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初めまして、当HPに来ていただきましてありがとうございます。こちらは自己紹介です。
| カワシマタカシ(KAWA) |
静岡生まれ。A型。小学生から高校卒業まで飛騨高山で育つ。ボーイスカウト活動の中で出会いとアウトドア活動のすばらしさに目覚める。田舎で育ったせいか海外(市外)への憧れを強く抱く。高校卒業時の学校行事「白線流し」に感動。大学入学を機に憧れの富士山の地に帰ることを決意する。大学では陸上部員、大学祭実行委員として活動。
しかし、休学。世界一周旅行の旅に出る。2006年夏無事に帰国。その後は講演会活動や写真展など大忙し、そして2008年就職。サラリーマンをしながら、長期休暇は旅と撮影に出かけるという生活がスタートする。もっと大忙し。 |
| 旅の友 |
アルコール>>ギター>ヌンチャク>ムビラ>パチカ>サンポーニャ |
| 性格 |
嬉しくても悲しくてもよく泣く。感情は抑えられないらしい。 |
| かなり過去の旅 |
嗚呼すばらしき世界,過去HPをどうぞ。 |
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☆メインコンテンツ・世界一周旅行旅行のきっかけ
☆資金調達プロジェクト
☆旅に出るタイミング、出発
☆HP制作について
☆一年経って思うこと(2006年4月)
☆帰国してから思うこと(2007年)
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| ☆旅のきっかけ(当時編集した原文) |
私の最近の大学生活といえばまぁなんというか、なんとなく学校に行って適当に研究して、酒飲んで、酒飲んで、寝て、酒飲んで・・・いるというステキなものだ。不健康この上ない。今時の大学生って結構こういう奴多いかもしれなかった。そこそこバイトもして。そんな私にただ一つ、メリハリと呼べるものがあるとしたら旅行かもしれない。私は旅行好きだ。
短い夏休みとか使って海外に行くと色んな人がいて、バックパッカーがあふれていて、そんな人達と話をしたりするとどうしようもなく心ときめいたものである。というか学校に帰りたくなくなるんだけど(笑)休みが終われば学校が忙しかったためすぐに日常に戻って淡々とした日々を送っていたのである。
しかし、いつの日からか、私は旅に出たくて出たくてどうしようもなくなっていた。病気?って感じである。そして「次に出るなら絶対長期に決まっているではないか〜」なんて勝手に思っていた。そして試しに休学届けを書いてみたりした。実にわかりやすい性格である。11月の出来事であった。さらに休学理由に「世界一周旅行」とか書いてながめてみるともう止まりそうになかった。
こいつを提出してやる!!
だけど、よく考えてみると自分には資金がない。休学届を書いたものの貯金がないのである。これはまいった。お金が無いとどこにも行けないし。親にあんまし迷惑もかけたくなかったし。でも旅に出たい〜!!そんなわけでとりあえず旅に出たい。出たい!出たい!出たい!金だ!金だ!なんてしばらく考えていたら、案外「出来事」って起こってくれるものだった。
そして壮大な世界旅行プロジェクトが始まったのである。
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| ☆資金調達プロジェクト |
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メルマガで発信した通り、私はお金を貯め始めた。学校に行きながら、夜は水商売のバイトをやり、たまには新聞社出版局の記者をやらせてもらいながら、しまいには個人事業まで始めた。最高のパートナーが私を夢の世界旅行へと導いてくれたのである。今思うとめちゃくちゃだ。企業に営業として行って「仕事ください、金ください」状態である。もちろん「学生ごときに・・・」なんて言われるのだが、へのかっぱ。失うものが無い男は無敵だった。しかし、仕事すれば金が貯まるかと思いきや、なかなかそうもいかない。授業料も必要だし、生活費だってかかる。社会人の仲間が給料をたくさんもらっているのを聞くと、うらやましかった。学生ってどんなにがんばってもなかなかお金が貯まらないのである。
結局どうしたのか?
これは当HP一番のミステリーである。無事に帰ることができたらその辺も報告していきたいと思う。
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| ☆旅に出るタイミング、出発 |
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私は、実際これに一番悩んだ。2月になると花粉症がはじまって水分という水分は鼻水になってつらかった。だからできれば花粉から避難するためにも2月に出発したかったのだが、じつは問題が2つあった。とりあえずお金は問題外として(笑)1つは仕事のこと。所詮学生の力と情けをかけられていた一つの事業が数ヶ月のうちに底力を発揮してうまく進んでしまったのである。一流企業さんと正式な商談をして付き合いをさせてもらえることになり、退くことができなくなってしまったのである。これはとてもうれしいことであり、正直出発する時期も悩んだ。しかし結果としてこの旅が新たなビジネスにつながるのならば・・・ということで仲間の許可が下りた・・・。多分この旅を新たなビジネスにつなげるのは難しいだろうことはわかっているだろうけど、仲間の優しさに甘えることになった。そして、出発間際というころ大事なパートナーが体調を崩してしまったりとバタバタ問題が起こり、タイミングを失ってしまったのである。結局大事な人は病院にいて、会えないまま私は旅に出ることになる。
そして、もう一つは休学届けを書いたのはいいが、教授に提出するタイミングがなかったのである。これにも悩まされた。実は私が休学すると、師事している教授が定年を迎えてしまい、私は帰国後復学しても先生がいないという状況になってしまうのである。つまり、私は指導教官の最後の学生だ。学問から生活まで世話になっている先生とこういう形で別れるというのはとても気が引けたのである。
まぁ迷っていてもしょうがないので、あるとき決意して先生の元へ休学の相談に行くと、「う〜んやっぱ休学するのかい〜?」といつものように首をかしげながら意外な言葉が出てきた。どうやら私はこのままおとなしく卒業するということはないだろうと考えてくださっていたらしい。確かに教員採用試験の時など、大事なときには必ずどこか海外にいて(逃げて)参加していない私である。もちろん理由は今回の世界旅行だ。挑戦せずして就職活動なんて乗り切れる気がしなかった。それが幸いしたかどうかはわからないけれど、本気で思いを語った。そしてサインが無事出たのである。多分先生はご自分が定年なさるということを考えていないのだろう。いつだって元気だし、バリバリマイペースな先生である。あと一日で定年退官だという日にも新しい研究を始めてしまうような人である。本気で尊敬できる先生である。だからこそ一度旅に出たらしばらくは帰らないという私の覚悟も確固たるものになったと思う。
出発の日、実は私はまだ学校にいた。準備もできていなくて、学校に本を取りにいったりして。先生は『たまにはみんなで御飯を食べよう』と弁当を用意してくれた。たまたまである。この日に出発するなんて誰が予想できただろうか。両親も、同居している弟でさえも。そして研究室の中、昼間だというのにみんなでビールを飲んだ。先生の好きなちょっと高級なビールを飲んでいると、「嗚呼しばらくは飲めないなあ」なんていつもよりありがたく感じてしまう。食事が終わると、酔っているのがばれないように準備する。『もしものため』ということで復学届を書いて封筒に入れて先生の机の中に入れておくことになった。「半年で気が変わったりしたら早めに申請しなきゃいけないからね」復学届は2ヶ月くらい前に申請が必要らしい。しかし私は『もしものため』こっそり2年目の休学届も封筒の中に入れておいた。できれば1年くらいでは帰りたくなかった。世界旅行に1年は短すぎる。うまくいったら先生に連絡して謝ろう。
その後、バタバタして友達にも連絡しきれず、船に乗る前日に大阪で携帯を解約した。携帯を解約するといよいよ気持ちが引き締まる。どんな旅になるかはわからないけれど、後悔はしたくないなと思う。
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| ☆HP制作について |
『大学生で世界一周している人は、どのくらいいるのだろうか』私は旅に出る前、出てからも度々考えた。それは私が海外で出会った長期旅行者のほとんどの人が働いていて仕事をやめてきたという人だったからである。社会人の人は「お金はあるんだけど勤めていると時間がないんだよ」と話す。逆に出会った大学生仲間の多くは「いつかは世界一周とかしたいなぁ」と話す。やっぱり若くて体力のあるうちに色々やりたいのだけれど、みんな金銭的な面などで妥協せざるをえなかったりしているのかもしれない。世界旅行ってかなりお金がかかりそうだし、お金貯めるのも大変だなと思う。時間とお金のバランスって難しい。
ただ『若い側として(笑)』最近思うのは、自分の感性が衰える前に本気で挑戦したいことってたくさんあるのだということ。そんなときアドバイスをくれたり手を貸してくれる人ってなかなかみつからないこと。それって悲しいかもしれない。だから何であっても自分の思いを発信していくことって大事かもしれない。そう思ってHPを作ってみることにしたのである。
『今、私は世界一周の旅に挑戦したいんだ!!』
旅をする上で学生が有利なことなんてあんまり無いと思う。学割なんて海外では誰でも学生証作れてしまうし。でも、『社会人になるための勉強中』という身分の私でも方法を考えて私なりの世界旅行ができないかな、なんて思う。まだまだ不安定な感性のうちに、世界にぶつかってみたい。そう思うのである。たくさん失敗して、笑って、泣いて勉強する。その分、無事に帰ってこられたら経験を何らかの形で社会に還元していきたいと思う。
とりあえず今できることは、感じたことを新鮮なうちにHPで発信する。大人としての自覚を持って発言には責任を持たねばなと思う。だから実名も公表して、堂々と胸を張って旅をしていきたいと思う。どこまで行けるのかはまだわからないけれど、たまには両親にも連絡をして行けるところまでいってみたいなと思うのである。
表現など雑な部分もありますが、どうぞ当HPと末永くお付き合いしていただけますようよろしくお願いします!
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| ☆一年経って思うこと(2006年4月) |
ついに日本を出てから一年が経過しようとしている。この一年、色々な出会いがあって別れがあって僕はよく笑った、よく泣いたと思う。しかし、ある日指導教官の先生から「そろそろ復学届を出さなきゃいけないのだがどうしようか?」というメールをいただいた。タイムリミットだ。来てしまった。やはり一年は自分にとっては短かったのであった。決断のときである。このまま旅を続けるか、日本に帰国するか。
この頃別れが度重なっていたので僕には正直、帰りたい気持ちもあった。別れは悲しい。見送る仲間達はみんなこれから就職したり学校が始まったりと希望をいっぱい抱えて帰っていく。そういう仲間に限ってすごくいい顔しているのでそれがまた悔しくもあった。『僕は今いい顔出来ているだろうか?』自分に問うと、僕はまだ日本に帰ろうというだけの満足感を得ることが出来ないでいた。結局先生にも迷惑をかけたまま、目標であった世界一周の旅も完走できず、中途半端な状態である。
旅も少し変わってきたのかもしれない。南米はバスに乗れば一晩で次の街に行ってしまう便利さ、いいことなんだけど僕はちょっと味気の無さも感じ始めていた。窓からすごい速さで流れていく景色を見ると、あっという間に過ぎ去ってしまう時間と風景たち、少し寝て起きると新しい文化圏に入っていたり。なんだか最近は旅の中で見落としているものも多くなりつつあった。そんな風に思えて悶々と日本に向けての消化試合のように国が変わっていくのは少し悲しかった。そして、ついにカードの残高が底をついていることが判明してしまった。確かに出発当時は一年旅するのさえムリだと思っていたのでしょうがないのだが、現実の厳しさを痛感した。
僕は先生に相談した。休学のこと、旅のこと。すると先生からはいつものようにあっさりと「自分で決心して出た旅でしょう?満足するまで行ってください。しかし、くれぐれも無理はしないように」とのメールをいただいた。先生は僕の『2年目の休学届』の存在を知っていたのである。そして退官する最後の教授会で「休学理由、世界一周旅行」と書かれた届は提出されていたのだった。他の教授方から色々言われて肩身の狭い思いをさせてしまったかもしれない。
先生最後までご迷惑をおかけします。そして定年退官を無事に迎えられたことを嬉しく思います。
旅はもう少しだけ続けられることになった。これは最後のチャンス、踏ん張りどころである。もう少し、なんとかアメリカまで辿り着いてやる。よし続けるからにはもっと熱く旅したい。もっと色々感じたい。もっと安く旅を続けたい。急に熱くなってきたのには訳があった。目の前にそれを支えてくれそうな仲間が現れたのである。その結果僕は一つの結論を導き出したのであった。
『自転車旅行だ!!』
安宿で現れた男は自転車旅行者であった。ノルウェー出身の彼は南米から自転車でやってきて、そのすばらしさをこれでもかというくらいに語ってくれたのであった。僕は単純な男である。翌日さっそく自転車屋さんに行って「ここから日本まで帰りたいんだけど」と熱く語った。そして交渉の末、なんとか格安で売ってもらえることになったのである。『よし、これで日本まで帰ろう、もっと世界を感じて、もっと熱く、もっと強くなりたい!!』
こうして二年目の旅がスタートした。ここからは自転車で行こうと思う。とりあえずアメリカへ。きっと新しいものを掴んで日本に帰国します!!
そんなわけで、どたばたしていますが今後とも当HPをよろしくお願いします!
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| ☆帰国してから思うこと(2007年)※BLOGへ移行しました。 |
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まだまだ旅行記更新中のためお楽しみに!
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