室 生 寺

東海と関西を結ぶ名阪国道がありますが、ああああああaaああああああ
その南に同じように三重県と関西を結ぶ国道165号があります。あaaあああ
三重県から奈良県に入り程なく室生寺口があり、ここから8km程でしょうか、
入ったところに室生寺があります。ああああaあああああああaあああああああ
まず、室生寺を知ってもらうために、案内板に記された説明です。ああああああああああああああ
女人高野として名高いこの寺は天武天皇9年681年役行者により開かれああああああ
後に弘法大師の手で伽藍の整備が行われました。ああああああああああああああああああ
この寺は高野山と同じ真言宗に属していますが、古くから女人の入山を許していました。あ
境内には金堂、五重塔などの伽藍、本尊釈迦如来像、十一面観音像などあああaああああああ
多くの国宝、重要文化財が残されています。あああああああああああああああああああああああ
とあります。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
一般には「女人高野」として有名なお寺さんです。
写真の橋を渡ると境内に至ります。室生川に架る太鼓橋。ああああああaあああああああああ
石碑には一番上の文字は私には読めませんが、以下は「女人高野室生山」と記されています。


橋を渡るとすぐ表門と左手に本坊が現れます。
石碑には「女人高野室生寺」とあり、門の看板には「大本山室生寺」となっています。
どんな宗教にも同じ宗派の中に、真言宗でもその中に会派があるようで、
ここは、真言宗室生寺派の大本山となっているそうです。


石楠花 (シャクナゲ)
境内はシャクナゲの名所としても知られているそうですが、
訪れた時にはあちこちに多く見られるということはありませんでした。

仁王門


金堂へ上る石段とバン字池。
バン字は梵字へ変わっていたのではとも言われていとも。


金堂の正面からとやや側面からです。ああああああああああああああああ
金堂は平安初期のもので国宝になっています。あああああああああああああ
多くの国宝や重要文化財がここに残っているのは、あああああああああああ
僧兵を持たなかったことと平安京の都からはるか遠い位置に存在したため、
内乱、焼き討ち等に遭うことがなかったことが幸いしたといわれます。あああ
石垣に注目してください。二段になっています。ああああああああaあああ
もう一つ、屋根の形状です。前と奥とでは形状が異なります。ああああああ


屋根の形状を側面から見るとこのような形状をしています。ああああああああああああああああaああああああああああああ
屋根の正面部分への上からの流れが、下の方で変わってしまっています。ああああああああああaああああああああああああ
平安時代初期の山岳密教仏堂だそうで正面からは直接入れなっかたそうです。あああああああああああaあああああああ
中世以前は仏堂は仏さまのための建物であり、正面に設けられた扉は仏様専用の出入り口なのだそうです。ああaああああ
僧侶といえどもめったに中には入れなかったそうで、側面からはいるようになっていたとか。ああああああああaああああああ
その後、密教も変わりだんだん僧侶や俗人が仏堂の中へ入るようになり、人が入る空間(礼堂)が加えられたとのことです。
仏様のいらっしゃるところは正堂というそうです。ああああああああああああああああああああああああああああaああああああ
石垣が二段になっているのや屋根の形が変わっているのは増築のためだそうです。ああああああああああああああああ
もとの屋根にぶら下がるように付いているので縋破風(すがるはふ)というそうです。あああああああaああああaああああああ

金堂内部の仏像群です。あああああああああああああ
撮影禁止となっていますので、絵葉書から拝借しました。
取り上げたのは購入時に尼さんだったのでしょうか色々と説明してくれました。ああaaaあああああ
増築のこともそうです。もう一つ、仏像のことも説明を受けました。ああああああああaaあああああああ
左から十一面観音立像、文殊菩薩立像、釈迦如来立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像。ああa
手前に立つのは十二神将像。ああああああああああああああああああああああああああああああああ
釈迦如来立像と十一面観音立像はいずれも平安初期の木造で国宝に指定されています。aああ
他の三体は平安時代の木造で重要文化財に指定されています。ああああああああああああああああ
それと見えませんが、本尊背後の壁に描かれた彩色画・「板絵着色伝帝釈天曼荼羅」も国宝です。
十二神将は新薬師寺のものが有名で、薬師如来の武神として知られています。ああああああああ
確かに、ここには薬師如来も安置されていますが、武神は全体に置かれています。あああああああ
なぜこんな置き方になっているかというと、ああああああああああああああああああ
現在、本尊はは釈迦如来と呼ばれていますが、あああああああああああああああああ
釈迦如来の光背に七仏薬師像が描かれていることから、あああああああああああああ
本来は薬師如来像として造立されたものだそうです。あああああああああああああああ
このため、十二神将が置かれているとのことでした。あああああああaああああああああ
また、現在5体の仏像が安置されていますが、ああああaああああああああああああ
見て頂いてお分かりのように横幅は3間しかなく、あああああああaあああああああああ
前から見るとよく見えない仏様もあります。ああああああああああああああああああああ
このため当初安置されていたのは3体の仏像ではと言われているそうです。ああああ

弥勒堂と釈迦如来坐像。
鎌倉時代のもので重要文化財。金堂の左手に建てられています。
ご本尊は「弥勒菩薩立像」で重要文化。あああああaああああああああ
その脇にいらっしゃる「釈迦如来坐像」は木造で1m程で、あああああ
これも平安初期のもので国宝となっています。あああああああああああ
菩薩様の横に釈迦如来とはちょっと変ですよね。あああaああああ
お釈迦様は「客仏」だそうです。ああああああああああああaあああああ
釈迦如来坐像は購入した絵葉書より拝借。
国宝ということであえて載せてしまいました。aあ
なんとまた、にこやかなようで穏やかなお顔であられることか!

金堂左手の石段の上にある本堂(灌頂堂)。ああああああああああああああ
鎌倉後期のものでこれも国宝です。ああああああああaあああああああああああ
真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂であったことから、あああ
灌頂堂と呼ばれます。あああああああああああああああああああああああああ
また、真言寺院の中心であったことから本堂とも呼ばれるそうです。ああああ
本堂正面です。
ここでも「三つ葉葵」の紋所が見られました。
犬公方として有名な5代将軍徳川綱吉の母桂昌院が登場します。
歴史秘話という番組だったと思いますが桂昌院を取り上げていました。あ
京都の八百屋の次女として生まれ名前はお玉。ああああaああああああ
そして、最後には将軍の母となった人です。あああああaあああああああ
「玉の輿」の語源ともいわれますし、生類憐みの令を進めたのも、あああ
色々な寺院修繕復活などで財政を圧迫させたのも桂昌院だと。あaああ
一方で、生類哀れの令は勉学ひとすじの堅物綱吉が、あああaあああああああああ
犬猫動物はもとより人まで試し切りの対象となっていた殺伐とした江戸の世相を憂い、
儒教の精神で平和な社会に変換さようとしたものとも。あああああああaあああああああ
寺院修繕復活などは、今でいう景気刺激、公共投資のようなもので、ああああああ
仏教を中心とした宗教心を柱に庶民文化を建て直すことを試みたものとも。ああああ
見方は色々できるものだと思います。ああああああああああああああああああああああ
室生寺では、桂昌院の力添えで、興福寺の法相宗から離れて真言宗の寺院となり、あああああああああ
真言密教は女人禁制であったのですが、女人救済の寺「女人高野 室生寺」となったとされているそうです。
実際には桂昌院からの要望というより室生寺の方で桂昌院に気を使われてとのことも。ああaああaあああああ
また桂昌院の寄進によって堂塔も修理されているそうです。あああああああああああああaaああああああああ

この石碑は表門にあった石碑の上部です。あああああaあああああああああ
女人高野の上にあるのは「家紋」です。あああああaaああああああああああああ
お玉の父が亡くなり縁あって母が本条家の後妻となり本庄家の娘となりました。
その本庄家の家紋「 九目結文(ここのつめゆいもん)」です。ああああaああああ
桂昌院に感謝を表すためのものだそうです。ああああああああああaaああああ
この家紋を入れている寺院はほかにも多く見られます。ああaああ
いずれも桂昌院となんらかの関わりがあったところです。ああああaああ

これまた、絵葉書から拝借しました。
本堂の内陣中央の厨子に安置されている如意輪観音坐像で重要文化財です。


本堂を五重塔へ上る階段から見下ろしています。
背の高い石碑も見られます。


本堂左側にある階段を上ると五重塔が現れます。ああああああああああああああああああああ
平安初期の建立と言われ、室生山中で最古の建築物で国宝に指定されています。ああああああ
屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古く、あああああああaあああ
総高さ16.1mで木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小で、あああああああああああああ
興福寺五重塔の3分の1ほどだそうです。ああああああああああああああああaあああああああああ
屋根の大きさが1重目と5重目とで変わらないのに対し、あああああああああああああああああ
塔身は上へ行くにしたがって細くなり、5重目の一辺は1重目の6割ほどになっているそうです。
報道もされましたが、1998年には台風7号の強風でそばの杉が倒れ、屋根を直撃、ああaあ
西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けたこともありました。ああああああ


最上部の九輪の上に「水煙(すいえん)」という飾りが付くのが一般的だそうですが、
この塔では水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがあり、aあああああああ
その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しいものだそうです。


これまでに訪れたことはありましたが、更に上にある奥ノ院まで上ったことはありませんでした。
今回、最後になるかもしれないと思い、登ってみました。
最初は原生林の中、それほど急でない小道を進みます。

シダが天然記念物に指定されていたようですが、現在は見る影もありません。


小石が積み上げられた岩も所々で見かけます。
原生林で日も通らないのか杉の幹ににも苔が見られます。

朱塗りの小さな橋が見えてきましたのでもうすぐかな?
名がないのか「無名橋」とか。


橋からが大変急な石段が続きまあした。あああああaあああ
数えてはいませんが、実に450段あるそうです。ああああああ
五重塔から奥ノ院までは720段だそうです。ああああああああ
登られる人、いずれも何度も途中で休む姿が見られます。
私も同様です。ああああaaああああああああああああああああ


手すりの助けを借りながら登るとようやく建物らしきものが見えてきました。
途中で引き返すことなく、胸突きの石段をやっと登りきった、といった感じです。

斜面に昔はこのような足場のような木組みが土台となっていたのかな?
京都の清水寺の舞台を思い出します。


奥ノ院にある御影堂です。
鎌倉時代に建立された建物で、重要文化財に指定されています。
この堂は弘法大師(空海)の42歳のお姿を写した像が安置。
大師堂とも呼ばれています。


屋根は厚板段葺きで、頂上部に石造りの露盤が置かれる珍しい屋根だそうです。

御影堂の左側に設けられている七重石塔です。

御影堂と向き合って建てられている位牌堂。

位牌堂には回廊が設けられており、木製の長椅子も置かれていました。
しばしの間一息いれることが出来ました。
見下ろすと下に小さく道路と駐車場が見えました。
奥ノ院は相当な高さにあると実感します。あaあaあああ

グーグルの地図です。
室生寺と記されたところが本堂。あaああaああああああ
そのちょっと左斜め上に見えるのが五重塔。ああああああ
本堂の右斜め下が金堂にあたります。あaあaああああああ
室生山暖地性シダ群落と記されたこれまた左斜め上に
白く見えるところが奥ノ院にあたります。あaあaあああaああ
久しぶりに訪れましたがこのような所の風景はは時の流れを止めているようにも感じます。
室生寺からの帰りは案内表示に従いますと長いトンネルを走り、ああaああ
国道165号には入った時とは違いもっと三重県側でした。あaあaあああaああ
行きに通った道はカーブの多い道でしたが、カーブもなかったように思ああa
緊急時のために造ったものでしょうか、観光用なのでしょうか?あaあaあaああ