第9段を書いた矢先にJPOP的作曲認識哲学の持ち主の作曲家に出会った。メロディーは思い浮かぶのだが伴奏が書けないらしい。伴奏を書いてくれと頼まれた。別に伴奏くらい楽しければいくらでも書くが、自分はクラッシックの作曲家だといったら、POPSも書けるの?と聞かれた。さらに、クラッシックは決まりがあって自由に曲を書けないのでしょ?といわれた。そんなことありません、自由に書けます。とだけ答えておいた。小室哲哉が生まれる前からシュトックハウゼンは電子音楽をつくってんだ!。
それからクラッシックとPOPSの相違を話していて、どうもこの人はクラッシックは前時代の音楽でPOPSこそが最新の音楽であると認識しているようだったので、思わず「単純なJPOPなんかはむしろバッハ以前の音楽に似ていますよねー」と言ってしまった。このときは時間がなくて説明できなかったのだが、どういうことが言いたかったのかというと、音楽史的にみてバッハ以降の飛躍的な音楽発展と現在のPOPSが時代を逆行しているのはなぜかということである。バッハ以降の音楽の発展は器楽の発達なのである。バッハ以前、ルネッサンス期の音楽は主に歌曲が中心だったのである。だから、歌曲だとどうしても制限が多くなってしまうのである。楽器も現在のように高性能ではなく、演奏技術も確立していなかったので、作曲には様々な制限が伴ったのである。だが、バッハ以降の器楽の発達により作曲家はより感性を刺激され、曲に自由が増え、その結果が音楽の発展と相成ったのである。
だから、歌と単純な伴奏のPOPSはバッハ以前の音楽に似ていると言ったのである。だが、もちろん中には音楽的知識も才能もなく、感性で書くことがすべてと心得ていらっしゃる方もいる。こういう方を捕まえてバッハ以前と言うのは失礼かもしれない。音楽以前であるからだ。
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