1900年頃、この地はスペイン領ギニアとなった。1958年、スペインの海外州となり、 1964年には自治政府を樹立した。
国民投票によって赤道ギニア共和国として独立し、1968年10月12日、マシアス・ンゲマ(以下マシアス)が初代大統領に就任した。 ソ連圏と緊密な関係を維持。マシアスは1970年に自身の与党労働者国民統一党以外の政党活動を禁止し、1972年には終身大統領を宣言、1 973年大統領への絶対権力の集中を定めた憲法を採択、独裁体制を固めた。
1979年8月マシアスの甥のテオドロ・オビアン・ンゲマがクーデターを起こし、 マシアスを処刑して大統領に就任、軍事政権を敷いた。1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択したが、クーデ ター未遂がたびたび発生。1987年、ンゲマの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党結成。1989年ンゲマが3選した。 民主化を要求するスペイン、フランス、米国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、 大統領の免責規定などに野党勢力は反発。1993年の総選挙は野党の大半がボイコットしたため中、赤道ギニア民主党が大勝。 1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選した。
1997年6月、政府は最大野党赤道ギニア進歩党党首のセベロ・モトヌサに武器密輸容疑をかけ、進歩党の政治活動を禁止。 モトヌサはスペインに亡命。裁判所は8月、国家反逆罪でモトヌサに懲役101年の判決になった。 1999年3月の総選挙で赤道ギニア民主党が80議席中75議席を獲得。残り4議席を人民同盟、1議席を社会民主連合が獲得。11月に 赤道ギニア進歩党など6つの反政府野党が民主化促進を掲げ、野党連合である民主野党戦線を結成。2002年12月の大統領選で 野党4候補がボイコットし、ンゲマが得票率97.1%で5選した。
2004年3月にイギリス陸軍特殊空挺部隊にかつて属していたサイモン・マンが首謀し、ンゲマを追放してモトヌサを大 統領へ据えるクーデター計画が発覚したが、傭兵部隊と共にサイモン・マンがジンバブエで逮捕されて計画は未遂に終わった 。
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