮って

 体制順応的な判断になりがちであるとされるが、はたしてどれだけの見識を発揮できるか疑問である。

 参審員が本当に市民を代表するように無作為で選ばれ、北欧のように1人の裁判官と12人の参審員とが組み合わされ、しかも、参審員の職権の独立性と優位性を保障し、参審員の決定を優先させるというような制度的な保障を伴わない限り、参審員は単なる法廷の飾りものとなり、

 市民の司法参加は名ばかりのものになる恐れがある。

官僚裁判官制度を堅持しようとする最高裁・法務省は、陪審制の導入にあくまで反対し、場合によっては参審制の導入で市民側の要求を押さえようとするであろう。しかしながら、市民が司法に参加することの本当の意義と、市民に対する教育的効果を考えるならば、参審制でなく、陪審制を導入すべきである。

 

 四 市民のための利用しやすい裁判制度とは 

 

  1 最大のアクセス障害は納得できない裁判

 

 既に述べたとおり、市民と司法との距離の根源はアクセス障害にあるのではなく、現行の訴訟の質そのものにある。民事訴訟の過程と判決を市民の納得できるものとし、真に市民に役立つ司法を構築することが、制度改革の基本である。

 問われているのは、現行の裁判の質を生みだしてきた裁判所の総体としてのあり方であり、官僚司法制度の弊害である。この体質・体制に根本的なメスを入れることなくして、市民の信頼に足りる司法制度は構築しえない。

 根本的な制度改革としては、既に詳述したとおり司法官僚制度を打破するものとしての裁判官の裁判所制度の改革と、陪審制度の実現をおいてない。

 抜本的な改革実現への運動と併せて、証拠の偏在、挙証責任の壁、訴訟遂行の経済的力量の格差、形式的平等原理に貫かれた弱者に厳しい法と裁判所、市民的常識から隔絶した裁判官、これらを市民の利益のために変革し克服していく努力の積み重ねも極めて重要である。

 市民の利益のための民事司法の在り方の基本は、訴訟における構造的な経済格差・情報格差を克服して、当事者の実質的な平等を実現することにある。

その具体策としての年来の市民側の要求である、団体訴権制度の創設、クラスアクション制度の導入、懲罰的賠償制度の創設、ディスカバリー制度の採用は、差し当たり市民が企業や行政との実質的な平等を回復するために有益であり、これを実現すべきである。

 

  2 市民が求める民事司法改革

 

 (1)証拠偏在の是正のために

 証拠収集手続の拡充は証拠偏在の解消のために決定的に重要である。現行の証拠保全、文書提出命令、当事者照会などが十分でないことは明らかである。アメリカのディスカバリーをモデルとした、市民にとって実効性ある、強力な事前の証拠収集手続を創設すべきである。

 

 (2)裁判官数はすみやかに倍増を

 以上の裁判所・裁判制度の質の改善とともに、裁判所の量的な充実も不可欠である。民事司法制度を支える人的基盤としての裁判官数を当面少なくも倍増することを明確化し、これに伴う具体的な予算措置を構ずべきである。

 裁判官がその人員の不足の故にあまりにも多忙なこと、多忙な故に十分な審理ができていないばかりでなく、市民としての良識を涵養する機会にも恵まれていないことはつとに指摘されてきたところである。市民のための民事司法改革の第一歩として、十分な容量をもった裁判所を作るべきである。

 

 (3)緊急に求められる行政訴訟改革

 憲法が期待する司法の行政へのチェックという重大な役割を担っている行政訴訟の現状は、あまりに貧困である。行政訴訟の扉を限りなく狭めて市民の提訴自体を拒絶している現行制度を改め、行政訴訟における原告適格、訴えの利益、処分性についての論議を見直し、あるいは住民訴訟の出訴期間制限を改めるなどして、まず裁判所への扉を大きく市民に開け放つことから始めなければならない。

 また、裁判官と国の行政人である検事とが人事によって行き来する判検交流や、租税事件調査官の制度など、裁判の公正を甚だしく損なっている現状を改めなければならない。

 

  3 市民が求める刑事司法改革

 

 (1)刑事司法の使命と役割                      犯罪を防止し、安心して住める社会を形成することは、市民にとっても大切であるが、社会秩序を維持し、公共の利益を増進することは主として行政の役割であり、司法は少数者の権利、すなわち刑事事件でいうならば被疑者・被告人の人権を護りながら、適正手続きの保障の下に事案の真相を明らかにすることが最も重要である。 

 刑事司法によって無実のものが罪に問われることが絶対にあってはならないことはいうまでもなく、「無実の者の発見」こそが刑事裁判の最大の使命であり、役割である。罪を犯したと疑われているものの人権を擁護し尊重する社会こそが、本当に健全な社会であり、市民が安心して暮らせる社会なのである。 

 (2)日本の刑事司法の実態

 ところが、これまでの日本の刑事司法は、「絶望的」と評されるほど、被疑者・被告人の人権が無視され、公判手続が形骸化し、様々な人権侵害が引き起こされてきた。

 その最たるものが無実でありながら死刑判決が確定し、その冤罪を晴らすために30年もの年月を要した財田川、免田、島田、松山事件であるが、他にも一生を犠牲にしてようやく再審で無罪が確定した著名事件だけを取り上げても、吉田、加藤、金森、米谷、梅田、松尾事件や弘前大学教授夫人殺人事件、徳島ラジオ商殺人事件、榎井村事件などがある。さらに再審を求めている事件は、名張毒ぶどう酒事件など死刑事件を始め、枚挙に暇がない。

 死刑や無期といった重罪事件はもちろんのこと、公選法違反事件や労働争議に絡む弾圧事件から痴漢に間違われたための冤罪事件などに至るまで、長期間にわたる身柄拘束のもとで、自白を強要する過酷な取調べが常態化し、被告人の必死の弁解にもかかわらず、誤った有罪判決が下されることが後を絶たない。有罪率が99,8パーセントを占める背景には、日本の刑事司法が、被告人が事実を認めない限り保釈が認められない「人質司法」であること、公判では捜査機関が作成した調書の取調べが中心で、憲法、刑事訴訟法の保障する直接主義・口頭主義が建前だけの、自白偏重の「調書裁判」がまかりとおっていることである。日本の刑事裁判は文字どおり「有罪を確認するだけの場」になっている。

 しかも、裁判所の令状審査が警察や検察庁の言いなりに発布されていることは、令状の却下率が、わずかに0,12パーセントであることからも明らかである。

 

 (3)国際人権規約に違反し、国際的な批判も   

 日本の刑事司法について、1998年の国際人権(自由権)規約委員会は、次のように指摘した。すなわち「未決勾留が警察の管理の下で最大23日まで延長でき、早急に、効果的に司法の管理に入らず、被疑者は23日の間に保釈がゆるされないこと、尋問の時間や長さを規制する規則がないこと、勾留されている被疑者に対して助言、援助する国選弁護士がいないこと、刑事訴訟法39条第3項の規定により弁護人の接見に重大な制限があること、取調べに被疑者の選定による弁護人の立会いがない」ということで、これらを規約に適合させるように勧告した。

 そればかりか、「委員会は、刑事裁判での多数の有罪判決が自白に基づいている事実を深く懸念する」として、「強要によって自白を引き出す可能性を除去するために、委員会は警察による拘束下、または代用監獄に拘束されている被疑者の尋問は厳重に監視し、電子的手法で記録すること」を勧告し、さらに「国は弁護権が妨げられないよう弁護側が関連資料すべてにアクセスできるよう法律並びに規則を整備すること」を勧告した。

 審議会の論点整理では、[公正な国際的ルールの形成・発展に積極的にかかわっていかなければならない」という文言が見られたが、上記の勧告は、裁判官の人権教育の必要性についての勧告とともに国際的な恥辱ともいうべきものであり、早急に実現すべき改革課題である。  

 

 (4)具体的な改革課題

 被疑者・被告人の人権を保障し、適正な手続の下に真実を明らかにするためには、すでに述べたように「裁判官制度の改革」と「陪審制の導入」が最も重要であるが、その他緊急に実施すべき改革課題を列挙すると以下のとおりとなる。 (ア)身柄を拘束する場合の起訴前手続に不可欠な改革課題

  ・自白の温床である代用監獄制度を即時廃止する。 

  ・国選弁護制度を被疑者段階に拡充する。     

  ・弁護人選任権の告知を実質化し、家族など外部との連絡を保障する。

  ・被疑者の権利保護のために、弁護人立会権を保障し、取調時間を制限す   る。

  ・適正な取調を担保するために、取調状況の録音または録画を義務付け    る。

  ・不当な身柄拘束を防止するために、起訴前の保釈制度を導入する。

  ・形骸化している勾留理由開示制度を抜本的に改革するか、あるいはアメ   リカの制度にならい、予備審問手続を導入する。 

  ・勾留請求却下決定の執行停止決定を明文で禁止する。        

  ・刑事訴訟法39条3項(接見交通権の制限規定)を削除する。      (イ)公判準備及び公判手続に不可欠な改革課題

  ・真実を明らかにし、審理を促進するため検察官手持証拠を全面開示する。  ・自白法則を徹底するため、適正手続きを欠いた自白調書の取調べを許さ   ない。

  ・伝聞法則を徹底するため、刑訴法321条1項2号(検察官面前調書の   特別扱い)を削除する。

  ・違法収集証拠を排除する規定を明文化する。            

  ・証拠書類の取調べは朗読の方法によることにし、要旨の告知は禁止する。  ・被告人からの証人、検証、鑑定の申請は原則として採用することを保障   する。

  ・鑑定の繰り返しを避けるために、検察側の鑑定については制限を定め    る。

  ・証言等の正確な記録を残すために、速記制度を充実させ、当事者の秘密   を保持するため、外部速記を廃止する。

  ・裁判官の良心を保障し、問題点を明らかにするために、下級裁判所の判   決にも少数意見の記載を認める。

 (ウ)上訴並びに再審手続に不可欠な改革課題               ・迅速な裁判を受ける権利と被告人が同一の犯罪で二重に処罰の対象にな   らないという「二重の危険」の趣旨を生かすために、検察官の上訴を禁   止する。                              ・無辜の救済のために、再審事由を拡大し、証拠の新規性・明白性の要件を   緩めるとともに、再審請求審の公開、再審開始決定に対する検察官の即   時抗告の禁止などを盛り込んだ新たな再審法を定める。

 なお、被疑者、被告人ばかりか、少年事件や再審事件についても弁護体制を強化することは極めて重要であり、公的資金の大幅な増額は不可欠である。しかしながら、そのために特別の組織を設け、法務省ないし裁判所がそれを監督するようなことは、弁護活動を自粛させ自主性・独立性を損なう結果になることは明らかであり、絶対に反対する。公的資金の運営・管理は、これまでの国選事件と同様の取り扱いとすべきである。

 審議会が人権擁護を考え、市民のための司法改革を本当に目指すのであれば、最終報告には以上の改革課題を盛り込むべきである。これらを除いた改革は、治安強化のための刑事司法に向けた改悪であり、認めることはできない。

 

 五 市民が求める弁護士制度の改革

 

  1 何よりも重要な弁護士自治

 

 日本の弁護士は、戦後、新しい弁護士法のもとで、弁護士自治を獲得し、弁護士会に結集し、あるいは弁護士集団として、諸外国に例をみないほど、基本的人権の擁護と社会正義の実現に大きな役割を果たしてきた。

 その活動分野をみると、人権擁護活動としては、被拘禁者の人権問題、再審・誤判問題、公害・環境問題、平和・基地・沖縄問題、子供の人権、両性の平等、消費者の権利、高齢者・障害者の人権、外国人の人権問題、戦後処理・保障問題、医療、マスコミ問題など、あらゆる分野に及んでおり、実態調査、意見書・勧告書の作成、被害救済など、社会的要請に応じて、実に多面的で有効な活動を行っている。

 また、立法問題や法制度の改善に向けて、例えば刑法改正問題、監獄法改正要求、拘禁二法案反対運動、国家機密法反対、盗聴法反対などの運動や、民事法・商法・民訴法の改正、情報公開法の制定など、市民の人権に直接かかわり、市民生活にとって重要な問題に、様々な形で関与しており、また司法問題についても早くから取り組んできた。

 そうした活動の中で、時には行政や企業を厳しく批判し、司法当局とも激しく対立したこともあるのも事実である。しかしながら、それはあくまでも弁護士法1条が弁護士に求める基本的人権の擁護と社会正義を実現するために必要だからであり、それができたのも弁護士自治が確立しているからである。

 こうした弁護士・弁護士会の活動が、市民の人権と生活を護ると同時に、日本の社会の健全な発展にどれだけ寄与してきたか図り知れない。その意味で、弁護士制度に改革すべきことがあるとしても、弁護士自治はいささかも後退させてはならない。弁護士会が市民の要求に耳を傾け、その要求するところを会の運営や弁護士の業務に反映することは大切であるが、それはあくまで弁護士会の主体的な努力でなされるべきである。

 

  2 弁護士制度の改革は弁護士会の自己改革で 

 

 法律活動の充実や、弁護士費用の見直し、弁護士情報の公開などについて、それをどのように改革すべきかは、弁護士会が市民の声を聞きながら自主的・主体的に取り組むべきである。審議会が弁護士の実情を無視してこれを弁護士会に一方的に押し付けることは慎むべきである。

 今後、弁護士業務をめぐって依頼者の要求や不満はますます高まることは確かであり、個々の弁護士としても研鑚を積み、医師に求められると同じようなイフォームド・コンセントを尽くすことはもとより、常に最善の弁護活動を行うよう心がけ、相互批判を行うべきことは当然である。弁護士・弁護士会に対する一般市民の信頼を高めるために、弁護士会としても一般市民の意見や苦情を受け付ける窓口を設置し、綱紀・懲戒事件になる前に簡易・迅速に問題を解決することが重要である。   

 綱紀・懲戒手続についても、申立人が納得できるように、より厳格に、しかも迅速にする必要はある。しかし、綱紀・懲戒手続に外部委員を増やし、弁護士活動に干渉することを許すと、異端者や少数者の人権のために身命をかけて闘っている弁護士を牽制したり、排除することにもなりかねない。これは弁護士自治にとって致命的である。弁護士活動の在り方や、行き過ぎた弁護活動に対する社会的批判については弁護士は真摯に耳を傾ける必要があるが、基本的には弁護士会内部で相互批判を通じて正していくべきであり、懲戒などを背景に権力的に抑制すべきではない。

 

  3 弁護士へのアクセスに必要な公的資金の投入 

 

 弁護士過疎の解消や、経済的理由によるアクセス障害を無くすことは重要な課題である。しかし、弁護士人口を急激に増やしても、結局は東京、大阪などの大都市に集中し、競争が激化する中で不祥事が多発することが心配される。また、弁護士の法人化を進め複数事務所の設置を認めても、東京などの力のある大事務所が経済的に利益の見込まれる地方の中核都市に副事務所を設け、もっぱら企業の経済活動に寄与するだけで、過疎問題の解決にはほとんど貢献しないことが予測される。

 過疎対策や経済的理由によるアクセス障害の解消のために、公設事務所の設置で対応することが考えられるが、そのためには思い切った公的資金の導入が必要である。アメリカでは、常勤の公設弁護士(パブリック・ディフェンー)が全米で1万5000人近くいて、事務所も1500ヶ所以上あり、その費用として3億6000万ドルの予算が使われている。また近隣法律事務所(リーガル・サービス・コーポレイション)が貧困者が居住する地域を中心に、1200ヶ所も設置され、これにも2億7800万ドルも支出されている。また公益ローファームには、フォード財団などから多額の資金援助がなされていることは、審議会で配布された資料からも明らかである。

 審議会が、弁護士過疎問題を解消し、経済的理由によるアクセス障害を無くすことを考えているのであれば、それを実現するための、資金的な手当も含めた具体的な提言をすべきである。

 

 六 市民が求める法曹養成制度

 

  1 市民が求める法曹像

 

 裁判官、検察官、弁護士は、法曹三者と呼ばれているが、全ての法曹は国民の基本的人権の擁護と社会正義の実現をその基本的な使命とする。いつの時代においても、人権の侵害は国家権力や社会的強者によって行われるが、現代において市民の人権侵害の力を持つ強者の典型は、行政と企業である。

 従って、法曹たる者は、弱者への暖かい配慮と、強者への毅然たる態度とをあわせ持った人格でなければならない。行政の政治的権力にも、企業の経済的・社会的権勢にも対決しうる人権感覚豊かな力量ある法曹の育成こそ、市民の望むところである。

 

  2 法曹選抜における公開性・公平性の確保

 

 また法曹は、国民生活のあらゆる面での紛争に関与しなくてはならないことからみて、その選抜は多様な階層の多様な人材に対して、公平に開放されていなければならない。

 社会が複雑化し、新しい社会問題が次々と生じている今日においては、その必要性はますます大きい。若年の高学歴・高所得層にのみ開かれた選抜制度であってはならないのである。

 そのため、年齢制限や、実質的な所得による制限、思想信条による差別が持ち込まれる余地を残すことは容認し得ない。多様な人生経験を生かして法曹たらんとする志ある者の挑戦に、いつでも開かれた制度であることを保障しなければならない。

 

  3 現行司法修習制度の問題点

                    

 現行司法修習制度には、看過しがたい重大な問題点がある。それは司法研修所の運営を最高裁が独占的・排他的に行っていることから生ずる弊害を抱えていることである。

 最高裁は、司法修習生に対して厳しい管理・統制を行ってきた。とりわけ、裁判官志望者には、思想・信条を理由とする任官における差別・選別を行うことで、管理・統制を徹底してきた。最高裁の修習生管理は、司法修習修了者の中から判事補を採用するという現行の裁判官任用システムとあいまって、官僚司法制度の再生産システムを形づくっている。

 本来、市民の権利を擁護し、人間の尊厳と自由の砦としての任務に就こうとしている法曹の卵が、最高裁の「評価」を気にして極度に萎縮し、修習生の自主的研究活動さえ自由にできないという深刻な環境下に置かれていることは、法曹の健全な発達を阻害する由々しい事態である。

 

  4 人権感覚豊かな法曹の養成のために

 

 人権感覚豊かな法曹は、上からの官僚的教育で教え込まれて育つものではない。法曹を志す者が自主的研究活動をのびのびと行い、社会の実状や法的な諸問題の背景にある生の現実に幅広く接し、その中で自由闊達に意見交換をすることが保障されてはじめて身についていくものである。

 現行司法研修所において、与えられたカリキュラムを受動的にこなす作業からは、市民の立場に立った人権感覚豊かな法曹は育たない。今、緊急に求められているのは、最高裁が独占的に管理・運営する司法研修所の閉鎖的な現状を変革することである。

 司法研修所の管理・運営については、最高裁の独占的運営を排し、法曹三者が対等に運営していくことを明確に打ち出すべきである。とくに法曹一元の実現の観点からは、弁護士会の関与を抜本的に高めるとともに、学者の関与の道を開くことが重要である。

 

 第2部 中間報告の内容と問題点

 

 一 「司法改革の基本理念と方向」について

 

  1 「この国のかたち」の意味するもの 

 

 審議会は中間報告の「今般の司法制度改革の基本的理念と方向」の冒頭に、「この国のかたち」を掲げている。私たち一般市民としては、まず最初にそのことに驚かされ、同時に強い違和感を覚えざるを得ない。

 そもそも「この国のかたち」というのは司馬遼太郎の本の題名に使われて以降、ひとつの国家観を表すものとして理解されている。その内容は、同氏が賛美する明治維新後の天皇制絶対主義国家を指し、「富国強兵」へとつながるイデオロギーを内包しており、まさに中間報告がいう「着実にその国家的課題の達成に向けて歩みを進めた」時代を表す言葉に他ならない。それが「やがて混迷する時代環境に直面し、悲劇的な戦争への坂道を転げ落ちることになる」ことを考えるならば、「この国のかたち」などという言葉は、軽々に使うべきではない。

 次に中間報告書は「自由で公正な社会と個性の実現」という表題のもとに、「我々日本国民は(中略)、20世紀を終わろうとする今、膨大な財政赤字と経済的諸困難を抱え、ある種の社会的閉塞感にさいなまれているように思われる」と述べ、さらに「重い閉塞感の中で国の活力が枯渇する事態になりかねないことを思い致さなければならない」という。そして、「我が国は、このような危機感と問題意識に立って、この国が豊かな創造性とエネルギーを取り戻すために、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等を構想・具体化しつつある」が、「今般の司法制度改革はその最後のかなめ」として位置付けていることを再確認している。

 これを読むと、膨大な財政赤字や経済的諸困難が国民に責任があるような言い方であるが、それはこれまでの日本の政治と経済を支配しほしいままに統治してきた政財官界の責任を覆い隠すものといわざるを得ない。これは極めて不当であるだけではなく、審議会の目指す司法改革が市民の人権の擁護や市民生活の安定にあるのではなく、政財官界の権力的統治と大企業の経済支配をいかに強化するかがその主眼であると批判されて当然である。そのような方向での改革は一般の市民には納得できないばかりか、以下のとおり、人権擁護の理念に立って市民の権利と生活利益を保護するという司法最大の任務の軽視につながっていることを指摘せざるを得ない。

 

  2 「公共性の空間」と司法の役割

 

 中間報告は、「司法に期待される役割」の中で、「『公共性の空間』の再構築と司法の役割」という項を立て、「国民の権利、自由の主張は、単なる私的利益に係わるものとだけ受け止められるべきではない」「司法部門は、政治部門と並んで、まさに『公共性の空間』を支える柱として位置付けられるべきものである。身体にたとえて、政治部門が心臓と動脈に当たるとすれば、司法部門は静脈に当たる」とする。そして中間報告は「行政改革会議の『最終報告』は、『公共性の空間』は、決して中央の独占物ではないことを強調した。既に触れた政治改革、行政改革等の一連の改革は、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へと転換する中で、豊かな『公共性の空間』を築き、心臓と動脈の余分な付着物を取り除き、その本来の機能の回復・強化を図ろうとするものである」と述べている。 

 「公共性の空間」という、あまり聞きなれない言葉を用いて、この部分が何を言おうとしているのか今ひとつ分からないところであるが、この度の司法制度改革が行政改革と対を成すものとして位置付けていることだけはこの文脈からもよく分かる。しかも「公共性の空間」とは、行政改革会議の報告でも用いられた、個人の人権を抑えて個を公ないし国家に従属させようとするキーワードでもある。中間報告の、「『この国のかたち』の再構築に当たって、動脈と静脈の機能的調和を図ることが強靭な身体にとって不可欠であることを我々は強く認識する必要がある」という指摘と合わせ考えると、審議会が極めて強い国家主義的な特異な思想に導かれ、政治的な思惑で司法改革を断行しようとしていることは明らかといわざるをえない。

 次に中間報告は「『国民の社会生活上の医師』としての法曹の役割」という項を立て、「司法(法曹)には、個人や企業等の諸活動に関連する種々の問題について、法的助言を含む適切な法的サービスを提供する」等々を述べ、さらに「我が国が、通商国家、科学技術立国として生きようとするならば、国内はもとより地球的規模の経済市場が公正かつ透明なルールを基礎として発展を続けることが不可欠であり、そのような内外のルールの形成、運用の様々な場面に我が国の司法(法曹)が積極的に関わっていくことが極めて重要である」とする。 「社会生活上の医師」というような、一見、もっともらしい言葉を用いているが、その内容は企業活動へのサービスが中心で、しかも我が国が発展するために地球的規模の経済市場を形成し、海外進出することの重要性を説いていることに注目する必要がある。

 そもそも、法曹は医師とは違って、強大な国家権力や社会的な不正と真正面から立ち向かい、一般市民の基本的人権や社会正義を守ることに本来の役割がある。中間報告はそのことを捨てて、法曹を単に紛争を予防したり、私人間の争いを解決したりするだけの存在であるかのように位置付けていることにも問題がある。医師と違い、司法制度には裁判所、検察庁という国家権力が中枢を占めていることも忘れてはならない。

 さらに中間報告は「『国民が支える司法』の実現」という中で、「21世紀のこの国の発展を支える基盤は、究極において、我々国民一人ひとりの創造的な活力と自由な個性の展開、そして他者への共感に深く根ざした責任感をおいて他にない」と述べ、「司法の再構築に向けての具体的ステップを大胆に踏み出すべきである」とする。ここでも「国の発展」が主眼で、個人はそれを支える存在であると位置付けられており、司法が市民のために存在するのではなく、国民が司法を支えるという構図が示されていることに注目する必要がある。

 以上に指摘したように、中間報告は極めて国家主義的で、司法の役割を経済発展に奉仕させる経済最優先の発想に立っていることがよく分かる。しかし、このような発想は、人権保障・憲法保障の任務を司法に託した憲法とは全く異質であり、憲法の理念とは明らかに対立するものであって、私たちはこれを認めることができない。審議会は、司法改革の基本に立ち帰って、中間報告の基本理念部分を全面的に書き替えるよう強く要求する。

 

  3 中間報告が掲げる改革の眼目

 

 審議会の中間報告では、これまでの日本の司法の実態を何ら直視せず、問題点を分析しないまま、以上の「基本的理念」の上に、改革の眼目として、人的基盤の拡充、制度的基盤の整備、国民的基盤の確立を掲げている。そして、まず最初に人的基盤の拡充として、「年間3,000人程度の新規法曹の確保」を提起し、新たな法曹養成制度として「法科大学院」を積極的に打ち出している。

 個別の問題点については後に詳しく検討するが、いわゆる法曹一元や国民の司法参加などについては消極的な姿勢を示しながら、裁判遅延の最大の原因である裁判官の増員については具体的な数字を示そうとしない。ところが新規法曹者を早期に年間3000人確保するという具体的な数字を示しながら、それがなぜ必要か合理的な根拠は明らかにしていない。

 

 二 「裁判官・裁判所制度の改革」について

 

  1 審議会の基本認識と裁判官像

 

 官僚司法制度を廃止し、市民のための司法改革を実現するために、日弁連など在野法曹は、明治時代から一貫して「法曹一元」の導入を求めてきた。ところが中間報告は「法曹一元という言葉は多義的である」としてこれを退け、法曹は「相互の信頼と一体感を基礎としつつ、国家社会の様々な分野でそれぞれ固有の役割を自覚しながら幅広く活躍することが、司法を支える基盤となる」と述べて、法曹の一体性を強調し、官僚司法制度の弊害やその抜本的な改革の必要性について言及することを避けた。

 そして「判事補制度を廃止する旨の意見もあったが、少なくとも同制度に必要な改革を施すなどして高い質の裁判官を安定的に供給できるための制度の整備を行うこと、国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から、裁判官の任命に関する何らかの工夫を行うこと、裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高める観点から、裁判官の人事に透明性や客観性を付与する何らかの工夫を行うことなど」について「大方の意見の一致をみた」とする。

 この部分を読むと、国民の裁判官に対する信頼感や、裁判官の独立性に対する国民の信頼感が低いことを審議会としても不十分ながら一応は認識し、信頼感を高める必要性があることについて自覚しているようにもみえる。

 しかし問題なのは、国民がなぜ裁判官に対する信頼感や裁判官の独立性に対する信頼感を失ったかを明らかにし、その上で単なる表面的な信頼感だけでなく、本当の信頼を取り戻すにはどうしたらいかについて、具体的な方策を示すことができるかどうかである。

 中間報告は、後で述べるようにその方策を具体的に明らかにせず、ただ単に審議会委員から、「人間味あふれる、思いやりのある、心の温かい裁判官」などといった、様々な意見が出たことを紹介し、「少なくとも、裁判官は、その一人ひとりが、法律家としてふさわしい多様で豊かな知識、経験と人間性を備えていることが望ましいとの共通認識を得るに至った」と述べているにとどまっている。

 審議委員の言葉に則して裁判官に抱く理想像を裏返すと、これまでの裁判官が、いかに「人間味が薄く、思いやりがなく、心の冷たい」「法廷の上から人を見下す、訴訟の当事者の話に熱心に耳を傾けたり、その心情を一生懸命理解しようと努力しない」「何が事案の真相であるかを見抜く洞察力や、事実を的確に認識し、把握し、分析する力がない」「人の意見をよく聴かない、広い視野や人権感覚を持たず、当事者の言い分をよく理解しない、予断を持たず公平な立場で間違いのない判断をしようと努力しようとしない」かが、よく分かる。

 そのような裁判官がどうして生まれたのか、その根本原因は何なのかの分析なしに、国民の信頼を回復するための裁判官制度や裁判所制度の改革は、絶対に不可能である。審議会は、裁判官の独立性・主体性の後退を生んできた官僚司法制度、その中枢装置である司法官僚制に批判のメスを当て、その抜本的改革(解体)を行う方向を具体的に打ち出すべきである。

 

  2 審議会の改革の視点と具体的方策

 

 中間報告は、「裁判官制度の改革」についての「改革の視点と具体的方策の検討の方向性」として、@給源の多様化、多元化を図ること A裁判官の任命に関する何らかの工夫を行うこと B裁判官の人事制度に透明性や客観性を付与する何らかの工夫を行うこと、という諸課題について改革を行うべきことで「大方の一致を見ることとなった」とする。

 そして、@については、「判事の給源としての判事補制度の改革を含め、知識、経験等の多様化を制度的に担保する仕組みを構築することが今後検討すべき改革の方向であると考える」とし、「特例判事補制度については、その問題点を踏まえ、見直しを検討することが必要である」とする。

 給源の多様化、多元化という官僚がよく用いる無内容な言葉を並べているが、具体的方策とは名ばかりで、その内容には全く具体性がないことは一見して明らかである。方向性を示しただけなので、「具体的な方策の検討の方向性」という表題を用いたと弁解するのかもしれないが、それにしても、40回近い会議を重ねながら、このような重大な問題について、「何らかの工夫を行うこと」という言葉を連ねるだけで、問題点がどこにあるかも明らかにせず、何ら具体的な方策も打ち出せずに、単に方向性を示すだけに終ったことは理解に苦しむ。このような状態では、むしろ裁判官制度を本当に改革する気はないのではないかと考えざるを得ない。

 Aの「裁判官の任命手続の見直し」について、中間報告は、「国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から」次の三点をあげている。

 ・判事に任命されるべき者の指名について、透明性、客観性、説明責任を確  保するための方策(例えば、選考のための基準の明確化や手続きの整備等)

 ・判事に任命されるべき者の指名過程に国民の意思を反映させるなど資格審  査の充実を図るための方策(例えば、国民の代表等を含む機関が指名過程  に関与する制度の整備等)

 ・最高裁判所裁判官の選任等の在り方

 これらは、一見して明らかなように、いずれも抽象的でいまだその内容は判然としない。例えば選考基準を10年以上の弁護士経験を有するものとするか、法曹養成過程を終了し二回試験に合格したものとするかでは雲泥の差がある。また、手続きについてもどのように透明性を確保するのか、国民の代表者を具体的にだれと考えるか、裁判所自治との関係を同設定するかなどによっても評価は全く違ってくる。

 国民の裁判官に対する信頼が低いことを考えて、期待をもたせるような言葉を用いて、見直しの方向性を示したからといって、具体的な方策をきちんと示さない限り最高裁のこれまでの姿勢から判断して、実行に移されることはほとんど期待できない。

 そのことは、Bの裁判官の人事制度の見直しについても同じである。中間報告は、「裁判官の人事評価や報酬、補職・配置等について、透明性、客観性を確保するための方策(例えば、評価のための基準の明確化や手続きの整備等)」というだけで、どのようにして透明性・客観性を確保し、基準の明確化や手続きを整備するのか、何ら明確にされていない。

 裁判官の人事評価等がこれまで不透明で客観性を欠いていることを認め、審議会が人事制度の見直しに触れただけでも前進であるという評価もあるが、具体的にどのようなものが想定されているか全く分からない段階で、何かを期待して評価するのはあまりにも楽観的といわざるを得ない。単に期待できないばかりか逆に、評価基準の明確化や手続整備の名の下に、これまで密かに行われ、裁判官の独立性・主体性の後退を生んできた裁判官勤務評定を制度化し、強化することになるのではないかということも危惧される。これは裁判官の独立の観点からみて由々しき事態である。    

 

 三 「国民の司法参加」について

 

  1 国民参加の意義と必要性

 

 中間報告は、「21世紀の我が国社会において、国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められ」ているとする。そして「国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、『公』を担う国民が、自立性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加(関与)できるようにする」こと、さらに「司法ないし裁判の過程が法律専門家以外の国民に分かりにくいと指摘がなされているが、国民が法曹とともに司法の運営に広く関与するようになれば、司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる」ことをあげている。

 そして、中間報告は昭和3年から18年までの間、我が国でも陪審制度が実施されたことに触れ、現行の司法参加制度として調停制度、司法委員、検察審査会等があることをあげつつ、「司法全体としては、国民が司法運営に対し参加(関与)し得る場面はかなり限定的である上、参加(関与)の場面で国民に与えられている権限も限定的である」ことを認めた。その上で「国民の司法参加に関する我が国のこれまでの経験や参加の対象となる手続等の性質をも踏まえつつ、適切な参加の仕組みを総合的・多面的に検討していく必要がある」とする。

 このように、中間答申が指摘する「国民の司法参加拡充の必要性」は、国民の公共意識を醸成することや、『公』を担う国民の責任ばかりが強調されている。他方、民主主義社会にとって市民が司法に参加することがいかに不可欠であり、司法への市民参加がないことによって現在の司法にどのような弊害が生じているかについての認識が全く欠落している。すでに詳しく述べたとおり、市民の司法参加の意義はもっと本質的で多面的であり、その役割は決定的に重要であることを認識する必要がある。そうでないと、現在の国民関与の場面や権限が限定的であるといいつつ、結局はこれまでとたいして違わない限定的かつ中途半端な参加形態の導入で事足れり戸する恐れがある。これは100年の禍根を残すものであって、私たち市民は絶対に認めることができない。

 

  2 参加拡充の在り方

 

 中間報告は、「参加拡充の在り方として」、@裁判手続きへの参加、A裁判官選任手続き過程等への参加、B裁判所、検察庁、弁護士会運営への参加、Cその他をあげている。司法への市民参加が、これまでほとんど裁判手続に関して論じられてきたことからすると、裁判所、検察庁、弁護士会運営への参加などはいかにも唐突であり、焦点をぼかしたような印象をもたざるを得ない。

 それはともかくとして、「裁判手続への参加」の中で、中間報告は、「裁判過程がより国民に開かれたものとなり、裁判内容に国民の健全な社会常識が反映されることによって、国民の司法に対する理解・支持が深まるようにするためにはどのような制度が望ましいかという観点が重要」であり、また「国民が、法曹とのコミュニケーションを通じて訴訟手続に参加していく中でその主体性をいかに確保していくかという観点もまた重要である」ことを指摘する。

 そして、「陪審・参審制度にも見られるように、広く一般国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続において裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地が必要である」ということについて、「現段階において」合意するに至ったことを述べている。

 中間報告のこの部分は、「現段階において」とわざわざことわっていることから、今後、後退する心配がないではないが、市民が裁判手続に参加することの意義と必要性を指摘しており、一応は評価してよいであろう。

 問題は、そのように指摘しながら、最後に、「今後、欧米諸国の陪審・参審制度をも参考にし、それぞれの制度に対して指摘されている種々の点を十分吟味した上、特定の国の制度にとらわれることなく、主として刑事訴訟事件の一定の事件を念頭に置き、我が国にふさわしいあるべき参加形態を検討する」とする点にある。どのようなことを「吟味」し、「我が国にふさわしいあるべき参加形態」として具体的にどのような制度を提起するのか、全く不明であることから、これだけでは正確に評価することはできない。

 むしろこの文脈からすると、今後は、各国で実施されている陪審や参審制度の欠点をあげつらい、「我が国にふさわしい」ということで、市民の司法参加とは名ばかりの、いかにも「日本的」な、形だけの独特の制度が生み出される危険性すら感じられる。市民の司法参加については、最高裁判所が抵抗の姿勢を示し、戦前の陪審制より後退した「評決権のない参審制」を提起したこともあり、また法務省も陪審制でなく参審制の導入を主張しており、予断は許されない。

 

 四 「制度的基盤の整備」について

 

  1 「利用しやすい司法制度」の問題点

 

 中間報告は、「国民にとって分かりやすく、利用しやすい司法制度の構築」を標榜し、その具体化策として、「弁護士へのアクセス拡充」「法的サービスの内容の充実」「裁判所へのアクセスの拡充」「民事法律扶助の拡充」「ADRの充実・活性化」「司法に関する情報公開の進捗」「分かりやすい司法の実現」等の項目を建てて、提言を連ねている。しかし、中間報告が市民の視点を踏まえて、真に市民にとって「利用しやすい司法制度の構築」を提言していると言えるのか、大いに疑問である。

 

 (1)「国民」という用語のあいまい性

 中間報告は、司法の利用者として「国民」という用語を一貫して使用している。この用語は、企業と労働者、事業者と消費者、財界と一般市民とを混然と包含するものである。つまりは、経済的・社会的な強者と弱者とを区別することなく、形式的に対等な「司法ユーザー」とみなしていることを物語っている。

 経済的・社会的弱者に格別の配慮なく、「国民」に利用しやすい制度的基盤を整備するという発想は、実のところ、弱者の権利救済を実現し、擁護し、充実すべき法や司法本来の役割を放棄するものと言わねばならない。

 

 (2)アクセス障害の根本原因

 中間報告は、国民の司法へのアクセスの拡充を強調する。アクセス障害の除去が望ましいことは当然としても、司法の病理の根源がアクセス障害にあるものと見間違ってはならない。司法を市民から遠ざけている最大の原因は、司法が市民に役立つものとなっていないことにある。訴訟における審理の過程と判決の結論が市民の納得できるものとなっていないからこそ、市民は司法にアクセスする意欲を持ち得ないのである。

 リストラされた労働者も、製品事故に遭った消費者も、悪徳商法の被害者も、医療過誤被害の患者も、そして公害に苦しむ住民も、税務調査に納得できない納税者も、訴訟で市民側が勝利することの困難さを正確によく知っているからこそ、軽々に提訴に踏み切れないのである。

 証拠の偏在、挙証責任の壁、訴訟遂行の経済力の格差、形式的平等原理に貫かれ弱者に厳しい司法手続き、市民的常識から隔った裁判官、これらを市民のための民事司法に変えることなくして、「アクセスの拡充」策が市民の望む司法制度を実現することにも、市民の司法利用を促進するものにもなり得ない。

 また、司法へのアクセスを論ずる際に、社会的弱者としての市民の対企業・対行政の争訟の類型を念頭において、この類型の訴訟提起を促進する方向で論議することが必要である。具体的には、リストラ・賃金不払い・不当労働行為・労災・職業病・性差別・セクハラ等々の労働事件、税務訴訟・住民訴訟を始めとする各種の行政訴訟、国家賠償訴訟、公害・環境・生活侵害事件、製造物責任・取引型不法行為・多重債務問題等々の消費者事件、医療過誤・薬害訴訟、欠陥住宅訴訟等々の諸事件においてこそ、アクセス障害を取り除いて提訴数を増大し、市民の権利を拡大しなければならない。「真に市民に役立ち利用しやすい民事司法」の実現が最大の課題である。

 

 (3)弁護士報酬の敗訴者負担の危険性

 中間報告が市民に利用しやすい方向を目指しているかについて、疑問を呈せざるを得ないことを象徴するものが、中間報告が原則導入を明言した弁護士報酬の敗訴者負担制度である。この制度は、市民の側からの行政や企業に対する訴訟の提起を著しく萎縮させ、抑制する効果を持つ。市民にとって、現行制度の明らかな改悪であり、断じて許容できない。

 中間報告は、弁護士報酬の敗訴者負担制度を導入する積極理由として、現行の各自負担の制度が「訴訟を必要以上に費用のかかるものとさせ」「法によって認められた権利の内容が訴訟を通じて縮小されることとなるので、それが訴えの提起をためらわせる」結果となっていると述べている。つまりは、現行制度では、せっかく勝訴しても、勝訴者が弁護士報酬を負担しなければならず、これが民事訴訟提起を躊躇させる一因となっており、敗訴者から弁護士報酬を取りたてられる制度にすれば民事訴訟が増加する、という発想である。

 しかし、これまで長い歴史を持つこの論争で、弁護士報酬の敗訴者負担は、「濫訴・濫上訴防止」の効果をねらって提案され、それだからこそ批判されて実現を見て来なかったものである。「濫訴」を防ぐ名目で、実は市民が司法の利用を抑制するのが、弁護士報酬の敗訴者負担制度の最大の目的であり効果である。しかも大きな司法を目指すはずの司法制度改革審議会が、小さな司法維持策の道具を採用するとしたことは、大きな矛盾と言わざるを得ず、とうてい理解しがたい。

 敗訴者負担制度の導入が、「一定種類の訴訟」について「不当に訴えの提起を萎縮させるおそれのある」ことは、「中間報告」自身も認めているとおりである。問題は、「一定種類の訴訟」とは何かにある。

 弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入は、確実にある種の類型の提訴の増加をもたらす。それは、提訴前から証拠資料が手中にあり、法的構成も単純で判例も確立しており、勝訴の確実な訴訟の類型であり、貸金業者の貸金請求訴訟やクレジット会社の立替金請求訴訟がその典型である。

 これに対して、勝訴が確実とは言えない訴訟については敗訴者負担は確実に萎縮効果をもたらす。証拠が手中にない訴訟、判例が確立しているとは言えない訴訟、事案が複雑で勝訴に確信を持てない訴訟、勝敗は二の次として不当な行為を裁判で明らかにし批判し法的に正そうとする訴訟等々である。このような最も市民が切実に市民の利益擁護のために必要とする訴訟類型が、「不当に訴えの提起を萎縮させるおそれのある」「一定種類の訴訟」に当たることになる。

 証拠が偏在している事件で、証拠を手中にしている強者の側の提訴は促進され、弱者の側には裁判をためらう萎縮効果を及ぼす。判例を切り拓いて行こうとする訴訟は萎縮する。複雑で、勝ち味の薄い訴訟は提訴段階から切り捨てられることになる。新たな行政や立法を促すことを目的にした政策形成訴訟は、姿を消すことになるだろう。

 中間報告は「労働裁判、小額訴訟など敗訴者負担制度が不当に訴えの提起を萎縮させるおそれのある一定種類の訴訟は、その例外とすべきであると]と付言する。しかしながら、労働裁判や小額訴訟に限らず、総じて、公害・消費者・医療過誤・行政訴訟・国家賠償等々の訴訟は、確実に減少する萎縮・抑制効果をもたらすことにならざるを得ない。とりわけ、先駆的な訴訟、不合理な判例にチャレンジする訴訟の提起は困難を極める。これらの訴訟類型においては、勝訴の確信あって提訴に至るものではなく、訴訟手続で模索的に証拠を収集し、法的な構成も次第に緻密化してようやく勝訴に至ることが常態だからである。「敗訴の場合は、被告側弁護士報酬も負担」ということになれば、これらの提訴が激減することは目に見えているのである。また、敗訴判決の積み重ねが判例の変更を促し、また制度や約款の改正に至っている実状も見なければならない。

 このように見てくると、弁護士費用の敗訴者負担制度導入の提言は、企業や行政にとって不都合な市民側の提訴の抑制効果をねらっているものとしか考えようがない。この制度導入を掲げている限り、司法制度改革審議会は、「行政や企業の立場に立ってこれを擁護し市民の立場をないがしろにしている」との批判・非難を受けて当然といえよう。それが市民の利益を大きく損なうことはもちろん、市民の側の事件に依存している弁護士層へも打撃となるのである。

 「中間報告」は、敗訴者負担の「例外とすべき訴訟の範囲と例外的取扱の在り方」について検討するとしているが、例外の範囲の設定が技術的な困難に行き当たることは目に見えている。私たち司法改革市民会議は、敗訴者負担の原則自体を撤回するよう、強く要求する。

 

 (4)ADR(裁判外紛争解決手段)について

 中間報告はADRの拡充・活性化を提言しているが、これを司法の容量拡大を制約する論拠にしてはならない。市民の要求は、まず第一に「司法の中核たる裁判機能」の拡大・充実にある。十分な予算措置の実現による裁判官増員を中心とする人員の拡充と物的施設の充実こそが求められているのであって、それを抜きにした「ADRの充実・活性化」には、疑問を呈せざるを得ない。

 目標とすべきは、ADRで言われる簡易・迅速・低廉等のメリットを、訴訟手続で実現することにある。この理念を実現する改革努力をないがしろにしたまま、司法予算や人員拡充を抑制して、「ADRとセットになっての大きな司法の実現」との言い訳を許してはならない。

 

  2 「民事司法の在り方」の問題点

 

 (1)経済格差・情報格差を無視

 中間報告は「国民の期待に応える司法制度の在り方」との項目を設けて、「民事司法に対する国民の期待」「民事訴訟の充実・迅速化」「専門的知見を要する事件への対応強化」「民事執行制度の強化」「司法の行政に対するチェック機能の強化」を挙げている。

 市民のための民事司法の在り方は、訴訟での構造的な経済格差・情報格差を解消して、実質的な平等を実現することにある。その具体策として市民の側からの年来の要求である団体訴権の創設、クラスアクション制度の導入、懲罰的賠償制度の実現、ディスカバリー制度の採用等々の提案については、「その他」ということで、いかにも付け足しのように扱われており、極めて不当である。

 審議会は、市民のための司法改革を標榜する以上、経済格差や情報格差を少しでも少なくするために、こうした制度を直ちに導入するよう提言すべきである。

 

 (2)労働事件・行政事件の先送り

 中間報告はどういうわけか労働事件と行政事件の検討を先送りし、中間報告に盛り込むことを避けた。そもそも労働事件と行政事件は、消費者事件とならぶ市民の立場からの最大の関心事であり、市民が司法に期待するところの大きな分野である。にもかかわらずこうした取り扱いをしたことは、結局のところ、労働事件と行政事件の改革については、中間報告に盛り込んで市民の批判を仰ぐことを回避したものであり、極めて不当である。

 知的財産権問題については大きく紙幅を費やしながら、労働事件と行政事件の検討は先送りするという、審議会の露骨な経済よりの姿勢は厳しく批判され、改められなければならない。

 

 (3)迅速処理の問題性

 中間報告は、繰り返し民事訴訟の迅速化を強調している。しかし、市民が民事訴訟に求める理念は、迅速化それ自体を第一義とするものではなく、あくまで権利の正当な実現が第一義なのである。

 市民が提起する民事訴訟において、権利の実現は訴訟の迅速とは必ずしも一致しない。とりわけ証拠が偏在するような事件や専門性の高い分野の訴訟においては、証拠収集や専門知識の検索・習得、協力者としての専門家との接触等々に、市民側は決定的なハンディを背負っており、勝訴のためには相当の時間を費やさざるをを得ない現実がある。形式的平等ルールに基づく一面的な迅速化の強調は、市民の権利救済にとって危険なもっている。

 

 (4)専門家参審制の問題性

 中間報告は、「専門的知見を有する事件への対応強化」のために専門家の活用が必要として、専門委員制・専門参審制の導入を検討課題としている。しかし、市民がかかわる医療過誤・建築紛争・製造物責任訴訟等においては、両制度とりわけ専門参審制の導入には強く反対せざるを得ない。

 これらの制度においては、誰が専門委員・専門参審員になるかで、経過不透明なまま訴訟の帰趨が決せられることになりかねず、しかも現実は、企業側・医療側に与する専門家の意見がまかり通る危険性が高いからである。

 中間報告には、専門参審制への反対世論を反映してか、批判点についても触れられてはいる。しかし、最終的には「専門家の手続関与を認める制度として、専門参審制・専門委員制度などが考えられるが、‥それぞれ専門性の種類に応じて、個別に検討すべきである」と纏められている。市民の視点から反対の立場を堅持しつつ、今後の具体的な制度構築を注意深く見守っていかねばならない。

 

 (5)事物管轄の見直し問題

 中間報告は、「利用者の利便」の観点から、地方裁判所の事物管轄の一部を簡易裁判所・家庭裁判所へ移行させる内容の見直しを提案している。

いうまでもなく簡裁・家裁は、それぞれ独自の理念のもとに設立され、この理念のもと管轄も定められて運営がなされてきた。地裁と異なる簡裁・家裁それぞれの設立・運営の理念は肯定できる。

 利用者の「利便」という要請による管轄の見直しが、一方簡裁・家裁設立の理念をないがしろにすることとならないか。また一方、地方裁判所の本来的な機能を弱体化することにならないか、慎重に見極めが必要である。

 

 (6)権利の切捨てにつながる「計画審理」

 中間報告は「計画審理」を強調しているが審理の促進は、市民の側に権利の切り捨てをもたらすおそれがある。それぞれに個性のある諸事件を、一律に計画審理の名のもとに訴訟促進を図ることには、慎重でなければならない。

 とりわけ、証拠の偏在についての抜本的な対策がないまま審理期間を法定化することは、不公正な事態を固定して性急に市民の権利を切り捨てるに等しく、反対せざるを得ない。

 

  3 「刑事司法の在り方」の問題点

 

 (1)効率的な公判審理を強調

 中間報告は、「国民の期待に応える刑事司法の在り方」において、「公正な手続を通じて、ルール違反に対するチェック、効果的な制裁を科すことが一層強く求められている」ことを強調している。そして、「効率的かつ効果的な公判審理の実現を図る」ために、@弁護人の専従体制の確立、公的弁護制度、法律事務所の法人化によって人的体制を整備するとともに、A第一審の審理期間や公判期日の開廷間隔を法定する、B 争点の明確化のために裁判所が主体的に関与する、C証拠開示のルールを定める、D裁判所の訴訟指揮権の実効性を確保する、E直接主義、口頭主義の精神を踏まえ公判を活性化する、F捜査・公判手続の合理化、効率化を図るために有罪答弁(アレインメント)の導入を検討する、などの方策を提示した。 

 

 (2)監督される公的資金の投入

 また、中間報告は「被疑者・被告人の公的弁護制度の在り方」の中で、「少年事件も視野に入れつつ、被疑者に対する公的弁護制度を導入し、被疑者・被告人の弁護体制を充実させる方向を検討する」が、そのためには「運営主体やその組織構成、運営主体に対する監督などの検討にあたっては、公的資金を投入するにふさわしいものとする」ことを強調した。

 

 (3)新たな捜査手法の導入

 さらに、「新たな時代における捜査・公判手続の在り方」ということで、新たな捜査手法の導入として、@刑事免責制度の導入、A捜査段階における参考人の出頭強制制度の導入、B国際捜査・司法共助制度の拡充強化をあげ、最後に「被疑者・被告人の身柄拘束に関連する問題」と「検察官の起訴独占、訴追裁量権の在り方」を取り上げている。

 

 (4)重点は刑罰権の迅速な実現

 このように、中間報告は、「国民の期待に応える刑事司法」という表題からも分かるように、「被疑者・被告人の防御権の保障等憲法の人権保障の理念を踏まえ」といいながら、その重点を刑罰権を適正・迅速に実現し、社会の秩序を維持し国民の安全な生活を確保することに置き、刑事裁判の迅速化・効率化を含め、全体として治安強化を目指していることは疑いのないところである。ここには、日々生起している冤罪をいかにして根絶するかという問題意識や意欲は全く見当たらない。

 その治安強化の方向は、捜査段階における参考人の出頭強制制度といった全く新しい強制処分の新設から裁判所の職権主義化まで一貫している。公的弁護制度を導入することによって弁護権は一面で確かに強化されることになるであろうが、他面では「公的資金の投入にふさわしい」運営主体に対する監督などによって、弁護活動の自主性・主体性が脅かされることになることは間違いない。このことに私たちは強い疑念を表明する。

 

 (5)代用監獄の廃止などは先送り

 これに対して、日弁連などが強く求めていた代用監獄の廃止や起訴前保釈制度、それに弁護人の接見交通権の確立や令状審査の厳格化などは、「評価の相違等に起因して様々な考え方があリ得ることから、直ちに具体的な結論を得ることは困難である」として、先送りされる危険性が高い。また、逆に被疑者の取調べ状況の録音、録画や弁護人の取調べへの立会いについては、「消極的な意見もあり、結論を得るに至っていない」ということで、実現の可能性は低いと考えざるを得ない。私たちは、先に述べたとおり、人権侵害と冤罪を根絶するため、代用監獄廃止、起訴前保釈制度新設、接見完全自由化、令状審査の厳格化、弁護人取調べ立会い権を強く要求する。

 

 五 弁護士制度の改革について

 

  1 弁護士の役割ー「公共性」の強調

 

 中間報告によると、弁護士の役割は、「国民の社会生活上の医師」である法曹の一員であり、国民にとって「頼もしい権利の護り手」「信頼し得る正義の担い手」として、高い質のサービスを提供することにあり、「弁護士がこのような役割を果たすためには、今後、その活動領域を大幅に拡大しながら、統治主体としての国民の社会生活上の諸活動の伴侶、企業の経済活動におけるパートナー、国家・社会の公的部門の担い手など、様々な姿で国民に奉仕することを通じて、一層身近で、親しみやすく、頼りがいがあって信頼できる存在であるべく、自らを厳しく鍛え上げていかなければならない」とする。

 そして、「弁護士制度の改革は、今次の司法制度改革、殊に人的基盤の拡充を図る諸改革の中でも、主要かつ基底的な課題である」と位置付けた上で、改革の具体的方策と方向性として、@公益性に基づく社会的責務の実践、A弁護士の活動領域の拡大、B弁護士倫理の強化と弁護士自治、をあげている。

 人的基盤の拡充については、中間報告は「計画的にできるだけ早期に、年間3、000人程度の新規法曹の確保を目指す」としており、そのほとんどが弁護士になることを想定しているとみられる。その結果、弁護士人口が急増するため過当競争が生じ、弁護士の活動領域を大幅に拡大することが必要となり、質の低下も深く懸念される。そのためか、中間報告は弁護士倫理の強化を打ち出している。

 中間報告の弁護士役割論は、「頼もしい権利の担い手」「信頼し得る正義の担い手」といった言葉を用いながら、一方で弁護士のサービス業としての活動領域の拡大を打ち出し、他方で公益性を強調している。その反面、従来弁護士の基本的理念とされてきた「弁護士の在野性」(国家権力や大企業などの社会的権力に対して市民の側に立って自由と人権を擁護する使命)や、「弁護士のプロフェッション性」(高度の学識と専門的技術を有し、個々の依頼者の具体的要求に応じた活動を通じて社会全体の利益のために尽くす属性)には意図的に触れていない。

 これをみると、中間報告の本当のねらいは、むしろ弁護士の在野性とプロフェッション性を変質させるところにあると考えられる。このことは、中間報告が「社会的弱者の権利擁護活動」を「プロボノ活動」のひとつの例として掲げるだけで、弁護士にとって最も重要である国家権力などを相手とする人権擁護活動の意義についての理解を示すことなく、「企業の経済活動におけるパートナー」「国家・社会の公的部門の担い手」と役割を規定し、しかも「国民に奉仕する存在であるとの発想を徹底させ」ることを指摘しているところに、端的に現れている。

 また、中間報告が弁護士の独自の役割と使命を十分に理解せず、弁護士法30条の公職就任の制限の見直しや、法的サービス業という認識で営業許可制の自由化をいい、同じ法的サービス業ということで隣接法律専門職種との協働や弁護士法72条の撤廃に言及したことも、大いに疑問である。

 

  2 だれのために利用しやすい弁護士改革か

 

 「利用しやすい司法制度」の実現は、市民の願いでもある。しかしながら、中間報告は、「弁護士へのアクセス拡充」では弁護士人口の大幅増員以外、弁護士過疎、経済的理由によるアクセス障害などを指摘し、法律相談活動の充実として法律相談センターと公設事務所の設置をいうだけで、本当に弁護士過疎を解消し、経済的理由によるアクセス障害を解消するための具体的な提言をしていない。

 さらに、中間報告は「法的サービスの内容の充実」ということで、@法律事務所の共同化・法人化、専門性の強化、協働化、総合事務所化を実効的に推進するために、複数事務所の設置禁止を見直す、A他の隣接法律専門職種や外国法事務弁護士との提携、B弁護士の国際化などをあげている。そこで提起されていることは、企業活動の多様化・国際化に対応して、いかに弁護士サービスを有効に利用できるようにするかということが中心で、国民の大多数を占める労働者や消費者、それに地域住民などの市民が人権や生活利益を侵害されたときに、それを弁護士がどのように救済し、被害の回復を図るかといった観点は皆無に等しい。

 以上のとおり、この度の中間報告の内容は、弁護士制度の改革についても、一言でいうならば、市民のためというより財界のためのものであり、企業活動に奉仕する弁護士の大量増員と業務の効率化・合理化を目指したものであるといわざるを得ない。

 

  3 弁護士倫理の強化と弁護士自治

 

 しかも、最も問題なのは、中間報告が「弁護士倫理の強化」を強く求めているだけでなく、「弁護士自治」についても言及し、弁護士会の運営への国民参加を積極的に打ち出していることである。

 中間報告は、「弁護士会の諸権能を自律的に行使する上で、手続の透明化、国民に対する説明責任の実行、それらの運営・運用への国民参加など国民の意思を反映させ、国民の信頼に応える必要がある」というが、本当にそうであろうか。

 中間報告をみると、そもそも我が国において弁護士自治がどのような経過で、何を目指して確立したかについての認識がなく、その重要性についての理解がほとんど欠けているといわざるを得ない。

 弁護士自治は、戦前、司法省の監督の下で、治安維持法違反事件等の悪法や人権抑圧に抵抗した弁護士が弾圧され、人権擁護活動をしようとする弁護士に対して「正業に就け」という非難を浴びせてその活動を権力的に抑制する動きが強くなり、ついに弁護士会をあげて侵略戦争に加担させられてしまったという我が国の弁護士の苦い歴史を反省し、二度とそのようなことがないようにという固い決意を込め、その制度的保障として確立したものである。

 そもそも弁護士が人権擁護活動を徹底しようとすれば、社会的に異端視されている少数者とか、政治的・社会的に迫害を受けている弱者の人権を護ることが必要となるが、場合によっては権力のみならず、大衆の動向や世論とも対向的関係に立たざるを得ない事態が生じることも覚悟しなければならない。そうした場合にこそ弁護士自治は領を発揮するのであり、その意味で、弁護士自治は、弁護士があらゆる権力から独立して全力をあげて人権活動をするための最後の砦である。それは決して弁護士の職業的利益のためのものではなく、市民の人権のためである。そして弁護士の職業倫理は、本来いかなる権力や圧力にもたじろがない在野性と毅然たるプロフェションとしての自覚こそがその中核に置かれるべきである。

 弁護士自治や弁護士倫理についてのそのような理解もなしに、「弁護士会の運営への国民参加」とか、懲戒手続等への「国民参加の拡充」といったことを軽々にいうべきではない。

 以上のことから審議会は、導入を予定している弁護士自治や弁護士倫理への国民参加は、一歩間違えると弁護士自治の崩壊と、弁護士の人権活動の抑制につながる危険が高いことを理解し、慎重に取り扱うべきものである。審議会は財界や司法当局の意を受けて、国民の参加の名の下に弁護士の自治に介入し、これを抑制しようとする意図を撤回し、弁護士自治を尊重する立場に立つべきである。

 

 六 法曹養成制度と法科大学院構想について

 

  1 中間報告の法科大学院構想

 

 中間報告は、新たな法曹養成制度として「法曹養成制度に特化した教育を行うプロフェッショナル・スクールである法科大学院を設けることが必要かつ有効であると考える」として、法科大学院設置の構想を打ち出し、これに最大の紙幅を割いている。「法曹の在り方に関する基本的な問題との関連に十分に留意しつつ、司法試験という『点』のみの選抜ではなく、法科大学院(仮称)を中核とした法学教育・司法試験・司法修習を有機的に連携させた『プロセス』としての法曹養成制度を新たに整備することが不可欠である」というのが、その構想を支える基本的な考え方である。

 この構想には、実質的に中間報告の提言する弁護士人口の大幅増員を現実に保障するための方策としての位置づけが与えられている。しかし、法曹養成制度の抜本改変は、法曹の質やあり方に大きな影響を及ぼすものであり、法科大学院構想が真に市民の期待する法曹を育成するものであるかについて、慎重な吟味が必要である。

 中間報告は法科大学院の設置を構想する根拠として、現行の司法試験は受験競争が厳しく受験者の受験技術優先の傾向が顕著であること、大学・大学院における法学教育は法律実務と乖離しており、プロフェッションとしての法曹を養成するという役割を適切に果たしてきたとは言い難いこと、その結果学生の予備校依存傾向が著しくなって法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を及ぼすに至っていることなどの現状認識を示している。

 しかし、中間報告は法曹養成制度改革にとって最も基礎となるべき現行司法修習制度の現状についての認識を示していない。ここには司法官僚制度構築の基礎となっているキャリアシステムの出発点としての司法研修所のあり方に対する批判や反省は全くない。このことからみて、今回の構想は管理主義的な現行法曹養成制度の変革を目指すものとしての法科大学院設置構想ではないとみざるを得ないのである。 このことは、法科大学院設置構想を総体として見る場合にも、個別の論点の検討の際にも、銘記すべきものである。

 

  2 中間報告の問題点

 

 中間報告の「法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成制度」を検討するには、現行の法曹選抜と法曹養成制度の理念と現実の再確認から出発しなければならない。

 

 (1)現行の法曹選抜制度と司法修習制度の理念

 現行の法曹選抜制度である司法試験は、受験資格に関する制限を一切もたない。すべての人に広く公平に法曹になる機会を開放している。これは、司法修習生に国庫から給与が支給されていることと相俟って、開放性、公平性の保障となっており、様々な階層や多様な人生経験を持つ人々の法曹資格取得を可能としている。

 また、現行の法曹養成制度は、司法試験に合格した者が司法修習生となり、司法研修所での講義と実務修習を中心とする1年半の司法修習を行うというシステムになっている。この司法修習生が法曹三者のすべての実務について、統一的に、平等に修習を行うという統一修習の理念は、法曹三者間に能力面でも意識面でも対等・平等性を保障し、法曹一元の基礎を築いてきた。現状の司法修習制度は、こうした理念に支えられた積極面を持つものなのである。

 

 (2)現行の司法試験と法学教育についての評価

 中間報告は、現行司法試験が受験技術偏重をもたらし、法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を及ぼし、合格者数を増加させるだけでは問題点は改善されないばかりか、「むしろ事態はより深刻なものとなることが懸念される」とまで言う。しかし、この認識は実証性に欠け説得力を有しない。

 あくまで、法曹選抜の理念にふさわしい試験内容や試験方法改善の努力を尽くすのが本道である。多様な人材に、徹底して公平性・公開性を保障している現行司法試験の長所を捨ててまで、受験技術優先の弊害が抜き難く本質的なものとなっているとはとうてい考えられない。

 また中間報告は、現在の大学における法学教育が、実務と乖離していることを否定的に評価している。しかし、学問としての法学が実務と乖離していることはむしろ健全である。学問と実務とが一定の距離を置き、緊張関係をもつことによってこそ、多角的で創造的な思考力をもつ法曹の養成が可能になるからである。むしろ、法科大学院設置構想が、限りなく実務に癒着した学問や法学教育を生むことの弊害をおそれなければならない。

 

 (3)法科大学院設置構想の評価

 以上のとおり、現行の司法試験制度・司法修習制度の理念を生かしつつ、現行制度運用の弊害を除去して、真に市民の利益となる法曹選抜・法曹養成制度の再構築を検討するのが本筋の考え方である。もし、それが不可能だということになれば、中間報告の法科大学院構想の有効性を吟味すべきこととなるが、法科大学院設置構想についてあるべき法曹選抜・法曹養成制度としての積極評価がなしにくい。しかも、法科大学院構想は、法学教育を行う大学側の「学問の自由」「大学の自治」の観点からの吟味をも必要とする。第三者評価機関の構成、カリキュラムの自主性、学部教育との連続性、経営や学費負担の問題等々、未解決の問題は山積しており、この点からも法科大学院設置に賛成することはできない。

 

 (4)法科大学院構想の問題点

 法科大学院設置構想は種々の問題点を抱えている。

 まず、「法科大学院制度の導入に伴い、司法試験も、その修了を要件とする新たなものに切り替える。新司法試験の受験資格の付与は、適切な第三者評価制度が整備されることを踏まえ、それによる適格認定を受けた法科大学院を修了したことを前提にすることが望ましい」との中間報告の立場は極めて問題である。

 中間報告は「別途、法曹資格取得を可能とする適切な例外的措置を講じるべき」として、一応はバイパスコースを閉ざさないとしつつも、「法科大学院を中核とする法曹養成制度整備の趣旨を損ねることのないよう」ごく限られ例外としてしか認めないことを明言している。しかしこのように事実上法科大学院卒業生だけに司法試験受験資格を独占させることは、国民全体に対する公開性、平等性の保障の観点からも、多様な人材の確保の観点からも極めて問題が大きい。

 法科大学院の入学資格として、「入学者選抜は、公平性・開放性・多様性の確保を旨とし、入学試験のほか、学部における学業成績や学業以外の活動実績、社会人としての活動実績等を総合的に考慮して合否を判定する」とされていることも問題である。法曹の選抜に、これまではありえなかった差別を持ち込む余地が生じるからである。「学業以外の活動実績」の名の下に思想・信条等を理由とする差別が持ちこまれることがあってはならない。

 また、「点からプロセスへ」という発想は法科大学院の成績が司法試験合否の判定の資料となることを容認していると考えざるを得ない。しかし、これは現行の修習制度と同様、いやそれ以上に法曹志望者を囲い込み、管理する手段となる危険性が高い。

 さらに問題は、法科大学院構想は、将来において統一修習を廃止する危険をはらむ点である。むしろ、法曹一元実現の条件整備の一環として、統一的修習、とりわけ弁護実務修習の必要性とその充実の方向を明記すべきである。

 

 (5)法科大学構想の危険性

 中間報告は法科大学院創設という大胆な改革が「必要かつ有効」であるとしながら、その細部の制度設計や具体化のための手だてを示すことなく、大まかで抽象的なガイドラインを示すにとどまっている。

 そして「法科大学院の設置認可や第三者評価(適格認定)の基準の策定、新司法試験及び新司法試験実施後の司法修習の具体的な設計等を含む所要の措置について、関係機関において適切な連携を図りつつ、前記の文部省検討会議の報告書を参考としながら、当審議会の最終意見を待たず速やかな検討を進めることを期待する」として、具体的内容については文部省等の関係機関に白紙委任してしまっている。

 入学者選抜、教育内容・方法、教員組織のあり方、第三者評価(適格認定)等の具体的内容の如何は、法科大学院の内容を決定づけるものである。それなのに、こうしたことについての具体的内容を明らかにしないまま、法科大学院が「必要かつ有効」というのは、法曹養成制度という極めて重要な問題について検討する姿勢としては甚だ無責任であるといわざるを得ない。

 とりわけ、中間報告は、「法科大学院における入学者選抜の公平性・開放性・多様性や法曹養成機関としての教育水準、成績評価・修了認定の厳格性を確保するため、適切な機構を設けて、第三者評価(適格認定)を継続的に実施する」と述べている。しかし、この第三者評価の内容や運用如何によっては、政治的な権力や社会的圧力が教育内容に介入してくることが危惧され、学問の自由・大学の自治が危機に瀕することにもなりかねない。

 仮に法科大学院を設置するとして、教育水準等の確保のため第三者評価が必要だというのであれば、その機構は国家権力から完全に独立したものであることが最低限必要であり、実務教育の水準確保という観点からは弁護士会がそこに加わることが重要である。しかも評価の項目は、基本的には外形的なものにとどめるべきであり、教育内容等への介入にならないことが絶対に必要である。 審議会は、こうした重大な問題を含む法科大学院設置構想について、透明性を確保した十分な議論を行い、具体的内容を示し、説明義務を尽くすべきである。

 ことは、学問の自由・大学の自治の問題と、いかなる質の法曹を育成するかの両者の領域にかかわる問題である。

 市民の立場からは、その帰趨を見極めることなしには、法科大学院設置構想に賛意を表することはできない。

 

 おわりに

 

  1 委員の偏頗性と「法の支配」の誤用

 

 以上見てきた通り、中間報告が目指す司法改革の内容は、一般市民の人権や生活利益を擁護するためというより、経済を活性化させ国力を増強するために、規制緩和とグローバリゼーションを推し進める経済戦略に奉仕することを目的とする、まさに行政改革などの諸改革に連動した、国家や財界が望む司法の改造計画の構築を目指していることは明らかである。

 中間報告の内容には、市民が求める官僚司法制度に対する批判や市民の司法参加等についての記述も散見されるが、いわば少数意見の域を出ず、このままでは財界や司法当局の意向が司法改革の名の下に断行される恐れがある。

 そのような内容になった原因としては、ひとつには審議会委員の構成や選任に最初から偏りがあることを指摘せざるをえない。財界や司法当局を代表する委員はもちろんのこと、佐藤会長以下の学者委員も行政改革や立法問題についてこれまでも審議会の委員等を務め、政府や政権党の意向を受け、どちらかというと人権よりも治安、生活よりも経済を重視する立場にあるとみられており、労働者・消費者を代表する委員ははじめから少数であることを強いられている。

 さらに問題なのは、大半の審議会を欠席した曽野綾子氏などを委員にする一方で、苦しい裁判を余儀なくされた公害・薬害・冤罪事件などの被害者や、裁判問題に取り組んでいる市民団体の代表や学者・研究者などの声を聞く機会をもたなかったことを批判せざるを得ない。ほとんどの委員が裁判の実態やその問題点について全くといってよいほど理解のないまま、会長や一部委員の提唱する国家観や経済戦略を最優先させ、それに適合するように司法改革の方向を論じた結果が、中間報告といってよいであろう。

 この中間報告書には「法の支配」という文言が何度か使われている。「法の支配」とは、伊藤正己元最高裁判事の指摘によれば英米法全体の中核を占める伝統的原理であり、「司法権に対して払われる尊敬と信頼、基本的人権の絶対的ともいえるまでの保障、憲法の最高法規性の強調」などがその具体的現れであるとされる。

 また、日本国憲法についての標準的な教科書とされてきた清宮四郎『憲法T』には、「本来の『法の支配』は、個人の尊厳を最高の価値と認め、法も国家もそれに仕えるものとみなし、それにもとづいて、個人の基本的人権を憲法で保障し、法律といえどもこれを侵すことを許さず、しかも、法律の定める内容や手続の適正を要求し、そうして、裁判所の権威によって、右の保障を確保しようとする。『法の支配』は、自由主義および民主主義と手をたずさえて、公権力に対して個人の権利・自由を守ろうとするものである」と記述されている。

 従って「法の支配」をいうのであれば、そのような正しい意味で使用すべきで、そのためには、何よりも最高裁判所をはじめ、裁判所全体を一般の市民が「人権の砦」「憲法の番人」と尊敬し、信頼できるようにする司法改革を断行すべきである。

 伊藤元最高裁判事は最高裁判事を辞めた後、「法の支配」という言葉が最高裁でも好まれ公式発表文書に多用されているが、そこでは「すべての人が法を遵守し、法が社会秩序を支えているという法秩序の維持」という意味で用いられ、公権力が法によって規制されるという核心的意義については「残念ながら最高裁の裁判官の意識のうちでも・・・・十分に認識されていない」となげいているが、この度の中間報告も同じように、まさに「法の支配」を曲解して用いていると指摘せざるを得ない。

 

  2 付帯決議を重視し、抜本的な内容の変更を

 

 この度の中間報告については、以上述べてように、財界や司法当局の意向が強く反映し、市民のための司法改革にはほど遠いものがあるが、これは審議会設置法を可決した際の両院の付帯決議にも全くといってよいほど応えていない。

 すなわち、衆議院法務委員会の付帯決議では、「審議会は、その審議に際し、法曹一元、法曹の質及び量の拡充、国民の司法参加、人権と刑事司法との関係など司法問題をめぐり議論されている重要な問題点について、十分に議論すること」を決議し、参議院法務委員会でも、「国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹一元、法曹の質及び量の拡充等の基本的施策を調査審議するにあたっては、基本的人権の保障、法の支配という憲法の理念の実現に留意すること。特に、利用者である国民の視点に立って、多角的視点から司法の現状を調査・分析し、今後の方策を検討すること」を求めている。

 これらを見れば、新たに設置された審議会が何を期待されているかは、一目瞭然である。法曹の質及び量の拡充とともに、法曹一元、国民の司法参加がその中心であり、衆議院ではとくに人権と刑事司法に焦点をあてていることが注目される。しかも、本意見書が指摘したと同じように、参議院ではわざわざ憲法の理念である「基本的人権の保障」「法の支配」の実現に留意することを求め、さらに、「特に、利用者である国民の視点に立って、多角的視点から司法の現状を調査・分析し、今後の方策を検討する」ことを強く求めている。そのことを、審議会は改めて重く受け止めるべきである。

 中間報告では両院の付帯決議が求めた法曹一元の導入や、国民の司法参加についてはあいまいにしたまま、国会では全く問題にもされていなかった「法科大学院」や「ADR」を前面に押し出し、さらに最大の問題である裁判所改革よりも弁護士改革に力点を置いているのは、審議会として役割を取り違え、権限を濫用するものと非難されてもやむをえない。

 

  3 本当に市民のための司法改革を実現するには

 

 審議会の設置にあたっての両院の付帯決議にはこのほかに、「政府は審議会の調査審議と並行して、司法予算の拡充に努め、裁判官、検察官及びその他の関係職員の増加等司法関係機関の人的・物的充実を含む諸制度の充実を図ること」を求めている。まさに裁判官不足が深刻で、裁判官の増員については審議会の報告を待つまでもなく、直ちに実施することが緊急かつ重大な課題として政府に課せられているのである。裁判の遅れと不十分な証拠調べ、その結果としての納得のできない判決の最大の原因が裁判官不足にあることは周知の事実であり、このような付帯決議が国会の場でなされること自体、異例のことである。 ところが、最高裁判所は国会でこうした要請がなされているにもかかわらず、裁判官の不足はとくにないとの姿勢を示し、大幅な増員のための予算を計上せず、あいかわらず裁判当事者に犠牲を強いている。今から35年前の臨時司法制度調査会の意見書にも「裁判官の増員」がうたわれているが、そのときにも司法当局によって無視されたが、いままた歴史がくり返されようとしている。

 そこで私たち司法改革市民会議は、二度とそうしたことのないよう、司法制度改革審議会が、最終意見書において、裁判官について現在の少なくとも2倍以上の人数を明示した増員を求め、あわせて司法関係機関の大幅な増員を明記するよう強く要求する。

 それとともに、審議会の最終報告には、国会の付帯決議に則り、本意見書に「市民のための司法改革」として提示・要求した内容に従い、裁判所・裁判官制度の改革や、陪審制の導入をはじめとする諸改革を盛り込むことを強く要求する。

 21世紀に、市民が安心して暮らせる平和で安定した社会を築くために、市民のための司法改革を実現することは極めて重要である。私たち市民もさらに大きな運動を展開し、その実現に向けてさらに努力することを誓うものである。

 

 

2001年1月20日

 

司法改革市民会議

 

 ◇委員名簿◇

 

    秋山 賢三(弁護士・元裁判官)

伊佐 千尋(作家)

右崎 正博(獨協大学教授)

江藤 价泰(大東文化大学教授)

江森 民夫(弁護士・日本労働弁護団副会長)

大野 暁子((社)全国消費生活相談員協会常任理事)

小田中聰樹(専修大学教授)

関本 秀治(税理士)

丹波  孝(賃金差別闘争連絡会常任幹事)

高橋 利明(弁護士・全国市民オンブズマン連絡会議・幹事)

豊田  誠(弁護士・自由法曹団司法民主化推進本部部長)

庭山 英雄(弁護士・日本民主法律家協会代表理事)

広渡 清吾(東京大学教授・社会科学研究所)

本間 重紀(静岡大学教授)

増田れい子(ジャーナリスト・エッセイスト)

山田善二郎(日本国民救援会会長)

 

 ◇事務局長◇

 

高見澤 昭治(弁護士・日本民主法律家協会常務理事)