第二次世界大戦が終結し、脱植民地化時代に入るとアフリ カ諸国のヨーロッパ諸国からの独立の波がモザンビークにも押し寄せた。 ポルトガルのアントニオ・サラザール政権は1951年にモザンビーク等のアフリカ植 民地を「海外州」と呼び変え、植民地支配に対する国際社会の非難を避けようと した。モザンビークやアンゴラは形式上本国ポルトガルと同等の立場であるとされ、 1959年のポルトガルの開発計画により、モザンビークには3,800万ポンドが投資された 。さらに、リンポポ川流域へのポルトガル人の入植や、港湾の能力拡大のため の鉄道建設が進められたが、モザンビーク植民地の慢性的なポルトガルへの輸 入超過を補うために南アフリカ連邦の鉱山への黒人労働者の出稼ぎによって経済は支えられた。
形式上の本国との対等の地位と、事実上の植民地政策の矛盾は隠せるものではなく、モザンビークでも1964年9月に、 エドゥアルド・モンドラーネを議長としたモザンビーク解放戦線(FRELIMO)がタンザニアを拠点に武装闘争を開始し、モザンビーク独立戦争が始まった。 マルクス主義を掲げ、ソ連の援助を受けていたFRELIMOは冷戦構造の中で西側諸国の脅威であり、そのためポルトガル軍も強権を以て解放軍に 対処した。1969年にモンドラーネは暗殺されたが、サモラ・マシェルらが後を継いで独立戦争を継続し、約10年を経てポルトガル本国 でのカーネーション革命がきっかけとなり、1975年6月25日にモザンビークはモザンビーク人民共和国として完全独立を果たした。
独立後、出国したポルトガル系モザンビーク人に代わって権力を握った FRELIMOは政党化し、一党制による社会主義路線を推進した。社会主義を掲げる モザンビークは1976年の国連制裁決議に従って白人国家ローデシアの国境を封鎖したが、 この措置はモザンビークとローデシア双方の経済に大打撃を与えた。1977年にポルトガル 領時代の元秘密警察PIDEを母体としてローデシア諜報機関によって結成された反 政府組織モザンビーク民族抵抗運動(MNR,RENAMO)は政府軍と衝突し、モザンビーク 内戦が勃発した。イデオロギー的正当性を欠いていたRENAMOは、当初は成人男子や少年を 強制徴収することによってしか兵力を集めることができず、暴力と恐怖を旨に学校や病院への襲撃作戦を遂行した。
1980年にローデシアが崩壊し、黒人国家ジンバブエが独立すると、アフリカにおける反共の砦を自認 していた南アフリカ共和国はローデシアに代わってモザンビークとアンゴラの社会主義政権に対して 不安定化工作を発動した。南アフリカをはじめとする西側諸国の援助を受けたRENAMOは農村部で略奪、 暴行を激化させたため、1984年にはモザンビークと南アフリカ両国の間にンコマチ協定が締結され、 南アフリカはRENAMOに対する支援を、モザンビークはANCに対する支援を相互に打ち切り、両国の間 で不可侵条約が結ばれた。しかし、その後も実質的にこの協定は反故にされ、以降も南アフリカに よるRENAMO支援が続けられた。さらに、1986年にはマシェル大統領が事故死した。 内戦が長期化し、経済が疲弊する中で、1989年に東側諸国の勢力低下と合わせてモザン ビーク政府は社会主義体制の放棄を決定し、翌1990年に複数政党制と自由市場経済を 規定した新憲法を制定した。さらに、1990年から1991年にかけての大旱魃の影響もあり、 和平交渉の結果、1992年にローマ和平協定がローマで締結され、内戦は終結した。
内戦後の新政権樹立のため、1994年10月に国際連合モザンビーク活動(ONUMOZ)の支援の下、複数政 党制による大統領選挙及び議会選挙を実施された。この結果、与党のFRELIMOが勝利し、新政権が創設された。 内戦終結に至ったのは、シサノ大統領の外交(西側寄りに転換し、南アフリカとの交渉を進展させた)と 経済政策の転換によって和平の道が開けたことが要因のひとつである。
1995年に南アフリカやジンバブエなど、周辺の英語圏諸国との経済的結びつきを深めるため、 それまでオブザーバーとして参加していたイギリス連邦に正式に加盟した。翌1996年にはポルトガ ル語世界(ルゾフォニア)との結びつきを深めるためにポルトガル語諸国共同体に加盟した。内戦終 結後のモザンビークはシサノ大統領の下で、1998年に南アフリカと日本の主要な投資で誕生したモザ ール社が経済発展の原動力となり、同時期に和平協定締結後も内戦が再燃したアンゴラのような失敗 には陥らず、安定した政治と年率8%に及ぶ高度な経済成長を実現した。シサノの温厚な調整力や、 モザンビークを安定に導いたリーダーシップは国際社会からも認められ、2003年にシサノはアフリカ 連合の第2代総会議長に選出された。他方、HIV/エイズの蔓延や、慢性的な医師不足の改善は進まず、国民の教育水準も低いままに留まった。
2005年の大統領選挙では、与党FRELIMOからアルマンド・ゲブーザが新たに大統領に就任した。ゲブーザは2009年の大統領選挙でも勝利した。
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