二十一世紀に生きる君たちへ/司馬遼太郎


          私の人生は、すでに持ち時間が少ない。

          例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。

          君たちは、ちがう。

          二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか

          そのかがやかしいにない手である。

          もし「未来」という町角で

          私が君たちを呼び止めることができたら、どんなにいいだろう。

          「田中君、ちょっとうかがいますが

          あなたが今歩いている二十一世紀とはどんな世の中でしょう」


       『何もかもに恵まれた時代』だと今の時代を謳う、それをツクリあげた
       大人達はその裏に大きな代償があった事を知らずに傲慢な自信という
       メダルを誇らしげに見せながら「何が不満なんだ!」と私達を責めたてる。
       私達は「何もかもが不満なんだ・・・」と小さく呟く。
       「何もかもに恵まれた」ではなく「物質的には恵まれた」時代だという事を
       知りながら、大人達は決してそうは言わない。
       どんなに甘えたくても、どんなに寂しくても、そう言わなかった私達の暗く
       閉ざされた部分に、大人達は決して触れようとはしない。

       そんな私達が親となった今、物質的に豊かになる事よりも子供と過ごす
       限られた時間を大切にしたいと専業主婦を選ぶ若い母親が増えている。
       「金銭面で余裕のない方が子供に寂しい思いをさせる」・・・確かにそうかも
       しれない。それでも、お金には代えられない『何か』に価値を見出そうとして
       いる若い母親達。時には自分を失くし、悩み、孤独に耐える・・・
       しかし、あえてその道を選ぶ若い母親達が増えているのである。
       青少年が起こしてしまった悲しい事件がメディアを賑わす現代に、そういう
       母親の元、甘えたい時に甘えられる環境の中、精神面で安定しながら成長
       した子供達が、やがて本当の意味での『恵まれた時代』を生きていく・・・
       そんな夢を持たせてくれる。

       そんな母親や子供を何故本気で応援しないのだろうか。

       子育て支援・・・よく耳にする言葉である。
       しかし「子育てを支援してもらっている」そう感じている母親がいるだろうか。
       子育て支援・・・そう掲げながら、母親の元に「何を求めていますか?」
       「どんな支援をしたら良いですか?」などと聞きに来た例はない。

       喜多方に若者を定着させる為に!子供達の未来を守る為に!
 
            選挙の際にそう公約し当選した市長は、喜多方に住む若い母親と子供達を応援する気が本当にあるのだろうか。
            『家族でお弁当を持って出かけられる公園が欲しい・・・』そんなささやかな願いは、叶う気配すら感じられない。 
   
            『果たされない事など大嫌いなの』とは椎名林檎のヒット曲“本能”の中の1節である。
            約束は、守られなければ嘘でしかない。 約束した事が果たされなかったのならば、私達は、その人間をトップから
            引きずり降ろすべきである。今の政治家には、圧倒的に緊張感が足りない。ナゼ?
            約束を守らなくても「ウソツキ!」呼ばわりされない(責められない)事を政治家はちゃんと知っている。
            耳障りの良い(守る気のない)約束を謳い、選挙の時だけは私達に頭を下げてお願いするが、選挙が終わってしま
            えば、私達を見下したような横柄な態度・・・そんな政治家が多いのはその為である。
            守る気のない約束を声高らかに叫んでも、又当選できる政治家・・・
            こんな馬鹿げた(馬鹿にされている)事をこれからも続けていくのだろうか? 答えはNO!!!
            私達市民の為に必死にならないウソツキの政治家に対して、もうお人よしではいられない。
            「あなたは、私達にウソを言って今回は当選したけれど、次ぎはありませんよ!」と言わなければいけない。
            私達は、その権利を持っている。その権利こそが“選挙”なのである。
   
            「誰がやっても同じ」だから無関心。
            果たして本当にそうだろうか。 私達は自ら、代わり映えのしない候補者を選び、不満を言ってはいないだろうか。
            だとするならば『誰がやっても同じ』なのは当たり前であるし、それどころかそういう人間を選んだ私達にも責任が
            生じてくる。 私達市民も変わらなければならないのである。
            「これまでと同じ政治家がやっても同じ」だから、もう選ばない。市政に参加する(選挙)、税金を払う代わりに
            市や政治家に要求をする。 こういう当たり前の事が当たり前に行われなければならない。
            そうすれば政治家にも有権者(私達市民)にも緊張感が生まれ、本当の意味の民主主義(私達が権力を所有し
            自らの手で、自らの為の政治を行う政治思想)に戻るのである。

            時代は、急激に変化している。
            痛みを知らない人間が、いくら綺麗ごとを並べたところでそれは偽善でしかない。
            偽りはいつか暴かれ裁かれる。今、これまで私達には見えなかった政治家の偽りの部分が、いろんな所で暴かれ
            裁かれているのは、メディアなどでご承知の通りである。
            喜多方市も決して例外ではない。 そして、偽りを暴き裁くのは、私達市民に他ならないのである。
   
            さぁ、守るべきものの為にのみ身に着けた軽快なヨロイに身を包み、希望という光輝く剣を掲げたのなら
            自己防衛の為に身に着けた重過ぎるヨロイに身を包み、体裁という錆びた剣を持つ者達を蹴散らしながら
            共に進もう! 大丈夫、何の恐れもいらない。 若い私達には、未来という最強のケライがついている。


とどけ!この想い!!


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