薬害ヤコブ病訴訟と敗訴者負担制度
薬害ヤコブ病東京弁護団 小池純一
1 薬害ヤコブ病訴訟
1970年代、80年代に、脳外科等手術で広く使用されていたヒト死体硬膜製品(ドイツB・ブラウン社製「ライオデュラ」)が、ヤコブ病の病原体に汚染されていたために、移植を受けた者が、長期の潜伏期間を経てヤコブ病を発症した事件、それが「薬害ヤコブ病」である。発症した患者は、程なく無言無動と呼ばれる植物状態となり、通常、1、2年で死に至る。
1996年11月に薬害ヤコブ病大津訴訟が、翌1997年9月には東京訴訟が始まった。その後4年の審理を経て、2001年7月、両訴訟は結審し、裁判所から和解勧告が出された。2002年3月、国を含めた被告らは、原告らに対し、1被害者あたり平均6000万円の和解金を支払う内容にて第1陣の和解が成立した。
なお、薬害ヤコブ病の闘いの過程で、薬事法の改正、生物由来製品による被害救済制度確立のための動きも生まれた。
2 本訴訟の特徴
敗訴者負担制度との関連で考えると、薬害ヤコブ病訴訟の特徴として、下記の点が挙げられる。
第1に、原告らは、相当な決意をもって訴訟提起に立ち上がっている。大切な家族を薬害に奪われた遺族が、訴訟の過程で、改めて被害に直面しなければならないことには相当な苦痛があったはずである。病気に対する差別、偏見ゆえに、匿名での提訴を余儀なくされた原告も多い。加えて、金銭的な問題もあった。弁護団は、着手金を受領せず、訴訟費用(救助申立を除く)プラス35万円の実費のみで委任を受ける方針を立てたが、実費すら分割払い、あるいは一定期間猶予とした原告も何人も居た(ちなみに、これでも弁護団会計は大幅な赤字であった)。
第2に、過去の公害薬害事件と比較しても、極めて原告数が少ないことである。大津・東京両訴訟とも1被害者の家族の訴訟として始まった。2001年の結審時点でも、東京原告は9家族であった。
第3に、提訴段階では、勝訴できるのか訴訟の見通しは不明だった。B・ブラウン社の死体硬膜闇取引など犯罪的製造実態に関する資料、あるいは、被告らの予見可能性に関する医学的資料など膨大な重要書証は、ドイツでの調査活動を含め、訴訟を続けるなかで地道に発見、収集していったものであった。
第4に、被告の問題がある。当初、被告は国、日本の輸入企業及び役員であった。製造企業B・ブラウン社を追加提訴するかどうかについて、弁護団内では、訴訟の長期化や不法行為の立証など様々な観点からの慎重論が弁護団内であったが、杜撰な製造により被害を発生させた原因企業を許してはならないということから追加提訴に踏み切った。日本の輸入企業と役員、及びB・ブラウン社には、日本有数の渉外事務所の弁護士が代理人に就任した。
3 敗訴者負担制度に対して
以上を考えると、(両面的)敗訴者負担制度が導入されていたならば、原告らが提訴に踏み切ることはできなかったはずである。導入される制度内容によっては、B・ブラウン社の提訴を断念するということにもなりえたと思われる。結局、薬害ヤコブ病訴訟も、そして、B・ブラウン社が和解金の多くを負担することで決着した今回の解決も実現しえなかっただろう。
更に、薬害ヤコブ病訴訟原告らの闘いは、損害賠償請求権実現の過程のみならず、新たな人生を見出していく過程でもあった。原告らは、かけがえのない家族を薬害に奪われ、それでも、この問題を広く知ってもらうために各所で訴えをし、訴訟や運動を続けていく中で、支援する仲間の存在を知り、彼らに支えられて新たな人生を踏み出しているのである。
本訴訟との関係で考えると、敗訴者負担制度は、このような過程全てをも奪い、正義の実現を著しく歪めるものであると言わなければならない。