「国旗・国歌」反対強制一問一答集3
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Q17.
「自分は日の丸・君が代」が好きだという人にはどう言えばよいか
「日本人として,まったく当たり前の感情で,礼儀正しく常識のある人だ」と言えばよいのです.
さて,「日の丸」を見たくない権利,「君が代」を聞きたくない・歌いたくない権利と「日の丸」を掲揚し「君が代」を歌いたい権利とが競合する場合は,どのように考えればよいのでしょうか.ここで注意すべきは、「日の丸」を掲揚したい,「君が代」を聞きたい・歌いたいという権利と,「日の丸」を見たくない,「君が代」を聞きたくない・歌いたくないという権利は,同等ではないということです.
わかりやすく,オリンピックやサッカーなどの国際試合を例にとって考えてみましょう.日本と某国(例えば,日本にミサイルの標準を合わせ,拉致事件を起こし,麻薬を販売するような,とっても,嫌な国だとします.)が,国際試合を行い,日本が負け,某国が勝ったとします.そして,某国の国旗が揚がり,国歌が吹奏されます.さて,あなたはどのようにすればいいのでしょうか.
国際常識として,あなたは某国の国旗に対し,起立脱帽の上,姿勢を正さなければならないのです.くどいですが,これが国際社会の常識なのです.自国の国旗であれば,当然ながら,好きだの嫌いだの,見る権利だの見ない権利だのと言っていられませんよね.
最近,日教組のおかげで,この常識が薄れつつあります.非常に憂うる事態です.一刻も早く教育の場に,この国際常識を持ち込まなければなりません.
Q18.
「日の丸・君が代」に賛成だけど、強制には反対という人にはどう言えばよいか
「日の丸・君が代」は歴史的に深い意義を持った旗と歌だということは、忘れてはならないでしょう.しかし,わたしたちが直面している卒業式・入学式などの場面では,参列者の意に反して「日の丸・君が代反対」が強制されているということのほうが,より大きな問題です.なぜならこのことは,各個人の思想・信条という,基本的人権の中でももっとも基本的な権利にかかわることだからです.
「日の丸・君が代」に反対の人も賛成の人も,同様に権利を保障されなくてはなりません.そして,「日の丸・君が代反対」のように偏ったイデオロギーに属する問題については,これについて多様な考えを持つ人びとが集まるような公的な場では,このような問題は扱わないようにするというのが,民主主義の基本的ルール,「寛容」の精神というものなのです.
学校で学ぶということに関しては,思想・民族・身分などいかなる差別もあってはなりません.このような学びの場に,「日の丸や君が代に反対する」特定の思想を持ち込み、それを強要することは、許されないことです。
そういう意味で,「日の丸・君が代」に賛成だが強制には反対という意見を持つ人との「日の丸・君が代」そのものの是非をめぐる議論は、別の場でおこなうべきです.
Q19.
「日の丸・君が代」反対派の弱点は何か
まず第1に,国旗・国歌に法的根拠ができたということです.今まで反対派の,よりどころとする主張は,学習指導要領に定められている「国旗・国歌」に法的根拠が無いというものでした.法的根拠がないにしても,習慣的,常識的に国旗・国歌は日の丸・君が代であったわけですが,いかんせん,日教組先生には習慣や常識がありませんので,職員会議等でもめてしまったわけです.ところが,今年8月に法律となったわけですから,反対派の主張は成り立たなくなってしまったわけです.
第2に反対派は,憲法憲法と言っていますが,「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位
は、主権の存する日本国民の総意に基く。」を,かなり意識的に無視していますそして,前文,第2章(戦争の放棄),第3章(国民の権利及び義務)の自分にとって都合のいいところだけを,ピックアップして,違憲だ違憲だと叫んでいるのです.挙げ句の果てに,天皇の存在そのものが違憲だと言い張る事もあります.第1章第1条にきちんと規定してある内容を否定するなんて,何も考えていない事と同じです.日教組に完全に頭を占領されているのでしょう.
第3に,話を必要以上に大きくしてしまうことです.学校の卒業式に,世界平和や日本の軍国主義を叫んだところでどうにもならないのは,分かり切っていることです.地域に根ざした学校があり,その周りに市町村があり,都道府県があり,日本国がある.そして,その上に世界がある.それを,市町村や都道府県,日本国を飛び越えて,世界平和のためには,国旗・国歌は不要だと論を展開するのです.ものの順序を知らない人のやることです.
第4に,教育的でないということです.日教組の先生は,他人の弱点をつき,目上の人には逆らい,強制には反発するように教えています.その集大成が「国旗・国歌」反対論なのです.社会に出てみれば実感すると思うのですが,どう考えても間違った物言いをする上司に出会うことや,絶対にやりたくない仕事を任されることなど,よくあることなのです.その一つ一つに,反抗していたのでは,仕事が勤まるわけがありません.昨今の,高卒就職者の定着率の悪さは,日教組の先生方の教えが大きく影響しているのです.
第5に(こちらにも書いてあります),平成になってから6代内閣が替わりましたが,すべて日の丸が国旗,君が代が国歌と明言しているのです.また,かの左翼首相村山内閣も明言しています.さらには,平成7年9月24日,日教組大会で歴史的転換がはかられ,反対の旗は降ろす方向に決着しているのです.にもかかわらず,分会や県高教組レベルで反対しているということは,分会や県高教組が,中央を離れ暴走を始めているに違いありません.日教組最大の弱点がここにあるのです.
Q20.
教育実践ではどのようにやれるか
まず授業で実践してみましょう.「日の丸」の本当の意味,「君が代」の歌詞と意味,それらの由来,さらには歴史について,生徒に質問してみましょう.ほとんどの生徒は,完全には答えられないでしょう.なぜならば小学校や中学校できちんと教えていないからです.日教組を中心とする先生方が,故意に教えなかったのです.政府や行政も「日の丸」を「掲揚し」「君が代」を「斉唱するように指導するものとする」としていますが,これらの意味や由来について,これまで全く指導してきませんでした.すべて,日教組に責任があるのです.もし,先生方がきちんと生徒に対して徹底して「指導されてきた」ならば,その意味が国民のものとなり,恐らく「日の丸・君が代」の反対強制や法制化がなくても,自主的に国旗を掲揚し,国歌を歌ったでしょうし,帽子をかぶりながら国歌を歌ったりするオリンピック選手や,国歌を「ださい」と言ったりするサッカーの選手がでるようなことはなかったでしょう.
そもそも,「日の丸はアジアの敵である」と思いこんでいるのは,実はサヨク日本人だけなのです.「サピオ1999年12月22日号(p19〜)」の調査によりますと,国旗を変えるべきだという否定的な意見は,韓国15%,中国20%,台湾5%,タイ13%,シンガポール2%,マレーシア5%で,反日教師が思っているほど嫌われていないことがわかります.また不思議なことに,韓国・香港・台湾の,日の丸を焼却するような反日デモは,1980年代後半以降に頻発しているのです(サピオ同号p24の年表).このことはソ連崩壊により,共産党系の左翼運動家が,運動のはけ口を反日に照準をあわせた結果なのではないでしょうか.このことに対する従軍慰安婦の中立な資料はこちら(リンク先週刊アカシックレコード).
生徒は,きちんとした資料に基づいて勉強すればするほど,きちんと国旗・国歌を理解し,国旗に敬意を払い,国歌を歌えるようになるのではないかと思います.
Q21.
本当の意味での「国際人」を育成する教育とは
まず,「国際人」という言葉自体,抽象的で非常に曖昧です.「国際人」という呪文のもと,前後関係を無視し,いきなり日の丸・君が代反対を主張するやり方は,日教組の常套手段です.例えば,「今現在,日本の教育に求められるものは,真の国際人の育成にある.したがって日の丸・君が代は,そういった時代の趨勢に反する.」などと,話をむずかしくしておいて,目をくらませ,いきなり自分の主張で結論づけようというものです.「したがって」の以下の文章は,自衛隊反対,盗聴法反対,ガイドライン反対,原発反対等,何でも代入できます.
しかしながら,日本人が実際に海外に行ったり,海外の情報にふれたりする機会が非常に多くなったことは事実です.そのような事実に対し,教育はどうあるべきかを考えてみたいと思います.
どの国に対しても言えることですが,まず,自分の国の正しい歴史を知り,自分の国に対し高い誇りを持てるようになることが大切です.そして,国のシンボルである国旗と国歌に敬意を払う.これは,まったく当たり前の国際常識といえます.当然ながら,他の国旗と国歌に対しても敬意を払わなければなりません.どのような国にも,誇り高い歴史があり,誇り高い国民が住んでいるのです.教育の分野で,自分の国をこれほどまでに痛めつけているのは,おそらく日本以外にないでしょう.
奇兵様による対案
「国際人」とはなにか、まず考えねばならない。国際ということは、相手と自分との相互の関係をいかにつくるかということだ。
関係性のない「国際化」は私たちの身の回りにあふれている。私たちのくらしは世界中から掻集めたモノとエネルギーと情報とに取り囲まれて成り立っている。しかし、これは一方的な無名の関係でしかない。
私たちが生身の関係性を成立させるためにはなにが必要だろうか。一つは、相手を理解し共感する能力であり、一つは、相手に理解してもらうべき主体性を持つことだ。簡単なことだが、関係というからには相手を受け止める部分と相手に投げかける部分とがなくてはならないし、そのそれぞれを調整して按配する能力が必要だということだ。
では、相手を理解し共感する能力はどのようにしたら養われるだろうか。共感する心情を培うためには単に知識を頭につめこむだけでなく、本当の意味で理解する事が必要だ。そのためには、偏見を除き、相手の立場でものごとを考えることができなくてはならないし、柔軟で相対的な見方ができなくてはならない。
相手の理解・共感が大切だと言っても、それは「迎合」ということとは違う。国際とは関係性をどうつくるかであるから、相手を受け入れるだけでなく、自分を主張することができなくてはならない。いかに、主張する内実を形成するかが問われる。
国際人を育てるということは、このような能力と心情を培うことに他ならない。しかし、日本人が国際人として国際社会に出ていくときに最も問題となるのは、胸を張って日本を主張できるだけの中身を『日教組によって』持『たされて』いないことにある。
「国旗・国歌」に敬意を払わない破廉恥さ、その恥ずかしさを理解していない『日教組の』人々の存在。「日の丸・君が代」を「蔑み」、「無意味化」ことの意味を想像できない、精神の貧困。どこに行っても「自らが日本人であること」を否定している彼らは「おもねり」か「強要」しかできない。そこから脱するためには、誠実に歴史の責任を果たし、歴史と現実を直視する勇気が必要だ。その勇気が今の日本では日教組によって奪われている。臆病な日本のまま21世紀を迎えるのは情けない、明治以降の日本人が残してくれた「日本という世界に官たる近代国家」という遺産を継承しなければ、この日本から「国際人」は消滅してしまうだろう。
奇兵さんより:どうも、久方ぶりで。奇兵です。九九九さんのホームページからリンクされている千葉県高教組のホームページを「ここまでは正しい、ここは違う」という観点で読んでいましたら、Q21「真の国際人とは」について以上のような対案が浮かんできました。 基本的に、修整したのは最後の段落です。
九九九より:自分の国に対し,誇りと責任を持つというのが,真の国際人の条件です.このことは,国際人という言葉を用いなくとも,自分の家庭,地域,学校,職場,市町村,県,国と,あらゆる組織に対して成り立つ普遍的なものです.そして,上に書いたあらゆる組織に対し誇りと責任を持つ人間が,対外的に信用され,徳の高い人間と評価されるのです.(以降の奇兵さんのメール)
Q22.
私たちが教育でめざす基本的な目標は何ですか
教育基本法第1条に『(教育の目的)教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会
の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重
んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなけれ
ばならない。』と書いてありますが,結局のところ,これにつきるのではないでしょうか.
『人格の完成をめざ』すためには,当然のことながら国旗に敬意を払い,きちんと国歌を歌えなくてはなりません.そのことは,教育の最低条件と言えます.自分の学校の校章や校旗を粗末に扱う人に,人格の完成された人いないのと同じことです.
『平和的な国家及び社会の形成者と』なるためには,世界情勢を把握し,日本が軍事的バランスから考えてどのような位置にいるのか,近隣諸国の軍事力はどのようになっているかを,正しく知らなければなりません.戦争と聞いただけで思考停止せず,もう一歩先のことまで深く考え,行動するのが,必要なのです.
『真理と正義を愛』するためには,まず正しい歴史認識を持つ必要があります.「過去の日本は悪だった」という一方的情報のみを信じるのではなく,いろいろな視点から物事を考える訓練をしなければなりません.当然ながら,歴史に限らず,一つの物事にないし多面的に考えるということは,真理を見極めるための基本といえます.
『個人の価値をたつと』ぶためには,まず,他人の人格,考えを尊重するところから始めなければなりません.ややもすると,自己主張を先に考えがちですが,先に他人のことを考え,その中で,自分がどうあるべきかを見極めることが大切なのです.そうでないと,私が,私がの自己中心社会になってしまいます.
『勤労と責任を重
んじ』るためには,きちんとした学力を身につける必要があります.当然ながら学力は『真理と正義を愛』する部分にも関連してきます.最近,日教組の主張が文部省にも届き,学習指導要領がどんどん易化していますが,それと同時に,学級崩壊,いじめ,学力不足と,どんどん問題点がふくらんでいます.高校卒業生は,就職してもすぐにやめてしまう.就職したがらないといった,勤労と責任を軽んじる風潮ができあがってきたのです.このことはすべて,「ゆとり教育」に端を発するのです.
『自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民を育成』するためには,学校や家庭で厳しくしつける必要があります.子どもの権利を主張するあまり,甘やかしてしまったのでは本末転倒です.
結局,日教組の主張する教育とは,『人格の完成をいい加減にし,平和的な国家及び社会の形成者となる機会を奪い,真理と正義を偏向教育で曇らせ,個人の価値とわがままを混同し,勤労と責任を軽んじ,他人任せの,心身ともに不健康な国民を育成』する事に他なりません.
Q23. これまでの日教組の闘いで明らかになった教訓は何か
それは次の5点です.
Q24.
日の丸・君が代を公式行事に使えない国民がいたのだから,法制化は当然
以下『日本の論点2000』(文藝春秋)P272より小林節氏の文章より引用です.
ようやく,国旗・日の丸と国歌・君が代が法制化された.
現代の国際社会において,自国の存在を象徴しかつ国民的連帯の絆になるものとしての国旗と国歌は,どこの国にもあり,それを憲法や法律で明定している国も多い.
わが国の国旗は日の丸で国歌は君が代で,いずれも慣習法に根拠があると言われてきた.世界の法制度の中で比較した場合に,わが国はいわゆる「成文法」国だとされているが,それは,わが国では憲法,法律,条例などの成文だけが法源(われわれが法規範を発見すべき素材)として認められるという意味ではなく,要するに,わが国では成文が法源の主流だというだけのことである.だから,わが国では,慣習や判例といった「不文」も補充的な法源として認められている.そして,ある慣習が有効な法だと認められる条件は,第一に,それが十分に確立された慣習であることと,第二に,それが,憲法を頂点とした現行法秩序に反する内容のものではないことである.
その点,日の丸と君が代を好まない人々にとっても,それらがすでに十分に確立された慣習であることは否定し難い事実であり,そのことは各種世論調査の結果でも明らかである.(中略)
わが国の誇るべき風土と民族性の中から自然に生まれ,しかもその意味において極めて穏当な国旗・日の丸と国歌・君が代が,戦後,今日まで,国民の中の一部の「聞く耳を持たない」人々の抵抗によりさまざまな障害に直面してきた.だから,今回,それらに改めて成文法(明文)上の根拠を与えたことはひとつの見識である.上述のように,すでに不文法の根拠が存在していたにもかかわらず,それでは「見えない」から不十分だとして抵抗する人々の前に「見える」法律を示してあげたことには意味がある.
もちろん,これまでも,それらに慣習「法」上の根拠がある以上,わが国の公式行事に際して,公務員の職制を通して日の丸と君が代の使用を命ずることはできたし,その命令に反した公務員を処分することもできた.
もっとも,公務員でない国民(つまり私人)には,憲法19条によって,良心に反する行為を強制されない自由が保障されている以上,そのような行事に際して,日の丸に敬礼し君が代を斉唱することを拒否する自由は,誰にもある.
だが同時に,その一部の人々の「良心」という名の「好き嫌い」を根拠にして,公式行事そのものを中止あるいは変更させる権利など,私たち日本国民の誰一人にも保障されていないということも,この際はっきりと確認しておく必要があろう.(後略)