専 修 寺
津市内の一身田という所にあります。
普通に読めば「せんしゅうじ」と読んでしまいますが「せんじゅじ」が正しい読みだそうです。
中を廻った範囲では江たち三姉妹に関するものは見かけませんでした。
場所的には伊勢上野城と安濃津城のほぼ中間にあり、直線距離で6kmほどで、
三姉妹も訪れたことが有るのだろうと思われます。

山門の楼上に山号の「高田山」と記された額が掲げられています。
正式名は真宗高田派本山専修寺といわれています。
余談ですが高田派はもともとは専修寺派と呼ばれていましたが明治に入って高田派を公称としています。
浄土真宗10派のうちのひとつの真宗高田派の寺院で、
本山はここ、本寺は栃木県真岡市高田にあり、本寺の住職は本山専修寺の住職が兼任していそうで、
「専修寺」の名の由来は浄土系宗派の特徴である専修念仏に基づいているそうです。
本寺専修寺は、浄土真宗の開祖親鸞が関東各地の教化に入ってその経過の中で建てられた寺院と伝えられ、
ここを中心に発展した教団が高田派と呼れ、
その後東海・北陸方面にも教化を広げ、その中で伊勢国内の中心として立てられたのが一身田のこのお寺。
その後関東の本寺は兵火により炎上、歴代の上人が伊勢一身田に居住されるようになり、
一身田が本山として定着したということです。

山門全体と山門横に建てられていた明治天皇。
山門はご覧の通り大きなもので、間口が20m、高さ15.5m、奥行き9mです。
明治13年には明治天皇行幸もありました。

山門を抜け境内から山門を見た写真。
寺院の門としては最高の格式で、楼上には釈迦三尊仏が安置。

銅鐘は慶安5年(1652年)に鋳造されとされ、
鐘楼は棟瓦の刻銘から正徳3年(1713年)再建されたとされている。。

右に御影堂(みえいどう)左に如来堂。

御影堂の側面。

御影堂と如来堂は渡り廊下で結ばれています。
左が如来堂で右が御影堂。

御影堂の内部。
1666年の建築物で親鸞聖人の木造を安置しています。
ご覧のように大変広く全国屈指の大御堂です。
ちなみに、739畳敷(専修寺パンフレット)だそうです。


正面祭壇。
明治9年(1876年)に明治天皇より親鸞聖人に「見真大師」(けんしんだいし)の諡号を追贈されている。
"諡号(しごう)"とは貴人・僧侶などにその死後、生前の行いを尊んで贈る名だそうです。
上部に「見真」と記された額が見えますがこの諡号に基づいています。
額の大きさは、畳三畳分の大きさとか?
生花がなく左側に松が一本が飾られています。
高田派寺院の仏前生花は、「高田の一本松」と称され、苗木から育てた実生の若松一本を供えるのが定式となっているそうです。

このように区切られた祭壇が中央の祭壇の左右に四っづつ並んでいます。
これらも生花は一本松でした。

如来堂。このお堂と御影堂とも重要文化財に指定されています。
寛延6年(1748年)の建築物。


軒下にも細かな飾りがほどこされています。

上がり口と入ったところです。


如来堂と呼ばれているようにここには阿弥陀如来の木造が安置されています。
ここでも生花は一本松です。
細かな豪華な飾りがあちこちに施されています。
ここも左右に二つづつの祭壇が設けられています。
一番端にはそれぞれ "・・・・如来"と記された掛け軸が掛けられていました。

如来堂正面に位置する唐門。
左側が正面で右側が境内側です。
天保15年(1844年)の建造物。

側面も凝った造りとなっています。
ここにはもっと見るべきものがあったのですが・・・。
建築物では太鼓門、御廟唐門、安楽庵(江戸初期の名席といわれる茶室)、雲幽園そして宝物館など。
事前調査なしの訪問では仕方がないのかもしれません。
今回で 津の"江”ゆかり地の訪問は終わりです。