い ろ は 土 器

1月18日の新聞で朝日、中日、日経新聞の記事です。
私も新聞を読み、21日から公開されるとあり一層興味を持ちました。
なぜならば見に行くことが出来るところ、三重県明和町にある "斎宮歴史博物館" で展示されるからです。
明和町は伊勢市から松阪に行く途中にある町です。
斎宮と聞けば思い当たる方も多いと思いますし、ましてや歴史博物館といえば、
さらにああそうかと肯かれるかもしれません。
斎宮は代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉仕させられましたが、
このお方を斎王(さいおう、いつきのみこ)といい、そのお住まいが斎宮です。
この斎宮跡の発掘調査と保存、展示および斎宮、斎王に関する展示を行っているのが斎宮歴史展示館です。

見つかったのは平安時代の11世紀末から12世紀前半にかけて作られたとみられる土師器の破片で、
復元すると直径約9cm、高さ1cm程でその内側と外側にいろは歌の一部が墨で書かれています。
内側には「ぬるをわか」、外側には「つねなら」と書かれています。
土師器(はじき)とは素焼きの土器をいうそうで、発見されたのは皿です。


上の写真が実物展示品です。
この皿は平成22年の斎宮跡171次調査のときに出土したもので、
斎王の居所である内院が想定されているあたりで、 平安後期の溝から大量の土器とともに出土したものだそうです。
新聞に掲載されたのは、いろは歌は平安中期に成立したとされており、
これまでいろは歌が書かれた平安時代の土器が見つかっておらず、国内最古となるからだそうです。
内院の一画から出土したことや繊細な筆遣いから書かれているひらがなは「女手」と呼ばれ、
斎王に仕えた女官が文字を覚えるために書いたものと考えられています。
いろは歌は47文字を重複なく用いた手習い歌だったようです。
また、当時は紙は貴重品であったため土器が練習用に使われたのではと。そのため両面を使っているのではとも。
また今回の発見はいろは歌やひらがなの普及を考える上でも貴重な発見と考えられています。
斎宮には都からいち早く都の文化が伝わっていたことも示しているのではないかと考えられます。
斎宮には盛衰もありますが500人程が働いていて女官は40人といわれ、
地元の豪族の娘が主に採用された采女とみられ教養を高めるため捨てる前の器を利用したと考えられます。。

展示室の前に置かれていました。
ここの目玉にもなる出土品ではないかと思います。
彩色土馬と呼ばれ左側が復元品で右側が出土品です。出土品には僅かに朱彩がみられます。
土馬は8世紀ころに祭りに使われた道具で、これだけ大きく、彩色が施され、
作りも丁寧なものは普通の遺跡では考えられないものだそうです。
斎宮跡の発掘が始まった初期に発見され、この遺跡が斎宮跡と決定づけた資料となったものだそうです。
左が飛鳥時代、右が奈良時代の土器

さいころや碁石と思われるような土器、人面土器など

三彩陶器