HOME小説で学ぶ世界史と中国歴史>ガボン
先住民としてバントゥー族が暮らしていたが、15世紀末にポルトガル人が渡来し、奴隷貿易を行った 。ついで、オランダ、イギリス、フランスが進出してきた。この地は奴隷貿易と象牙の集散地として栄えた。 1885年にこの地域をフランスが占領した。1910年にフランス領赤道アフリカの植民地の一部となり、この状態は1959年まで続いた。 1960年8月17日にガボン共和国として独立した。
ガボンの初代大統領は1961年に選挙で選ばれたレオン・ムバであった。 独立時にはオウバメのガボン民主社会同盟(UDSG)との連立政権を樹立したものの、 ムバは独裁傾向を強め、1963年2月には連立を解消。1964年の議会選挙には強力な選挙介入を行い、反対派の妨害を行った。
1964年2月17日、オウバメ派の若手将校によるクーデターが発生し、 ムバは失脚したが、ムバの要請により、フランス軍が介入し、 2日後には権力の座に復帰した。その後、1967年3月の大統領選でムバは再選されたが、同年11月末に死亡し、 副大統領のオマール・ボンゴ・オンディンバがその跡を継いだ。
ボンゴ大統領は、1968年3月12日、唯一の合法政党としてガボン民主党を創設し、 法制上の一党独裁を確立した。
ガボンは原油を産出する国家であったが、 1970年代に入ると、ガボンは原油価格高騰の利益を得ることができ、第二次五箇年計画が始まった1971年の 政府予算は245億CFAフランであったが、1976年には1931億CFAフランにまで急拡大した。 1977年の一人当たりGNPは一気に3190米ドルまで上昇した。またボンゴは政治的には1964年のクーデター関係者や、 他の政治犯を次々に減刑および釈放し、反政府感情の緩和を図った。
1970年代末になると、原油産出量が下降したことで、経済は下降線を辿り、 急激なインフレによってIMFの支援を受けた。それによって緊縮政策を実施したが、 それに伴う失業問題、経済停滞を余儀なくされた。
1982年2月、ローマ法王がガボンに訪れて、「白書」なる冊子を流し、 ガボン国内を混乱させようと企んだ。同年3月、ローマ法王と 協力したガボン国内のメンバーが逮捕された。
1980年代後半になると、またしても原油価格の下落、ドル安の影響を受けて 深刻な経済危機となった。
1989年8月、独立29周年の大統領メッセージでボンゴは、
「我が国に必要なのは、複数政党制ではない。」
と繰り返した。
その後、2度のクーデター未遂があった。複数政党を望む声が大きくなったことを受けて、 1990年5月22日、暫定憲法として複数政党制を認めた。
ボンゴはその後も大統領の座に座り続け、2009年6月8日、外遊先のスペインにて死んだ。享年73歳。
ボンゴの死後に伴う大統領の空白をローズ・フランシーヌ・ロゴンベが暫定大統領としてこれを埋めた。彼女はガボン初の女性大統領である。 同年8月30日に選挙が行われ、アリー・ボンゴ・オンディンバが大統領に当選した。同年10月16日に大統領に就任した。
TOP小説で学ぶ世界史と中国歴史>ガボン![]()