| 第3章 ペルシア戦争とペロポネソス戦争 |
| 民主化を果たしたアテネ。ギリシア世界はさらに拡大を続けました。 しかし、ギリシアの勢力が地中海から小アジアにまで広がりを続けましたが、この当時オリエントには、現在のインドの端っこから、トルコあたりまでを含む大帝国 アケメネス朝ペルシアという大国が存在しました。アケメネス朝ペルシアは、王が絶対的な権力を持ち、民族も言語も異なる国をそれぞれの地域ごとに知事をおき、強大な国家を作り上げていました。 ペルシア王ダレイオス1世は、地中海の小国ギリシアの拡大を食い止めようと考えます。 当時ペルシア領だったイオニア地方には大勢のギリシア人が移民してました。ペルシア王はギリシア人に対して圧力を強めました。 それに対してイオニア地方のギリシア人がペルシアに対して蜂起。 ギリシア各国のポリスが次々と参戦し、ギリシア世界は一丸となってペルシアと戦いました。 これがペルシア戦争(前500~前449)の50年に及ぶギリシアとペルシアの戦争の幕開けとなりました。 ペルシア軍は、当初ギリシア支配はたやすいと思っていましたが、平坦な道が多い中東と違い、ギリシアは複雑な地形(人も住みにくい場所だしね)で、ペルシアの騎馬部隊はその威力は半減。 戦いは主に海戦がメインとなりました。 ギリシアはアテネとスパルタ教育で有名なスパルタを中心に果敢に対抗。 まずマラトンの戦いでアテネ軍は勝利。この時遠く戦場から、 自軍の勝利を告げるためにマラトンからアテネまでの42キロを駆け抜いて,「我が軍勝てり」と叫んで息絶えたということからマラソンが始まったことはあまりに有名?w 途中で休めば死ななくて済んだんじゃとか思うのはだめですかねぇ〜。 そしてペルシア戦争の最大の見せ場といえばサラミス海戦。 ガンダムのサラミス級巡洋艦はこっから名前を取ったと思われますw アテネ海軍の倍以上の兵力のペルシア軍。ペルシアはギリシアの中心アテネを叩こうと、アテネの本拠地へ進軍します。 それに対してアテネ軍は、アテネ近郊のサラミス湾までペルシア軍をおびき寄せました。 狭いサラミス湾に入ったペルシア軍は身動きがとれずに、隠れていたアテネ軍により各個撃破されていき、サラミス海戦はアテネ軍の大勝利と終わり、ペルシアはギリシア討伐を断念。 ここにギリシア文明の存亡をかけた戦いはアテネ・スパルタ連合軍の勝利となった。 この戦いに勝利したアテネの指導者ペリクレスは、アテネの支配を より確固たるものにしようと考えます。 ペリクレスは、ペルシアの脅威を他のポリスに呼びかけて、 アテネを中心とするデロス同盟を結成。 他のポリスからの上納金等でアテネは黄金時代を迎えます。 ペリクレスはその莫大な資金でパルテノン神殿を建てました。 黄金のアテネ像が作られたといいます。盾と杖だっけ? ちなみにペリクレスは親友フェイディアスにこのパルテノン神殿を 作らせたのですが、アテネ像の盾にひそかにフェイディアスとペリクレスを描いたとかで、フェイディアスは神への冒涜として牢獄入りしたとのこと(つД`;) しかし、このアテネの全盛期に対してスパルタは激しく怒りを燃やしていました。 スパルタはアテネに反感を持つポリスを集めてペロポネソス同盟を結成。 前431年 ペロポネソス戦争が勃発。 アテネでは疫病が流行し、ペリクレスも病死。 その後 アテネの民主主義が悪用され、扇動政治家が台頭。 扇動政治家のことをデマゴーゴスといいますが、これが今のデマの起源。まぁようは適当なこと言って、権力(゜Д゜ )ウマーな人に、民衆もころっとだまされて彼を支持って感じ。 アテネの民主主義は崩壊。前回出てきた多数決による投票システムで、 バシバシ人が処刑されてます。 前回登場したソクラテスさんも、裁判にかけられて無茶苦茶な理由で死刑を宣告されました。 そこは哲学王ソクラテスさん。 「悪法とはいえ国の法律だ。」といって毒を飲んで死んだそうです。 カッコイイ・・・。 こうして衆愚政治に陥ったアテネはスパルタに屈服。 しかしギリシアの覇権を手にしたスパルタもすぐにテーベによってその支配権を奪われてしまいます。 これを裏から操っていたのはペルシアでした。 ペルシアは、ギリシア人同士で互いに争わせようとお金を援助したりして、以後100年に渡ってギリシアのポリスはお互い争いあい没落をしていきます。 |