政策論

録音されていたキューバ危機を見終えての考察(ごめん。これは持論っす)
まず、この映像を拝見させていた感想を述べさせていただくと些か、この映像の趣旨に反しますが核抑止は有効であるということです。
 確かに、この一件では核の脅威によって事態が始まり、核戦争の瀬戸際まで米ソは進みました。が、しかし仮に核兵器が当時存在していなかったとしたら如何でしょうか?
おそらく核の不在により西ベルリンにもNATOが反抗に出るまで一応持ちこたえられる兵力を多少の無理を押して配備せざるをえなくなり米国強硬派やケネディはソ連の反撃を気にせずに安心してキューバを攻撃していたことでしょう。ここで、キューバに核が無ければ米国首脳は、脅威を感じずに放置していたのではないか?という疑問が当然出てきます。
しかし、化学兵器は勿論、通常弾頭でもミサイルを政庁、金融街、人口密集地に撃ち込めば心理的又は物理的に相手に多大な損害を与えられることは、第二次大戦のV2やつい先日のNYの特攻攻撃を見れば、明らかですし当時の軍人は「爆撃機も、それを守る護衛機も必要とせず、自陣営にいながらにして敵の頭上に爆弾を運ぶこのシステムは、それまでの爆撃の概念を覆すものである。誘導システムの精度等の問題こそあれ、自軍の兵を損ねる危険無しに爆撃を行えるという事」を非常に魅力的に思っていました。自分が持つ分には。
 また、現在でもそうであるようにミサイルというのは大小を問わず先手必勝の兵器であります。となると報復の危険も無く先に立たなければ危険であるとして米国はキューバ爆撃を核が、お互いに保有していなかったとしても実行していて第三次世界大戦が勃発していた可能性が強いといえます。
 では、何故キューバ危機が「危機」で終わったのか?となりますが、それこそ、お互いに核を持っていたからです。核の恐怖があったからケネディ大統領の「私はロベットと語り合った。ロベットは、キューバ空爆が我々とNATOの関係を打ち壊すと感じている。我々の空爆にソビエトが反撃し、それがベルリン占領に繋がれば、アメリカはヨーロッパ同盟国から非難の嵐を浴びせられると言うのだ。ヨーロッパ同盟国は長い間、ソビエトの核ミサイルの脅威に、耐えてきたからだ。」という判断も出てくるのです。もし核によるにらみ合いが無ければ中規模の世界大戦が発生していたことでしょう。
 では、キューバ危機の教訓が核抑止幻想論でなければなんなのか?私は政治体制の問題点を表したものだと思います。
 まずは米国から考えてみたいと思います。米国というのは元々一つになるという気も無く独立戦争当初時の考えも「独立」というより以前の「名誉革命」的なものであり、いざ独立してみれば宣言書の大半が当時の国王への非難でしかない・・・というような国家でした。このような伝統も何も無い国家がどうやって生存していくかというと現在の中国や過去の中華王朝、北朝鮮、韓国(代々分裂国家のため)のように偏狭なナショナリズム(ショーヴィニズム)を煽る事となります。となると軍需産業は国防産業として珍重されるようになり、利権構造が発生します。その結果、いわゆる軍産複合体=Military Industrial Complexから戦争の発生を願う圧力がかかります。(その証拠にサルトル曰く「黄色人種だから彼等は罪悪感を感じないんだ」といわしめた原爆投下を決定した国家の元首は核兵器開発・製造企業デュポンの役員でした。また、つぶれかけだったが特需で息を吹き返したべル・ヘリコプター、大いに売り上げを延ばしたファイアストーン、コカ・コーラからも資金が軍部に流れているのも有名な事実です。)
また、先の偏狭なナショナリズムにより、それに乗っかる一般人の人々も出てきます。
そして、自らを絶対的な自由平等の国という妄執と利権が合体し苛烈な行動にでるのです。これが、アメリカ特有の問題点ではないでしょうか。
次にソ連を見てみたいと思いますが、これは共産主義が人間性は信じていないのに人間の能力は過大評価していることによる極端な官僚主義が問題です。おかげでフルシチョフは面子を気にしながら、なかなか届かないケネディへの手紙を書き上げることになりました。また、人工国家であるために伝統によるアイデンティティの確立が出来ずショーヴィニズムと共産主義への妄信が跳梁することで過度の威信への拘りを常に持ち続け交渉で安易でない妥協さえできません。これが、ソ連特有の問題点ではないでしょうか。
このようなことからキューバ危機は二国間の特殊な政治体制の問題点を抉り出しているといえるのではないでしょうか?多少、趣旨から離れましたが、そういう結論で筆をおきたいと思います。
国連問題に関する考察と日本がとるべき政策(上)
国連問題に関する考察

まず、昨今国連による紛争解決が歌われているが本当に国連はそれに値する組織なのであろうか?それを手始めに考察したいと思う  

1.腐敗する国連
現在、各地の紛争地域などで国連は揶揄をこめて「カントリークラブ」と言われている。
カントリークラブというのは、欧米の上流階級の排他的会員制クラブの名称であるが、今まさしく国連が、そういう状態になっているのだ。
 例えば、その証拠を挙げると2001年2月に報道された事件が上げられる。
この事件は非常に国連の腐敗と堕落を象徴したもので、スーダンとソマリア難民に対しての収賄事件であった。当時、現地を訪れていた国連職員たちがカナダやアメリカに送ってやると言って困窮したスーダンとソマリア難民から一人当たり5000ドルを徴収したのだ。
 だが、これだけでは、終わらない1999年には韓国系国連職員チャールズ・キムが1995年からクロアチアのザグレブの国連事務所で運送責任者として働きながら現地旅行業者からPKFの航空券予約の斡旋料50万ドルを受け取ったとしてFBIに逮捕されている。
 アフガン紛争時にも、この様な事は発生している。とライバル・エリアのような危険区域はともかくペシャワール郊外のような比較的安全な地域でも国連職員は特別手当を支給されているにもかかわらず「安全保障上(援助が) 出来ない」「そのような地域の情報はない。 (情報が)入り次第行動を取る」といってタジヤバードなどの難民キャンプを放置している。
 一方、パキスタン入りした国連職員は現地の最高級ホテルに泊まり続けデスクワークに終始し外国人にしか許されないバーで現地人にとっては法外な一日分の値段の酒を呷るのみであった。
 物資援助についても同じことが言えた。79年のアフガン戦争に端を発したパキスタンへのアフガン難民流入により何年も前から200万人を越える難民がパキスタンに住みついていた。勿論、UNHCRやWFPを始めとする国連機関が、現地入りし様々な援助をしていた。
 しかし、新旧の難民キャンプの住民たちは無料が原則の援助物資を買わなければならなくなっている。何故か?
例えば無料である配給小麦粉をキロ約150ルピー(約320円)を払ってミドルマンと呼ばれる仲買業者から買っている。勿論、難民たちは貧乏である。結果、業者から借金をして買う羽目になる。その借金は増えるばかりである。で、アフガン難民達は返済のためにごみ漁りや子供はレンガ工場や絨毯工場で働くことになる。中には体を売るものさえいる。
 こういう事情があるのだ。
だからといって国連職員がこうした横流しに直接関与している証拠はない。
だが、このような横流しは東ティモールでも発生している。仮に現地のミドルマンが関与しているとしても、そうしたミドルマン、そして、それと癒着している国連職員を摘発することは容易であるはずだ。にもかかわらず放置されているのは、彼等が無能であるか、恥を隠したいのか、自身が関与しているかとしか言いようが無い。
 そのほかにも国連職員の現地における「援助貴族」ぶりが報告されている。
原因はなにか?一つには年収の問題がある。彼等は大手民間企業より年収は少ないが税金が免除されている。また、不要子弟教育費、本国に家族を残してきた場合の生活維持費が、これに加えられる。そして紛争地域に行けば無給のNGO職員より安全であるのだが、特別手当が支給される。
 又、出世に大事なのは上司に気に入られることである。その為ユニセフ職員はNGO職員に会うより自分の職務報告に費やしているという話もある。
 事実、国連職員の最初の研修は国連の不祥事を、いかにメディアから守るか?である。
これでは、援助貴族としてカントリークラブとして過ごす方を選ぶ職員が続発するのも無理も無い。

2.国連の力

では、次に国連の力を考察してみようと思う。
国連というのは、そも先の対戦中に構想され憲章が成立している。その後たまたまドイツが5月に日本が8月に降伏してしまったので成立が戦後になっただけである。つまり、連合国が、そのまま合法化しただけなのである。日本人は国際連合などと故意の綺麗な誤訳をしたために、国連を過大評価しているが実際はスペイン、ヴァチカンを始めとした中立国や非交戦国を排除してできた派閥集団でしかない。無差別に加入できた国際連盟とは素性からして違うのである。また二つの組織は46年4月19日に国際連盟が解散するまで半年間共存しており、連盟が消滅、発展して連合ができたのではない。
 つまり、公平な政策形成などが行えない組織だということだ。
また、国連の決議の有効性にも疑問が残る。
国連は確かに公開外交が原則である。それは、道徳的には、いいことかもしれない。
だが、そんなものは、すぐ失敗した。主要国ともなれば重要な案件を公開して話し合うなど無理な話である。だいたい交渉を手の内をさらしてうまくいったことなどないし、それならば情報機関や外交組織などは日本のように儀礼・典礼省のような状態にすれば世界平和になるといった話になってしまう。
 現実を見れば、それを証明している。プラザ合意、戦略ミサイル交渉、ベルリンの壁崩壊、キューバ危機、サミット、蔵相会議…と重要な案件は全て国連は関与していない。
紛争解決にしたって当初はPKOやPKFがそこそこ効果を挙げたがソマリアやユーゴで、それは、破綻した。それどころか、このような解決いや、紛争の悪化さえくいとめられないことが、2000年5月に証明されている。
シエラレオネにおける国連職員拘束事件である。
当時、あまりの酷さに報道しようが無いといわれた8年間の内戦の最中のシエラレオネに平和維持のためにUNAMSIL要員300名余りが派遣されたが左翼ゲリラに全員拘束されたのだった。結局幸いにも国連の要請で英国軍を中心とする西側国家が介入し救出されたものの国連の限界を露呈した。
 
総括
こうしてみると、国連による安全保障や紛争解決というものが疑問に思えてくる。
アフガン紛争では何千万を超える犠牲者を他国に与えて来た国家がわずか二千人の死亡者を出したということで、それを大きく超える殺戮に大儀を与えたりもしているかと思えば
ソマリアでは何十万人も放置している・・・・・・
結局、日米同盟やNATOなどの地域安全保障が有効という話になってしまう。 
そもそも現在な複雑な国際問題を国連自体で解決しようというのは誤りではないか?
あまりにも独自の情報機関も軍事力も経済力も無い国連にとっては、重荷である。
この50余年の間に制度疲労を起こしているとしか言えない。
 よって国連に頼るのではなく、それを利用して解決を図るのが良策なのではないだろうか?そもそも、国連中心主義というものは自分が関与したくないので人に任したいという、
特に戦後、心まで武装解除してしまった日本人のエゴではないだろうか?
とも言える。

最後に、この言葉を教訓にして序論を終わりにしたいと思う。

「日本が戦争を捨てても、戦争は日本を捨てない」
―――坂井三郎

「外交とは平時の戦争である」
―――周恩来

では、次に日本がとるべき政策を考えてみたいとおもう


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