山の出来事
星新一
山の麓に,五作という猟師が住んでいた.珍しく雷の日が続き,仕事を休んだ.
やっと晴れ,山へ入り,鉄砲で鹿を仕留めた.
運んで帰ってみると,父親が死んでいた.屋根を修理しようとして登り,足を滑らせて落ち,頭を打ったのだ.
葬式を済ませ,また山へ入り,小熊を仕留めた.持ち帰ると,4歳になる息子が死んでいた.蝶を追って,沼に嵌って溺れたのだ.
悲しみが収まり,山へ入ると,木の上で猿が嘲笑うような声を出した.かっとなって鉄砲を撃った.帰ってみると,妻が死んでいた.原因不明の発作のせいらしかった.
五作は独りになってしまった.そういう家族構成だったのだ.
何もする気も起こらず,家の中でぼんやりしていた.そこへ,小柄な山伏がやってきて,言った.
「一夜の宿を御願いしたい」
「どうぞ,どうぞ.寝る場所なら,幾らでもあるんです」
「何か寂しそうですな」
「実はな……」
五作は,続けざまの不幸を語った.
山伏は,大きく頷いてから言った.
「なんとお気の毒な.ぐっすり眠ることです.いい薬草を持っています.目が覚めれば,嫌な事は消え,元気になりますよ」
薬草を煎じて飲む.五作はぐっすり眠った.
その内,揺り起こされた.
「あなた,起きてよ.いつまで眠り続けるつもりなの.心配させないでよ」
目を開けると妻だった.息子も,老いた父も,気遣った表情で覗き込んでいる.
五作は驚く.
「なんだ,これは.背の低い山伏はどうした.訳が分からんぞ」
「しっかりしてよ.山伏なんかいるわけないでしょ.変な夢を見たようね」
「あれが夢か……」
五作は外へ出て,埋葬したはずの墓を見に行った.
しかし,そんなものはなかった.
聞いて回ったが,山伏を見かけた人もいなかった.
あれが夢だとは思えないが,現状は満足すべきものなのだ.それでいいのかも知れぬ.
五作は猟をやめ,畑仕事に専念した.何故か彼の畑だけは,鹿や熊や猿に荒らされることがなかった.
それから5年ほど経った.父は既に病死していた.
ある大雨の日,五作は村人達と,橋の補強に出かけ,滑って濁流に飲まれ,流された.助けようがなかった.
妻が嘆いていると,小柄な山伏が立ち寄って言った.
「何を悲しんでいるのです?」
「亭主に死なれたのです.まだ子供が一人前になっていないのに」
「いやいや,ご主人はお亡くなりになっておりませんぞ.お待ちになることじゃ」
それから3日後,五作は帰ってきた.
誰も驚き,妻はその上,不思議がりもした.
「本当にあなたなの? 山伏じゃないのね?」
「何を馬鹿なことを.かなり流されたが,岸に打ち上げられて助かったのだ.神のご加護があったのだろうね」
信用しにくい話だが,本人がそう言うのだから,認める以外にない.そうだとして,何の問題もないのだ.
息子も成長し,結婚をし,やがて孫もできた.五作は病気もせず,長く生きた.そしていつのまにか,村で最年長になっていた.
この村には毎年,最年長の者を山に捧げる風習があった.悲惨とも言えるが,若い娘を,湖の竜神に人身御供として沈めるのに比べれば,遥かにいいのではなかろうか.
「では行くか.色々とあって,面白い一生だった.皆も達者でな」
五作は,酒を入れた皮袋を下げ,村を出た.もう,戻ることはないのだ.
「おめでとうござんす.あちらの方に,よろしく」
送る村人達は,口々に言った.苦痛の内に死んだ人のことを思えば,羨むべきことなのだ.それに,山に宿る神にも会えるのだし.
ずっと続いている行事なので,3日もすれば,5作のことなど,誰も忘れてしまう.しかし,そこへ手紙がもたらされた.烏が咥えてきて,村の長の家に届けた.
こう書いてある.五作の字だった.
<神様が言うには,私の魂は見るからに珍味で,こんなのには当分出会えそうにないから,来年から儀式はやめてよろしいとのこと.もう,わざわざ人を捧げないでよいのだ>
次の年から,この哀れな行事は廃止された.もっとも,だからといって,人が死ななくなったわけではない.
そして,変わった事件も起こらなくなった.けじめがなく,ただ年月が過ぎてゆく.
昔はよかったと思っている村人も,多いのではないだろうか.
(From 「これからの出来事」 新潮文庫 '93 Nov.25)