医療過誤訴訟への敗訴者負担制度導入

東京南部法律事務所 大森夏織


 私たち、患者側で医療過誤訴訟を扱う弁護士は、敗訴者負担制度導入に、強く反対しています。

 医療過誤訴訟における患者側の勝訴率は、直近の2001年度でおよそ40%、一般民事事件全体の原告側勝訴率が80%代であることを考えると、困難な事件類型であることは明らかです。

 そもそも、医療過誤訴訟で患者側は「3つの壁」といわれるハンディを負っています。一つ目は、専門性の壁。「その医療行為のいかなる点に、どのような不具合があったか」を証明しなければならず、相手の専門領域での闘いを強いられます。(「私は医学知識に長けています!」と断言できる一部の幸福な弁護士を除き)患者側の弁護士は、多かれ少なかれ、カルテを眺め、医学辞典を引き、医学文献を集め読み、といった地道な作業に四苦八苦しながら、当該ケースの有責性の解明に努めます。二つ目は、患者にとって医療過程が見えないという「密室性の壁」。今でこそ、法制化ならずともカルテ開示の傾向がすすみ、レセプト(診療報酬明細)も入手可能、インフォームドコンセント概念も常識となるなど、医療行為の透明さがだんだんと確保されるようにはなってきましたが、まだまだ、証拠保全の現場で医療記録提出を拒まれる等、前近代的な対応を受けることも少なからずあります。また、法廷で突如としてカルテに記載のない医療経過を主張してきたりもし、この主張を患者側が覆すことは容易ではありません。三つ目は、医療界に相互批判を許さない体質があるという「封建制の壁」。最近では、カルテの検討に協力してくれる医師も増え、少数ながら、名前を出して患者側の私的鑑定書を作成してくれたり証人として出廷してくれる医師もいます。しかし、まだまだ患者側は助力してくれる医師の獲得に奔走し、さらには、裁判所選任の鑑定人医師も医療側寄りの結論を出しやすいのが、現状です。

 加えて、私は常々、もうひとつ、第4の「お金の壁」も存在すると思ってきました。証拠保全を経て、当該ケースが訴訟提起可能かどうかという有責性の有無を判断するまでの段階で、既に患者側は、証拠保全のカメラマン費用や弁護士費用で数十万円の出費を余儀なくされています。

 このように、不利な状況で苦しい闘いを強いられるのに、それならばどうして、医療過誤訴訟を起こさなければならないのでしょうか。それは、日本の医師賠償保険制度の脆弱さを反映して、医療側は、容易には責任を認めて示談せず、医療経過を説明する誠意も見せません。税金を賠償源資とする公立病院もなおさら示談に消極的です。相手側が責任を認めずに説明と示談を拒否する以上、訴訟という救済手段をとるしかないのです。患者側のモチベーションは、決して金銭賠償という点ばかりにはありません。医療過誤訴訟で患者側がまず欲するものは、「いったい全体、どのような医療経過によってこうなったのか」という真実の究明と、責任の所在を明らかにすることなのです。

 つまり、医療過誤訴訟は、患者側にとってそもそもハンディが大きいけれど、真実の探求と責任の所在を明らかにするための、最後の手段たる「決意の賜」なのです。

 現在でも、医療過誤訴訟を決意することは容易でなく、直近の2001年度における年間の新提訴数は、800件強です。実体は年間数万件と推測される医療過誤件数に鑑みると、多くの医療被害者が、訴訟提起すら躊躇しているものと思われます。

 このような、ただでさえ「決意の賜」である医療過誤訴訟に敗訴者負担が導入されることにでもなれば、患者側は、さらに泣き寝入りを余儀なくされること、火を見るよりも明らかでしょう。実際、「医療事故情報センター」という、全国の患者側弁護士数百名が所属する団体が、一昨年、医療過誤訴訟や医事紛争に関わった市民を中心としたアンケートで、「弁護士費用等の敗訴者負担制度が導入された場合、医療過誤訴訟を提訴しにくくなるか?」という問いかけをしたところ、回答の82%がこれを肯定しました。

 私たち患者側で医療過誤訴訟を扱う弁護士は、依頼者から、「訴訟に負けたら病院側の弁護士さんの費用も払わなければならないのでしょうか」と心配そうに尋ねられた経験を、みな一様に持っています。ただでさえ、おおよその勝敗や落ち着きどころが予測可能な一般民事事件とは異なりリスクの高い医療過誤事件で、私たち自身の決して高くない弁護士費用を打診することすら躊躇を感じているのに、「負けたら病院の弁護士費用もあなた負担ですよ」と説明せざるを得ないことになったら、「それでは裁判は断念します」という依頼者が増えることは、確信できます。

 このような、「一般市民、一般医療被害者の、裁判へのアクセス減縮」という効果をもたらすであろう事態は、司法改革の目的と相反するのではないでしょうか。

 よって、医療過誤訴訟への敗訴者負担制度導入には、反対します。前掲の「医療事故情報センター」でも、東京の患者側弁護士団体である「医療問題弁護団」や「医療事故研究会」(両団体でおよそ250名近い程度の弁護士が所属)でも、この間、医療過誤訴訟への敗訴者負担制度導入に反対する意見書を、司法制度改革審議会に提出してきたことを、あわせてご紹介します。


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