映画鑑賞ノート

気まぐれにやってくる毎週金曜日は映画鑑賞の日。映画初心者の私が毎週見た映画をノートにしていきます。

2006年5月

19日

モンテ・クリスト伯

2002年

監督:ケビン・レイノルズ

原題:The count of Monte Cristo

久しぶりに金曜日に映画を見ることに。


三銃士で有名なアレクサンドル・デュマの作品の映画化。とはいえ相変わらず原作を読んでいないことを白状しておかなければなるまい。教養のなさが丸わかりだ・・・。DVD版で見たのだが、特典映像についていたメイキングによると、原作とはかなりの面で違うらしい。確かに2時間の映画にするには小説は長すぎるだろう。適当に短くしなければならないだろうね。

ストーリーは、無実の青年が13年もの間牢獄に閉じ込められ、何とか脱出し、復讐を遂げる、というもの。(これもメイキング映像で脚本家が言っていた言葉どおり。)

お人よしで無学の青年エドモン・ダンテス(ジム・カヴィーゼル)は、親友(というより幼馴染というべきか)のフェルナン・モンテゴ(ガイ・ピアーズ)の嫉妬を買い、まんまと無実の罪でイフ島に幽閉されてしまう。しかし、牢獄に幽閉されている間に、脱獄をともに図ったファリア司祭(リチャード・ハリス)から文字・学問・剣術まで教わり、司祭の死に乗じてうまく脱獄を遂げる。司祭からモンテ・クリスト島に隠された財宝のありかをおそわり、これを発見する。これ以降さまざまな手を使ってフェルナン(すでにデエドモンの許嫁と結婚していた)や、彼を陥れた検察官、同僚の船乗りなどに復讐をしていく。最後には、あっという驚きもついている。

古典というだけでじっくり見てしまったが、よくよく考えてみるとチープなストーリーかも。原作を読めということだな。

とはいえ、19世紀初頭(ナポレオンのエルバ島脱出の頃だから1815年)を再現した船、建築、衣装などやイフ島、モンテ・クリスト島、マルセイユ、麦畑の風景は美しかった。その点ではこの映画を見た動機を十分満足させてもらえた。まあこれらの風景はすべて別の場所で撮られたものであるが。
イフ島は実在する島で、デュマの小説の発表後、デュマ自身が牢獄を建てたりしたそうな。ディズニーランドみたいなもんか。

マキャベリの「君主論」やアダム・スミスの「国富論」に「キ」てしまう自分が笑えた。

 

 

2006年3月

5日

ホテル・ルワンダ

2004年

ノミネートのみ

監督:テリー・ジョージ

原題:Hotel Rwanda

日曜のレイトショーだが、かなりの席が埋まっていた。興味深いのが、観客の層だ。他の映画と比べて家族向きではないせいか、一人で来ている人が多かった。隣の人は「連れ」で来ていたが、カップルではないようだった。彼らは友人たちから「東京・ディズニーランドに行こう」と誘われたのを断ってわざわざホテル・ルワンダを見に来たらしい。さすが。

1994年のルワンダ内戦において実在した(まだ生きている)高級ホテルの支配人の物語。
多数派のフツ族と少数派のツチ族の対立がやがてハビャリマナ大統領の「暗殺」を契機にフツ族によるツチ族の虐殺を引き起こしていく。
フツ族のホテル支配人ポール・ルセサバキナ(ドン・チードル)はツチ族の妻をはじめ多くのツチ族の人々を高級ホテルに「客」として避難させる。フツ族の民兵は避難しているツチ族も当然攻撃対象にするため、ポールは本心としては守る気も無いフツ族の軍隊に一生懸命賄賂を贈って何とか攻撃をかわしていく。国連をはじめ、西側諸国はソマリアの傷跡がいえておらず、介入する気は無い。やがて隣国ブルンジからのツチ族の反乱軍がキガリに押し寄せ、ポールらはようやく助けられる。

商売柄、本来なら批判的に見なければならない映画だが、どうも普通にのめりこんで見てしまった。ルワンダはそれまで「日本は(一人前の国として)軍隊を持ってPKOに国際貢献するべきか」ということだけに関心を持っていた青二才の僕が、「なんだ他の国も一緒じゃないか」と気づくきっかけを与えてくれ、ひいては「なぜ国際社会は協力が難しいのか」という問いへと昇華(?)させていく大きな転機となった事件である。大学1年だったこともあり、リアルタイムで感じてきた。(ただし、当時からボスニアばかりに関心が行っていたことも確かだ。模擬国連でルワンダをテーマにしたことなんてあったかどうか・・・。)

ルワンダの内戦は授業で取り上げる際にも、どっちがどっちかを説明するのが煩雑でよく混乱するところだ。それだけでも基礎的な教材として十分使える資料だ。その上、IDP(国内避難民)の様子や、民兵組織の乱暴狼藉など、内戦における混乱をリアルに表現していた。これを見ると現地の活動家がエヴァキェーション(紛争地からの緊急避難)の際にトラウマを抱えるというのがよく分かる。

まあやや他の人とは違うと思うのが「それでも国連を善く描きすぎ」というところだろうか。「オリバー大佐」はダレール少将(Major-General Romeo A. Dallaire )だ。ちなみにUNAMIRレベルのPKOで佐官級が司令官になることはない。彼はPTSDに悩み、自殺未遂までしている。

映画にするうえでは致し方ないことだが、やはりハッピー・エンドというのは問題をやや軽くしてしまう難がある。現実はもっとシビアだ。ちなみにルセサバキナ氏は日本のNGOであるPBCに招待され、本年日本に来て講演を行っている( http://www.peacebuilders.jp/symp11.html )。いまやルセサバキナ氏は英雄であるが、現政権批判を行ったためルワンダ政府から「彼は政治的野心がある」と批判されている( http://www.peacebuilders.jp/ambarw.html )。これが事実かどうかはわからないが、どこから見てもクリーンな人は現実には存在しないということか。現実は難しい。

さらにいえば、ある意味ルワンダは最終的には西側諸国が「救ってくれる」(フランス軍によるOperation Turqoiseなど)わけであり、ICTR(ルワンダ国際戦犯裁判所)などによって一応の法の裁きが行われている。しかし、多くの国(スーダンがいい例)は30年も放っておかれているのだ。

ともあれ、彼らが何故西側諸国の助けを必要としなければならないのか。自分たちでうまくマネージできないのはなぜか。これは国際システムの大きな問題である。さらにいえば、そもそもこういった内戦は何故起きるのか。それに対する「最良の」対策は何であるか(予防外交・平和維持・平和構築すべての面において)。映画の最後に子供たちが歌う歌の中で出てくる「なぜアフリカはアフリカ合衆国になれないのか、なぜアフリカはアフリカ連合王国になれないのか」という問いは興味深い。つまり、アイデンティティーとセルフマネージメントの問題に取り組まざるを得ないのだ。

それにしても、アフリカの音楽は純粋にいい。

 

 

2006年2月

8日

グラディエーター

2000年

作品賞・主演男優賞・視覚効果賞・音響賞・衣装デザイン賞

監督:リドリー・スコット

原題:Gladiator

五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝とその息子であり跡継ぎであるコンモドゥスの時代を舞台に、時代と運命に翻弄された元軍人マキシアスの数奇な運命を描きます。出来の悪い息子であるコンモドゥスは老いた父を殺し皇帝に座るのですが、先帝に寵愛を受けていた(そして姉が愛した)マキシアスの処刑に失敗します。身代わりにマキシアスの家族は無残にも処刑されてしまいます。マキシアスは奴隷と化し、グラディエーターとなって再び宿敵コンモドゥスに立ち向かいます。

史実とは当然ながら異なっているようです。哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスはガリア征服の途中、現在のウィーン近郊で陣没し、コンモドゥスに暗殺されたわけではありません。その上コンモドゥスはローマ帝国史上最悪の皇帝とされていますが、彼自身が暗殺され、元老院によって記録が抹殺されているのです。まあコロッセウムにおける見世物に興じ、多くの剣闘士を殺したことは事実のようですが。

いわゆる「パンとサーカス」を求める衆愚政治、パックス・ロマーナ、などどう考えてもアメリカの自己批判でしょうね。2000年だから出来た作品なのか。あまりにも「べた」ではありますが。

しかし、せっかくならラテン語でやってほしかった(無理?)。年の数え方も映画で出てくるような「2年と○○日」というのはローマではあまり考えられません。なにしろ一年の長さが365日であることを知らなかった時代です。ラテン語の暦はとにかくややこしい。今日の日付2月8日はローマのよび方で考えるのは大変です。毎月3日しかない特別な日(カレンダエ、ノーナエ、イードゥース)から逆算するのです(ノーナエの3日前など)。ところが、カレンダエ(カレンダーの語源)は1日を表すのですが、ノーナエ、イードゥースはその月が「大の月」か「小の月」かによって変わります。2月は小の月で、ノーナエが月の第5日、イードゥースが第13日です。しかも0(ゼロ)の概念がないローマですので、引き算もややこしいのです。したがって、2月8日は「2月のイードゥースの6日前」とよばれます。ちなみに「2月」という月の名前ですが、Janiary, February,...という英語の語源となったFebruariusが基本なのですが、コンモドゥスは勝手に月の名前を全部変えてしまったので、彼の治世ではInvictusということになります。(このあたりこのページを参照)。なんとも。

皇帝を「シーザー」と呼ぶあたり・・・。何とかならなかったのでしょうか? なお、マキシアスの家来であるキケロは有名なキケロではありません(時代が150年ぐらい違う)。

こういったツッコミをついつい考えてしまうあたり、歴史モノは自分の性に合っているらしいです。

「バックドラフト」といい、「ライオン・キング」といい、「グラディエーター」といい、ハンス・ジマーの音楽は心に響きます。

 

 

2006年1月

12日

ハリーポッターと炎のゴブレット

2005年

監督:マイク・ニューウェル

原題:Harry Potter and the Goblet of Fire

http://www.imdb.com/title/tt0330373/
 

ようやく見てきました。

今日は昨日よりいろんなことで失敗が多く、ストレスから来る独り言が多くなったため、
これは行かんと思って気晴らしをすることに。
思い立って車に乗って映画館まで来て、チケット買いに並んだときに気づきました。
水曜日はレディースデー・・・。

「レディースデーに一人でハリポタかよー。」

といきなりショック。


開演まで時間があるので1Fのウェンディーズに行き夕飯。ウェンディーズダブルバーガーセット+チリ。
その後はTSUTAYAに行ったり、ダイエーでセミロングのコートを探したり、万年筆を捜したり、
本屋で初級シスアドの教科書を読んだり(何故?)。
キャラクターショップで大量のバムセ(S/M/L/LL)をみつけ、ちと喜んでしまいました・・・。(このサイトのメインページでパズルを見上げているブタです。)

映画のほうはそれなりによかったです。
ある程度「ハリー・ポッター的な」驚きは予想できるようになってしまいましたが。
(あ、こいつは実は悪者(または味方)だな・・・とかね。)
(ちなみにマルフォイ父が完全に悪者だと判明したのは少々驚き。ちょっとべた過ぎないか。)

3大魔法学校は英・仏・独の三カ国をイメージしているのでしょうか。
なぜかお嬢様学校が「宝塚学校」とか「某国の美女軍団」に見えましたが・・・。

うわさになっていたハリーの初恋や、ロンとハーマイオニーあたりとの関係はよく分からずじまい。
ハグリッドとのっぽのおばさんはどういう関係?
いずれにしても原作を読むべきなのでしょう。

エンディングは暗かったです。そりゃ一人死んじゃえばねぇ。でも前々から言われていた「誰かが死ぬ」というほどのインパクトはありませんでした。実は映画で描かれてないところで重要人物だったのでしょうか?

なお、いろいろインターネットの批評サイトで問題になっているのが、「生徒たちを仮死状態で湖に沈め、宝探しに使わせる学校なんて問題だ」「生徒一人が死んだのだから校長はクビだ!生徒の安全を第一に考えるのが教育現場での最重要事項であるはずであり、ちゃんチャラおかしい・・・(以下略)。」などなど。
たしかに。でも少々感情移入しすぎの感も。ファンタジーだからねぇ・・・。

とはいえ、つい感じてしまったこと。
「そんなに簡単に脱獄できる『アズカバン牢獄』でいいのだろうか・・・。」

 

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最終更新日:2006/05/21