ハンセン病違憲国賠請求訴訟と敗訴者負担

赤 沼 康 弘


 98年7月31日「らい予防法」違憲国賠訴訟が熊本地裁に提起された。後を追うように、99年3月26日、東京地裁に、同年9月27日に岡山地裁に同じ訴訟が提起された。3年というスピード審理の下に、この事件が、2001年5月11日熊本地裁で原告全面勝訴判決、控訴阻止という経過を経て、判決原告を除き3地裁の原告全員が和解で解決し、恒久対策も含め前面解決の道が確定されたことは数々の報道で周知のこと思う。後に、多くの識者がなぜこのような人権侵害が放置されたのか理解できないと語り、控訴阻止に賛成した多くの国会議員も人権侵害ということでこれほどわかりやすい事件はないと語った(与党議員のなかにも同様の意見を述べた人がいたのである。)。

 しかし、このような事件においてすら、国は全面的に争い、原告の被害を歪曲し、理由のない提訴であると反論した(国のこの応訴態度は熊本地裁判決のなかで厳しく批判された。)。例によって除斥期間を持ち出し、違法行為はあったとしても除斥期間が経過したという卑怯な逃げをうった。

 加えて、当初、「負ければ弁護士費用も負担しなければならないのだから、弁護士の話に乗ってうかうかと原告になどならない方が良い」という噂がハンセン病療養所内をとびかった。もっとも被告は国だから現状では弁護士費用ということは通常出てこないのだが(将来弁護士費用敗訴者負担となれば国が弁護士を代理人に選任することもあるかもしれない。)、指定代理人の費用と結びつけて語られたのである。

 もともと差別偏見にさらされた被害者は前面に出ようとしない人々であり、また長い人では70年も療養所内に閉じこめられていた人々で、社会の仕組みに極度にうとい人々であった。除斥期間で逃げようとする国の対応に対しては怒りは募るものの、そう言われると本当に除斥期間を突破できるのかという疑問が消え去らず、さらに負ければ費用負担の問題が出てくると恐れたのである。狭い療養所のなかではこのような噂はたちまち広まった。そして噂に惑わされた人々は原告となることを躊躇するばかりでなく、原告としてともに闘おうと呼びかける、同じ仲間のはずの既提訴原告に対して反感を募らせた。

 弁護団は、もちろん負けることはないと繰り返し力説するとともに、弁護士費用負担はあり得ないと説明して不安を取り除くことに力を注がねばならなかった。東京地裁原告についてみると、やはり当初原告数はなかなか増加しなかった。もとよりその大きな原因には差別偏見に対する元患者達の恐怖心があったが、費用負担の問題も障害の一つとなっていたことはまちがいない。それでも繰り返し行う弁護団の説明を理解し、不安を解消させて原告として立つことを決意する人たちが増えていったのであった。

 熊本地裁判決の直前には全国の原告数は779名となり、この力も、熊本地裁判決及びその後の全面解決に対して大きな影響を与えた。

 今になってみれば、勝つべくして勝ったというほどに明白かつ重大な事案だともいわれている(実際はそう簡単ではなかったが。)。

 しかし、この事件ですら、当初は提訴にあたっての費用負担問題が障害のひとつとなったことを認識しなければならない。たとえ、国賠訴訟は除くなどという除外規定がもうけられたとしても、敗訴者負担という制度は一人歩きし、すべての訴訟において提訴の障害となるであろう。人権侵害に蓋をしようとする制度と化すことは目に見えているといわなければならない。


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