巻頭ページの一言

写真家あるいは憧れの職業


「代表、またえらく古いカメラですな」「…俺は電池がないと動
かないカメラは好かんのだ」
「代表がいつも持ってるデジカメは電池ないとまったく動きま
せんよ」
「…デジカメは、写真機じゃなくて、あくまでデジカメだ」
「わけわかんないっすね」

コメント

物心ついて初めて「なりたい」思った職業は、広い意味での運転
手だった。車、トラック、電車。パイロットになりたいと思わなかっ
たのは、飛行機というものがあまりに現実からかけ離れた乗り物
だったからかもしれない。小学校の頃だったかなぁ。

もう少し年齢を重ねて、中学生になって、小説家になりたいと思っ
た。この頃にはもう筒井康隆先生の小説に傾倒し、いっぱしの文
壇通を気取るというイヤな中坊だったわけだ。まぁそのおかげで
今のような「駄文を書き連ねる」ことが大好きになってしまったわ
けで、実はこの夢はいまだに捨てきれないでいたりするのだが。

高校に入学してから、写真部に入った。当時私の通っていた高校
は、いわゆる課外活動つまり部活動に必ず籍を置くこと、という
のが不文律になっていた。また、私の学年の写真部というのは在
籍の半分以上が幽霊部員で、その幽霊部員全てが「不良」たち
だった。つまり在校生たちからは「不良の溜まり場」として見られ
ていたのだ。

だが私は一応、まじめに写真を修めた。親父のものだったオリン
パスOM-1を完全に占有し、バイトで稼いだ金でオプションパーツ
を買い揃えた。学校の階段下物置を改造した暗室でセブンスター
をくわえながら、白黒写真の現像をおぼえた。写真部合宿という
いかがわしい小旅行で、一応まともな風景写真を数カット撮っ
た。当時貴重だったウラ本を各ページ精密に複写して現像し、売
りさばいた。写真に対しては、私はまじめだった。

高校を卒業して大学に進学したが、サークルは迷わず写真部を
選んだ。高校の写真部の暗室とは比べ物にならない、まともな暗
室に感動した。…本当はすごくちゃちい暗室だったが。例会では
真剣にお互いの作品を批評しあう先輩たちに感動した。ものすご
い大判サイズを緻密な描写で焼き上げる技術に感動した。当時
カラーをやる人もいたが、私はモノクロの写真「焼き」に、ものすご
い奥深さを感じた。写真家になりたいと真剣に考えていた。

写真とともに大学時代に熱中していたのは、(勉学の他には)芝
居だった。性格派俳優を目指していたつもりだった。戯曲の初歩
も知らなかったがみようみまねで脚本を書いたりもした。演るのも
書くのも好きで、俺はきっとスゲェ芸術家になると半ば本気で思
っていた。当時、野田秀樹や鴻上尚史が華々しくメディアをにぎ
わしていた頃だ。

…結局、写真も才能はなく、それに賭けてみるだけの根性もなか
った。俳優の道も、ましてや脚本家の道も、無論小説家の道など
まったく狭すぎて、無余地駐車違反でキップを切られると気がつ
いた頃にはもう大学四年生だった。時代がバブルでラッキーだっ
たんだろう。神様みたいなものが救ってくれたのかもしれない。

とにかく大学四年の八月に、はじめて訪れた会社でいきなり内定
を貰って、今に至ってしまったわけで。

基本的に大体のものを肯定してしまう私は、結果オーライだった
と思ってる。何かになろうとするんじゃなくて、私は何かなんだ、と
思い込むことこそが今の私を支えてる。

今私は運転手で小説家で写真家で俳優で脚本家で、市川電蔵
事務所代表。よろしく。
2002/03/19



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