2003年12月17日
司法制度改革推進本部事務局 御中
東海労働弁護団
団長 高木輝雄
弁護士報酬敗訴者負担「合意論」に関する意見
当弁護団は,主に労働者側の立場で労働事件に取り組む,東海3県の弁護士会に所属する約100名で構成される弁護団です。既に貴本部で現在検討されている「弁護士報酬敗訴者負担の取り扱い」について,2003年8月29日付けで,労働訴訟全般について例外をもうけることなく,弁護士報酬敗訴者負担制度の導入に強く反対する旨の意見を提出しました。ところが,その後「裁判上の合意による敗訴者負担制度」が司法アクセス検討会で急遽議論されるようになったため,この点に絞って労働事件に携わる実務家の立場から以下のとおり意見を提出するものです。
1 そもそも「裁判上の合意による敗訴者負担制度」は国民の理解を得ていない
貴本部の次回12月25日の司法アクセス検討会において,貴本部事務局は「裁判上の合意による敗訴者負担制度」によるとりまとめ案を提出すると伝えられています。
しかし,そもそもこの考え方は,本年8月に行われた意見募集においても全くテーマとされていなかったものであり,このまま国民の意見を聞かないままでとりまとめが行われることは,敗訴者負担制度の検討にあたっては「国民の理解にも十分配慮すべき」とした司法制度改革審議会報告書に真っ向から反するものと言わざるを得ません。この点で,「裁判上の合意による敗訴者負担制度」は手続き的に問題があります。
さらに,内容的にも,以下に述べるような重大な弊害を含むものであり,私たちとしては到底受け入れられないものです。
2 「裁判上の合意による敗訴者負担制度」検討の視点ー司法アクセスの促進
弁護士報酬の敗訴者負担制度は,司法制度改革審議会(以下,「審議会」といいます)において「司法アクセス促進の観点から」検討されてきたことは,弁護士報酬の敗訴者負担制度が意見書中の「司法アクセス」の項におかれていることにも端的に表現されているとおりです。また,司法制度改革推進計画(平成14年3月19日閣議決定)においても,「裁判所へのアクセスの拡充」の項目に明確に位置づけられており,この制度の導入は「裁判所へのアクセスの拡充」という目的に沿って行われるべきものです。
したがって,「裁判上の合意による敗訴者負担制度」の可否についても,この制度が「裁判所へのアクセスの拡充」に資するか否かの観点から検討することが必要かつ重要です。
この観点からすれば,この「裁判上の合意による敗訴者負担制度」には,以下に述べるような司法アクセスへの重大な弊害こそあれ,何ら実質的に市民の司法アクセスを促進するものではないので,私たちは導入に反対するものです。
3 契約約款上の敗訴者負担条項の弊害
仮に「裁判上の合意による敗訴者負担」が導入された場合には,「敗訴者負担制度」が周知されることにより「契約上の敗訴者負担条項」が普及していくことが十分予想されます。こうした「契約上の敗訴者負担条項」の普及により,労働者は,この「契約上の敗訴者負担条項」による敗訴者負担を心配せざるを得ない結果,事実上司法アクセスが抑制される蓋然性が大きいと言わざるを得ません。
すなわち,労働契約の内容は原則として就業規則の定めるところによるものとされているもとでは,一方的に使用者が制定できる就業規則に弁護士報酬の敗訴者負担が規定された場合,労働者は,敗訴の場合には使用者側からその弁護士報酬の請求を受ける覚悟を迫られることにならざるを得ません。一般に,労働者個人と使用者との間の労働訴訟においては,証拠・情報量や証拠収集能力,訴訟対応能力に大きな格差があり,しかも使用者側から様々な抗弁が提出されることも多く,勝訴の見通しの予見が困難であることが通例です。その結果,解雇・賃金不払い・男女差別等の使用者による違法・不当な行為を労働者が裁判で争うことに消極的にならざるを得ないという重大な弊害が生じることになります。
このように「契約上の敗訴者負担条項」が重大な弊害をもたらす可能性のあるものであることから,11月21日の司法アクセス検討会においても議論の対象とされたと聞いています。
これに対して,山本委員からは,労働契約については就業規則にこのような条項をもうけても労働基準法第16条により無効とされるので対処しうるとの意見が出されているようです。
しかし,以下に指摘するとおり,労働基準法第16条により,契約上の敗訴者負担条項を十分に排除しうるとはいえず,これら条項による「裁判所へのアクセス」の障害を除くことができないことは明らかです。
まず第1に,そもそも労働基準法第16条は,「(賠償予定の禁止)」とのタイトルのもとに「使用者は,労働契約の不履行について違約金を定め,又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と定めているものであるから,文言解釈上,使用者との間の訴訟において敗訴した場合とは労働契約上の諸義務を履行しないという意味での「労働契約の不履行」にあたらないので,「違約金」または「損害賠償額」の「予定」に含まれていません。
また,解釈上も,労働基準法第16条が禁止する違約金の定め又は賠償額の予定は,あくまで「労働契約の不履行」についての場合であるから,これを労働者保護の見地から不法行為の場合をも含むとする説があるものの,それよりさらに広く訴訟費用の負担について定めることまでを禁止の対象とされるとの解釈をとることは,とりわけ同条違反が6か月以下の懲役または30万円以下の罰金に当たる犯罪とされているところから(同法119条1号),罪刑法定主義に照らしても困難といえます。
さらに,裁判実務上も,労働基準法第16条が禁止する違約金の定め又は賠償額の予定にあたるとする解釈が通用する現実的可能性はほとんどないのが実情です。判例は,労働基準法第16条に関して,たとえば,退職後に同業他社へ転職するときは退職金の2分の1を減額する旨の約定が同条違反とはならないとし(最2小判昭和52年8月9日),あるいは,従業員が一定期間内に退職したときは企業派遣留学費用を返還しなければならない旨の定めも同条違反とならないとする(東京地判平成9年5月26日),限定的な立場を相次いで示しています。
以上のように,労働基準法第16条により就業規則に規定された「敗訴者負担条項」は無効とされるという上記山本意見は,法的な根拠を欠いた主張と言わざるを得ません。だからこそ,11月26日に開催された労働検討会でも,「労働基準法第16条により無効となることはない」「労働契約の敗訴者負担条項は問題である」等の発言が相次いだのだと思われます。
4 将来への足がかりの意図
11月21日の司法アクセス検討会において,労働事件における「裁判上の合意による敗訴者負担制度」の導入を肯定する意見として,以下のような発言がなされた。「明らかな不当解雇で,勝訴の見込みが十分あって,各当事者が敗訴者負担を希望しているときに,合意は許さないという理由はないように思う。実際には,そのような人は少ないのかもしれないが,そのような人が出てきたときに,合意を制限する理由はないのだろう。およそ合意を認めないというのは,アクセスの阻害になると思う。」
しかしながら,そもそも明らかな不当解雇で労働者側の勝訴が確実に見込まれるときに,わざわざ使用者側が敗訴者負担に合意するなどということは現実的には皆無といわざるをえず,このようなありえないケースを念頭において導入を肯定する根拠とすることは論理的に破綻しているというほかありません。
これこそまさしくこの制度の導入について,将来敗訴者負担制度を本格的に拡大していくための足がかりとして位置づけている論者の意図があらわれているといえます。
5 力の強い使用者に有利
「敗訴者負担の合意」をするか否かを選択するにあたって,当事者間の条件が対等でない場合には,この「敗訴者負担の合意」は,強いものに有利に働きます。これを労働事件についてみるならば,労働者と使用者間の訴訟において,労働者が「敗訴者負担の合意」を選択することは経済的負担能力が一般的に限られていることから,必ずしも容易ではありません。ところが,使用者側においてこの「合意」を選択することにはそれほどの困難は生じないのが一般です。労働者は,裁判所の心証への影響を心配しながら「合意」を拒否するか,敗訴者負担のリスクを覚悟して「合意」をするかの選択を迫られることになります。しかし,使用者の側は,敗訴者負担のリスクをさほど気にすることなく「合意」をすることが可能な立場にあります。このように,「裁判上の合意による敗訴者負担制度」は,労働者と使用者間の力や資力の格差を裁判手続きに持ち込みこれを拡大することになってしまうという深刻な問題を含んでいることになります。
6 裁判所への踏み絵
さらに,この「裁判上の合意による敗訴者負担制度」には,重大な弊害があります。裁判上の合意,かつ双方に弁護士が付された場合の合意に限るとしても,訴訟当事者は進退両難の選択を迫られることになります。すなわち,合意をしなければ裁判所に勝訴の自信がないとの心証を持たれかねませんし,合意をすれば今度は敗訴者負担のリスクを負わされることになってしまいます。
この点に関して,10月30日の検討会では,「裁判所が,本案の心証とは関係ないものだと考えてもらえるとよい。」「そこは裁判所を信頼して頂きたいと思う」というやりとりが行われています。しかし,裁判所の心証に影響を与えないというのは全くの机上の空論です。事案の検討に熱心な裁判所であればある程,むしろ合意に対する態度は心証に影響することは,私たち裁判実務に携わる立場から裁判所の実情をみるならば明らかです。
当弁護団は,以上に述べた意見を有しており,貴本部においては,当弁護団の意見を十分に反映した検討をされるよう,要請いたします。