金 剛 證 寺 と 奥 の 院


伊勢の朝熊山に金剛證寺というお寺があります。
朝熊山は標高は500mほどの余り高くはない山で「あさまやま」と読みます。

このお寺の創建は6世紀半ばとされていますが定かでないようです。
平安時代には空海が真言密教道場として当寺を中興したと伝えられており、
その後衰退しましたが、鎌倉時代に再興され、真言宗から臨済宗に改宗し禅宗寺院に変わったようです。

室町時代には神仏習合から伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺が「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として、
伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢・志摩最大の寺となりました。
この言葉は「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という台詞で知られる伊勢音頭の中にあるそうです。

大正の末にはケーブルカーも開通し朝熊山に登る人も大幅に増えましたが、先の大戦末期には金属の軍事徴用のため廃線となりました。
その後、伊勢志摩スカイラインが昭和39年に開通して再び訪れる人も増えたようです。

ちょっと前置きが長くなりましたが、このお寺を訪ねました。
訪ねた訳は後ほど。





山門の両脇には仁王像が起っています。
山門を抜けるとご覧のような風景が広がります。





大きな杉の間の階段を登ると本堂。
この日は良く晴れ渡り空は真っ青でした。





階段を登りきると左右に牛と虎の像が置かれています。
なぜ牛と虎かといえば伊勢神宮の丑寅(北東)を現しているようです。

丑は福丑と呼ばれ頭上に福の神の大黒様を頂いています。
虎は智慧寅と呼ばれるようです。

この福丑に触れれば、心清く、意思堅固となり、福徳智慧増進し身体健康の御利益が授けられるそうです。
智慧寅は御本尊虚空蔵大菩薩の広大なお智慧を戴いた寅で、安らぎの姿中に一視同仁の慈愛と威徳をお授けくださるそうです。
というこてで丑も寅もお顔がてかてかに光っています。

蘊蓄(うんちく)はそれぞれの像の台座の銘盤に記されていたものです。
覚えることは出来ませんので写真に撮ってきました。





本堂の色はちょっと似合わないようにも見えます。

江戸時代には伊勢神宮とともに重要視し保護したそうです。
徳川綱吉の母桂昌院による修復を経て現在に到り、重要文化財に指定されています。
重文の碑と徳川家の家紋「三つ葉葵」が見られます。





本堂の右手の道を100mほど行くと奥の院と呼ばれるところがあります。
はい入口にこんな碑が建てられています。

竹内浩三の作で、三重県宇治山田市(現在は伊勢市となっています)出身です。
宇治山田と言う名は近鉄の宇治山田駅として今も残っています。

天才詩人とも言われ友人と「伊勢文学」を創刊。その後出征。
戦争に対する悲しみや命を奪われることの嘆きなども歌い、反戦詩人とも。
1921年に生まれ1945年にフィリピンで戦死。

国ノタメ、大君ノタメ、死ンデシマフヤ・・・・・。
今、生きる私自身は?





進むとご覧のような風景が続きます。
並び立っているのは大小の卒塔婆。
大きいものは1尺(30.3cm)角で高さ26尺(7.87m)あります。
ここには建てられませんが小さいものは高さ1m弱で幅が9cmの板状のものまであります。

この地方では神式と仏式の葬儀がありますがいずれも多くの人が卒塔婆を建てる慣わしがあります。
故人と血の濃い人が費用を出し合って建てています。
故人を偲び供養をするものですが、建てる人の思惑もあるようにも思います。

現在はなくなっていますが「美空ひばり」や「石原裕次郎」の大きな卒塔婆もありました。





九鬼水軍で知られる九鬼嘉隆の五輪塔も途中に見られます。
嘉隆は関ヶ原の戦いから敗走したのちに答志島(現・鳥羽市)で自刃しています。

金剛證寺は嘉隆ゆかりの寺でもあり、まつわる所蔵品がいくつかありますし、
嘉隆の三男は菩提を弔い金剛證寺に出家し、金剛證寺第12世となったそうです。





私の住む阿児町の人も。また遠くは東京の人のものも見られます。
所書きの下には施主名が記されておりますが消しています。





続いて板状の卒塔婆です。
見ていただきたいのは中央の卒塔婆。
愛犬チビと書かれています。
このように動物のものも建てることが可能なのです。

やってきた目的はトーマスにもと思って。





奥の院の山門。

中に建てられた水子供養のお地蔵さん。

卒塔婆の続きのお話しです。
申し込むとお経をあげてくれ、建てられるとどこに建てたか連絡があります。
多くの卒塔婆があるので立てられたろには番地が付けられ分かるようになっています。

また、一定の大きさ以上のものは6年間建てられています。
6年になると通知がやって来て、まとめて供養が済むと取り除かれます。
短いものは一ヶ月ほどで取り除かれます。

ちなみにもっとも大きいもので50万円で、もっとも小さいもので千円なり、です。
供養の沙汰も金しだい? とも感じます。





金剛證寺に通ずる伊勢志摩スカイラインから眺めた伊勢市の海辺です。
手前から五十鈴川、勢田川、宮川がぼんやりですが見えます。

今までとは違った感覚で眺めました。
東日本大震災が起こり、もしここで起こったらと。


こちらは夫婦岩で有名な二見。
右側山頂付近には戦国時代村のお城が小さく白く見えます。
ここも、一体どうなるのだろうと。





帰りに斎宮で知られる明和町にあるある店に寄りました。
前に見える田んぼにカラスが何かを求めて集まっていました。
水がはられた田んぼだけに群れています。

もうすぐ田植えが始まる季節になったのだと。
津波の被害を被ったところや、原発のため避難地区に指定されているところ、放射能の影響が心配される所では、
とても田植えどころではないのではと。

この震災でどれだけ多くの人が人生を大きく変えられてしまったことか、どんな思いで居るのだろうかと。
なんとも言いようがない思いを感じました。




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