【オピニオンプラザ・わたしの正論】第254回
「変わる日教組へ望むもの」
[1996年01月04日 産経新聞 東京朝刊]
【入選1位】中嶋仁市
◆一人で県教組に脱退手続き
私は昭和11年から同59年まで、教職に在り、その間教員14年、校長5年のほかは、14年は県教育委員会に、最後の15年は栃木市教育長として、計29年間は教育行政に携わった。その間、昭和三十年代からは、日教組対策が教育行政上の最大の問題で、私も職務上苦労させられた。次にその一端を述べる。
それは私が学校長だった昭和34年10月、県教組を脱退したことである。日教組は、勤務評定・全国学力調査・特設道徳・新教育課程等、文部省の施策総てに実力行使で阻止する反対運動を展開した。私は文部省の施策を実践している者として、悩んだ末、一人で県教組に脱退手続きをとった。当時の栃木県では全教職員が県教組に加入していたので、脱退には相当の覚悟が必要だった。
予想した通りその反響は大きく、翌35年1月、県教組は約20名のオルグ団を編成し私の学校を中心に2日間にわたり、栃木市内24校を、脱退防止説得に回った。しかしその結果は逆で、わが校をはじめ脱退者が続出する羽目になった。その後県内では各地に正常化運動が起こり、昭和38年9月には、県教組は僅か463名に激減した。そして同年11月には、栃木県教職員協議会が、日教組以外全国初の組合として誕生した。それがやがて全国組織「日教連」となり、今日に至った。
◆路線転換喜ぶにはまだ早い
次は栃木市教育長時代の昭和56年6月、毎日新聞全国版に、「栃木市教育長が愛国心パンフレット配布」の大見出しの記事が出た。私は「国民が国を愛してどこが悪い」の心境だったが、県議会では革新政党が問題にした。しかし結果は逆に「日の丸・君が代」も愛国心も必要であるとの認識を育てることになった。かくて私は県教組からは敵としてにらまれていたが、私自身は、戦後教育界の最大の不幸は、日教組の存在であると、この肌で感ずることが出来た。
ところが平成7年9月の日教組大会で、「対立から協調」へと路線転換が行われた。本来なら当然喜ぶべきことだが、喜ぶにはまだ早い。それは真に過去の非を反省した結果ではなく、時代の変化に対応したに過ぎないからである。それは冷戦構造や55年体制の崩壊、そして自社連立政権の誕生により、日教組だけが独り取り残された結果の緊急避難であろう。更には組織率の低下と、それに伴う財政窮迫が拍車をかける結果になったものと思う。
そして9月の日教組大会で、学習指導要領・新任者研修制度・職員会議・主任制問題の路線転換はしたものの、現場を最も混乱させている「日の丸・君が代」問題は棚上げしており、まして「教師の倫理綱領」については、一言も言及していないことが致命的である。
それでも日教組が、真に今後の組織維持を望むのなら、長い間の今までの信頼を取り戻すため、次の3点について、抜本的体質改善を図るべきだと考えている。
その一は、「教師の倫理綱領」についてである。日教組の憲法とも言われるこの倫理綱領をそのままにして、何の路線転換ぞやと問いたい。綱領の八は「教師は労働者である」とし、その条文中に「新しい人類社会の発現は、労働者階級を中心とする勤労大衆の力によってのみ可能である」とあり、教師を労働者に仕立てて階級闘争を続けさせようとしている。幸い冷戦構造が崩壊した現在こそ、抜本的見直しをすべき好機ではないだろうか。
その二は、「日の丸・君が代」問題である。村山首相は首班指名を受けた直後の国会の代表質問に、「国旗・国歌であることの認識は国民の間に定着しており、尊重したい」と事もなげに答弁していたが、この問題で最も苦労させられたのは、日教組教員の多い学校の校長であり、その犠牲者はそこに学ぶ児童生徒であり、更に父母までも巻き込む程の重大な教育問題なのである。しかるに反対者は、口を開けば「法律に無い」と言う。確かに成文法には無いが、明治以来慣習法として成文法以上に、国民の心に定着している事実を知るべきである。国旗・国歌の問題は、文部省が最も重視していることで、これを抜きにしての協調など全くあり得ないものと思う。
◆「政治的中立」を求めている
その三は、教育の政治からの中立の問題である。教育基本法第八条は、法律に定める学校に対して政治的中立を求めている。しかるに倫理綱領の六の条文では、「これまでの日本の教師は、政治的中立の美名のもとに、ながくその自由を奪われ」とあり、更に解説を見ると、「教師にもまた『政治的中立』などは求むべくもないはずである」と明記してあり、その上で綱領十では、「団結こそは教師の最高の倫理である」と結んでいる。教育基本法に反する教師集団に団結されたら、日本の公教育は一体どこへ行くのか、考えただけでも恐ろしくなる。
以上三点の体質改善の無い限り、日教組の路線転換は全くあり得ないものと考える。
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なかじま・じんいち 大正6年3月、栃木県小山市生まれ、78歳。栃木県師範学校卒。栃木市教育長などを経て、国学院大学栃木短大講師。趣味は読書、旅行。4回目の入選。栃木市在住。