「何やってんの?」と聞かれて「作曲」と答えると十人のうちの半分はつんく、残りの半分は小室哲也を思い浮かべる。バッハ、モーツアルト、ベートーベンを思い浮かべる者は皆無である。では、つんく達と現代クラッシックの作曲家達の相違点は何なのであろうか?。その為に、まず「クラッシック」というジャンルを説明したい。

 クラッシックの語源はラテン語「ローマ人で最高階級の」の意味でclassisから来ている。そこから転じて「高尚な・一流の・由緒ある・古典的な」という意味になった。そして、「古典的」とは一体何を指しているのかといえば、ギリシャ・ローマの芸術様式を指しているのである。では、音楽に於けるクラッシシズムは何に対して古典的なのかといえば、十九世紀に起こったロマンチズムである。ロマンチズム時代の人間がショパン・シューマン・メンデルスゾーン等から見て前時代に位置する音楽をクラッシックと呼んだのである。因みに現代のクラッシック音楽はコンテンポラリー(同時代)という風に分類されているが、当然未来には〇〇主義という風に呼ばれるであろう。それでは、クラッシック音楽はこのように、バロック・古典(クラッシカル【紛らわしいので日本人は日本語で呼んでいる】)・ロマンチック・印象主義(インプレッショニスティック【これは言いにくいので日本語で呼んでいる】)・コンテンポラリー、と分類されているも一纏めにクラッシックと呼ばれている。それは、伝統的な、とかの意味も含まれているだろうが、主にその演奏形態を指していうことが多い。例えば「ルナシー・イン・クラッシック」等はルナシーの曲が弦楽四重奏にアレンジされているものである。このように、曲想は変わっても演奏形態がクラッシック(ハイドンが確立した?)によるものを我々はクラッシック音楽と呼ぶ。そして、このクラッシックのために曲を書くのがクラッシックの作曲家ということになるのだが、ここでもまた厄介なことが色々ある。その為に「完全な作曲」と「不完全な作曲」の違いを明らかにしたい。

 最近のCDとかを見ると作曲と編曲が分かれている。昔は編曲といえば、或る編成で完成している曲を別の編成に直すことをいった。例えばムソルグスキーの展覧会の絵をラヴェルがオーケストラのためにしたもの、バッハの管弦組曲第三番のアリアをウィルヘルミがヴァイオリンのためにしたもの、これらを編曲といった。だが、今の編曲は旋律・和声・リズムを別々の人間が作っているもの、サビを書いた人間が作曲でその他のものを書いたもの、を編曲といっている。ならば、仮にバッハが四声のフーガを書くとして、一声だけ書いて残りの三声を別の人間が書いたら、作曲バッハ、編曲〇〇という風になるのであろうか?。そんな馬鹿な話はない。

 しかし、今も昔も人間=商魂であるから、売れることを考えてしまうのである。L・モーツアルトのおもちゃの交響曲はハイドン作で売られたし、息子や弟子の作品にもアントニオのラベルが貼られていた可能性がある。だから、決して良いことではないが、某有名タレント作曲!と売り出すのも仕方無い気がする。因みに「交響組曲創世記」は作曲・麻原彰晃である。

 話がそれたが、結局我々クラッシックの流れを汲む作曲家は、全部のパートを一人で書くと言うところに作曲家としての誇りと、芸術に対する真摯な態度があるといえよう。長い歴史と膨大な作品の中で、弟子が書いた、とか、違う人間の作品であった、とかいうものはあるであろうが、それらは例外であり、基本的に認められない。だが、今のJ-POPとかは誰憚ることなく作曲と編曲が分かれている。最初から名前だけ貸す某有名尊師などはまだ潔いが、音程不明瞭な鼻歌テープを送りつけて編曲させ、作曲とか名乗るのは最高に質が悪い。なぜなら、世の中の人間にそんなことが作曲だと誤解させてしまう恐れがあるからである。少年がそれを見てこんなことなら自分にも出来ると某有名タレントでもないのに鼻歌作曲をして貴重な青春を無駄にしてしまうかも知れない。

 確かに鼻歌でメロディーを作るのも作曲といえば作曲である。だがそれなら、手拍子を打ってリズムを作るのも作曲であるし、意図的に音を出せば全て作曲になる(一昔前に実験音楽としてそのようなことが流行っていたが今は廃れた)。だから、今のCDも作曲・編曲などと分けるからややこしくなるのであり、全員作曲にしてしまえばよいのである。そうすると、タレントの名が弱まるが、作曲という概念の定義としてより真実に近くなる。

 要するに真の意味で作曲するということは一人で音楽を完成させるということになるのであろう。ヴァイオリンも同じで、誰々作、といったものはその人間が一人で作ったものを指す。だからこそ芸術的に優れ価値があるものとなるのである。逆に完全手工業品とはいえ流れ作業で(ネックならネック、表板なら表板)作られたものはグッと価値が下がる。ヴァイオリンは何故か全部一人で作らないと良いものは出来ない。作曲も同じである。 


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