法 隆 寺


斑鳩に出かけました。まずは法隆寺です。
伊勢自動車道から関で自動車専用道路の名阪国道、西名阪道で法隆寺インターまで走りました。
久しぶりに名阪国道をほぼ全線を走りましたがトラックの多さには驚きました。
以前よりさらに増えたように思います。やはり行儀はあまりよくない車も多々ありました。
名神高速、新名神高速もありますが、やはり名阪国道は無料ということが魅力なのでしょうか?
思い出すのは実験まで行った高速道路無料化のお話。夢物語に終わってしまいました。
法隆寺の南大門です。
今が修学旅行シーズンで中学生、高校生の集団が目立ちました。

南大門に入る石段の前に大きな石が見られます。ああああああああ
魚の形をしており「鯛石」と呼ばれているそうです。あああああaああああ
いわれがあって、大雨で洪水になってもここで水が止まると云われ、
この石を踏んでおくと水難に合わないと云われているそうです。あああ
色んな所で七不思議が語られますが、法隆寺にもありこれが一つだそうです。


大屋根に乗っている一対の鬼瓦で、
口を閉じた雄の鬼瓦と、口を開けた雌の鬼瓦です。

南大門の向こうに見える中門と五重塔。
この三つの建築物はいずれも国宝で、国宝三棟を写真に収められるのはここだけとのことです。


築垣に挟まれた参道を進むと中門と五重塔が迫ってきます。

中門ですがこれまで何気なく見ていて気が付きませんでしたが、あああああ
他のお寺と異なるところがあるそうです。ああああああああああああああああああ
一つは間口が四間の偶数で中央に柱が建っていることです。あああああああ
この門は不吉な門と言われ「子孫が絶える門」と云われるそうです。ああああああ
聖徳太子の妃とその子がすべて抹殺され、あああああああああああああああああ
子孫が一人も残っていないことから云われるようになったのかも知れません。ああ
もう一つは柱の間隔です。ああああああああああああああああああああああ
5本の柱で四つに区切られていますが、中央側が両脇側より広く、あああああ
1.5倍になっていて、これは中国の建築様式にならっているそうです。ああaあ


中門の仁王さん。
口を開いている阿形(あぎょう)の仁王さんと、閉じている吽形(うんぎょう)の仁王さん。
天平時代唯一の遺構で、金剛杖を持たないわが国最古の仁王さんだそうです。ああaaあ
しかしながら国宝ではなく重要文化財とのこと。ああaあああああああああああああああ
理由は、後世の補修で塑土で塗り重ねられ、結果肥満体となったらしからです。あaあaあ

中門を潜り抜けた側から仁王さんをみています。あaあaあ
一般には仁王さんの前には金網などがはられていますが、あ
ご覧のとおりここでは張られていません。あaあaあああああああ
「雀が境内にいない」ので張る必要がないとのこと。あaあaあ
また、「蜘蛛が巣を張らない」ともいわれます。あaあああああaあ
この二つも七不思議の中に入るそうです。あaあaあああああaあ


中門の左側に「法隆寺」の石碑があり、ああaああああaあああああ
その上には「日本最初の世界文化遺産」と記されています。ああaあ
法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える仏教施設で、あああaaあ
聖徳太子を宗祖とする聖徳宗の総本山です。あああああああaあaあ
経典は、聖徳太子が撰したとされる「三経義疏」だそうです。ああaあ
よくは分かりませんが日本の仏教宗派の一つだと思います。ああaあ
法起寺・法輪寺、門跡寺院の中宮寺などは小本山になるそうです。ああaあ
金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍があります。ああaあ
所有する国宝建造物は18件にもおよぶそうです。ああaあ
また、美術工芸品は20件。一か所でこれだけの国宝があるのは驚きです。
そして、重要文化財も数知れないほど存在します。
また、東院伽藍のすぐ近くにには中宮寺があります。ああaあ
創建は607年とされています。


わが国最古で高さ32.5mの五重塔。
仏教寺院では最も重要なたてものとされているそうです。
五重塔は仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るためにもので実際に容器が出てきたそうで、あああああああああ
大宝蔵院にそのレプリカが展示されていました。ああああaああああああああああああああああああああああ
容器はガラス製の釈迦の遺骨を納めた舎利壺とこれを納める金製、銀製、銅製の容器からなっています。
舎利容器は調査後、元の場所に埋め戻されているそうです。ああaああああああああああああああああああ
古代インドにおいてはストゥーパとよばれ五重塔とは似ても似つかぬ饅頭形(半球形)のもので、あaあ
中国に伝えられ楼閣建築の形式を取り入れて高層化するようになり朝鮮半島を経て日本へ伝えられ、あ
日本の五重塔になったと云われているそうです。ああああああああああああああああああああああああああ
東西南北の面に扉があり中をうかがうことが出来ます。ああああああaaあああ
この4面に「塔本四面具(国宝)」と呼ばれる塑造の群像が安置されています。
東面は文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、あああああああ
北面は釈迦の入滅(釈迦涅槃)ああaああああああああああああ
西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、
南面は弥勒の浄土を表す。ああああああああああああああああ
北面の「涅槃像土」は「法隆寺の泣き仏」ということで有名です。
修学旅行生はこの面だけ順番に覗き込んでいました。あああああ
薄暗くてよく分かりませんがガイドさんが付いていると、あああああ
ライトを当ててくれますのでよく分かります。ああああああああああ

五重塔の上の相隣で高さは10m。
右の写真は相隣の下部を大きく撮ったものです。
下部に4本の鎌が架けられています。あああああああaaあああああああああああ
なぜ? ということでこれも七不思議の一つに数えられます。あああああああaああ
長さ2mにもおよぶ大鎌で、雷をよせつけず、大風を切るといわれますし、ああaあ
鎌が上ると豊作、下がると凶作になるとも伝えられています。ああああああああああ
その下にある相輪の露盤に「三つ葉葵」の紋章が見られます。あああああああ
なぜかここでは桂昌院の実家・本庄家の家紋「九目結紋」が並んではいません。
五重塔は金堂と並んで最高の礼拝対象であり桂昌院も遠慮されたのかもとも?あ

大宝蔵院の出口から見た五重塔です。

五重塔の右隣に建つ金堂。
日本では一山の本尊を安置する寺院の中心的な堂を、
「本堂」あるいは「金堂」というそうです。ああああああああああ
本尊は聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像。あああ
そのほか、薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、四天王像、吉祥天立像・毘沙門天立像が安置されています。
また、ほとんど分かりませんでしたが世界的に有名な天人と鳳凰が舞う天蓋が吊るされています。ああああああ
これまたレプリカが大宝蔵院で見ることが出来ます。あああああああああああああああああああああああああああ
特徴の一つとして土台があり、二段になっています。ああああああああああああああ
「二重基壇」と呼ばれは飛鳥時代の特徴で、法隆寺にしか見られないものだそうです。
二重基壇は法隆寺の金堂、五重塔、夢殿、玉虫厨子だけだそうです。あああああああ


礼拝石と正面からの眺めです。


二層の四方の支柱には龍の飾り物が見られます。
正面にあたる南側には阿形の昇り龍。


反対側の北側には吽形の降り龍が見られます。
創建時には無く、江戸時代の修復時に付けられたとされているそうです。
豪華さを付け加えたかったのか、災難除けを願ったのか?


中庭に建つ灯篭とその後ろは大講堂です。
灯篭は徳川五代将軍綱吉の母・桂昌院の寄進で、ああああああああああああああ
徳川の「三つ葉葵」と桂昌院の実家・本庄家の家紋「九目結紋」が見られます。あああ
五重塔相輪の露盤でもみられましたが、もっとほかでも見られるとのことです。あaああ
江戸時代、桂昌院による大修理は15年間にも及ぶ長期の工事だったそうで、あ
特に、五重塔の修理には力を入れたそうです。あああああああああああああああああ
大講堂は仏教を研鑽したり法要を行うところで、高僧が問答を置かなう椅子も置かれています。
また、国宝の薬師三尊像と重要文化財の四天王像が安置されています。ああああああああああああ
大講堂そのものは国宝となっています。ああああああああああああああああああああああああああああ


大講堂の左右に同じような建物が立てられています。
右側の鐘楼です。二階に鐘らしきようなものが見られます。
上層部分は廻り縁に高欄をめぐらし連子窓などを設けた構造に対し、
下層部分は装飾的なものはなく白壁と木部だけでシンプルなものとなっています。


左側に建てられている経蔵。
鐘楼と同じ造りに見えます。
右側の写真は中門から五重塔と金堂を囲むようにめぐらされた回廊です。
この回廊も国宝となっています。
現在、鐘楼と経蔵が結ばれて大講堂の前にはありませんが、
当初は大講堂の前にもあり五重塔と金堂を取り囲んでいたということです。


五重塔と金堂を見終えて出てくると鏡池の前に出てきます。あああああああああああああ
その傍に正岡子規の句碑があります。ああああああああああああああああああああああああ
誰もが聞いたことのあるあの「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句です。あああああああああ
芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞と言われています。ああああaあ
この句についてもいろいろ言われ、どんな柿を食べたのかとか、どこの鐘が聞こえたのかとか。
色んなことを考える人がいるのだなあと感心します。あああああああああああああああああああ
子規の句碑としましたが時間がなくあわてて撮りましたので、句を確認していません。
写真をよく観察をすると句がなく、よく確認できません。あああああああああああああああ
鏡池のふちに存在することには間違いありません。あああああああああああああああああ

御手洗所。中門の右手に位置します。
神社に比べるとこのような立派なお寺さんにしては小さいかなとも。

聖霊院と呼ばれる建物。
回廊の外側の東西に東室(ひがしむろ)、西室(にしむろ)という南北に長い建物があり、
僧侶の住居として使われていました。ああああああああああああああああああああああああaあ
その東室の前を改造して聖徳太子の像を安置するために造られたものだそうです。ああああ


東室とその隣の妻室(さいしつ)。
お坊さんの妻が住むためのもの?あ
僧坊は大房(だいぼう)に小子房(しょうしぼう)が付属しての一組となるのが通例で、
東室が大房、妻室は小子房に当たるそうです。ああああああああああああaあああああ
僧侶にも階級や老若がありましたから大小の部屋があったようです。ああああああああ
妻室とは妻が住むようなといういみだとか?あああああああああああああああああaああ

「馬屋」と記され中に人と馬の模型がありました。
寺の宝を保管するための網封蔵(こうふうぞう)、
お坊さんが食事をする所の食堂(じきどう)、あああ
を見ながら大宝蔵院へ。ああああああああああああ

大宝蔵院で中央に中門、東西に東宝殿、西に西宝殿、中門の後ろには百済観音堂。
この建物は20世紀末に建てられたものです。ああああああああああああああああああああ
1997年から1999年にかけて日本とフランスでそれぞれフランス年、日本年が催され、ああああああ
両国の国宝級美術品一点ずつを相手国で公開されました。ああああああああああああああああああああ
日本からは百済観音が、フランスからはウジェーヌ・ドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」でした。
この間を利用して建てられました。ああああああああああああああああああああああああああああああああ
近代設備があり、数々の国宝や重要文化財が環境の整ったところで保管されるようになりました。ああ
以前は百済観音も金堂にあったようにように思います。あああああああああああああああああああああああ
やはり目玉は百済観音像でしょうね。あああああああああああああああああああああああああああ
フランスでも絶賛されたようです。ああああああああああああああああああああああああああああああ
日本の仏像としては珍しい八頭身のすらりとした姿と、その表情が受けたのでしょうか?あああaああ
百済観音像は一般的には飛鳥時代のものとされています。あああああああああああああああああ
ところが、法隆寺の古い記録にはこの像に当たるものが見えないことや、作風の違いから、ああaあ
造像当初から法隆寺にあったものではなく、後世のものといわれます。ああaaああああああああああ
なにかで呼んだのか、見たのか忘れましたが江戸時代を主張する人もいたように記憶しています。
諸説がありますが、正確なことはよく分かっていないのではと思います。あああああああaあああああ
見る人によって異なるとは思いますが、もう一つの目玉は「玉虫厨子」ではないでしょうか。ああああああああああああ
これも遠い昔のことですが教科書に載っていたように思います。ああああああaaaああああああああああああああああああ
厨子とは、仏像などの礼拝対象を納めて屋内に安置する、屋根付きの工作物で、あああああああああああああああ
玉虫厨子は実際の仏堂建築の外観を模した造りになっており、古代の日本建築を知るうえでも重要なものだそうです。
推古天皇が所持していたものと云われます。あああああああああああああああああaあああああああああああああああああ
玉虫とは厨子の軸部に貼り付けられた透彫りの銅板の下にああああああああああああああああああああああああああ
玉虫の雄の美しい緑色の羽根を敷き詰めたことが名称の由来だそうです。ああああああああああああああああああああ
ほんの一か所に見られるとガイドさんがライトを当ててくれました。あああああああaあああああああああああああああああ
この他の印象に残ったものは蓮池の上に座す阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子、
これも教科書で見たような気がする聖徳太子描いた掛け軸や像、ああああああaあああああ
夢違観音像、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
そして、高さ20cmの小塔で百万基造られたことが名前の由来である百万小塔、あaあ
等々数多くの美術品が展示されています。あああああああああああああああaあああああああ
もちろんこの中では撮影禁止となっています。あああああああああaあああああああああああ


中門に至る前に東西に延びる参道です。
この道を東に進むと東門に至りさらに進むと東院伽藍です。


東大門。左は境内側で右は里側から見た門。
奈良時代を代表する建物の一つで、切妻造、本瓦葺で奈良時代八脚門の典型的な形式の山門だそうです。

屋根の棟が合計3本ある三棟造り(みつむねづくり)と呼ばれる珍しい作りです。
前と後ろに二つの棟がありその上に二つの棟を覆う大きな棟が設けられています。


西院伽藍の東大門を出て西院伽藍までしばらく築垣が続きます。
路地もなかなか風情がありますよ。


進んで行くと四脚門という門に至ります。
門をくぐると夢殿を囲む回廊が見えます。あ
上に見えるのは夢殿の屋根と相輪です。ああ

夢殿ですがご覧のように八角形をしています。ああああああああああああああああああああ
八角円堂としてはわが国最古のものだそうです。ああああああああああああああああああああ
もともと聖徳太子の遺徳を偲んで建てられた建物の中心となるものとして建てられました。あ
堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像が安置されています。あああああああああああ
今回この観音様を拝顔できましたが、偶然でした。あああああああああああああああああああ
開扉は4月11日から5月5日までと10月22日から11月3日までの年2回だそうです。ああa
そして、観音様の頭には、聖徳太子の怨霊を封じるため、釘が撃ち込まれているそうです。
墓には行信僧都坐像、道詮律師坐像、聖観音立像などが納められています。ああああああ
ここで七不思議が登場します。
夢殿にあるは救世観音の前の礼盤の下は、「いつも湿気がたまり汗をかいて湿っている」
と伝えられています。ああaああああああああああああああああああああああああああああああ
礼盤とは、僧侶がお経を唱えるために座る台とのことあああああああaああああああああああ
実際のところは乾いているそうですが。あああああああああああaaああああああああああああ
これで五つとなりました。ああああああああああああああああああああああああああああ
残りの一つは「雨だれの穴がない」といわれていること。あああああああああああああああ
とゆがありませんので屋根から落ちる水は下が土であれば穴が出来てくるはず。あああ
訪れた日は雨が降っておりませんでした。あああああああああああああああああああああ
二つ目は、土中に蔵が掘られ石蓋でふさがれていて、中には財宝が入っていると云われます。
伏蔵と呼ばれるそうです。ああああああああああaあああああああああああああああああああああああ
何が入っているのでしょうか?あああああああああaああああああああああああああああああああああ
これで法隆寺の七不思議が出尽くしました。


夢殿の相輪と柱です。
相輪は光線をイメージしたものではと?
柱は八角堂にちなんでか八角形になっています。

舎利殿と鐘楼。
よこわかりませんよね。たてものの外観イメージだと思ってみてください。
長くなってしまい後半だれぎみになってしまいました。あ
多くの見るべきものが存在しますから当然かもしれません。
最後までご覧頂いた方には感謝申し上げます。あああああ
ともかく、1400年前のものが残っていることには感動しました。
当時の技術の素晴らしさには改めて驚きます。あああああああああ
東京で634mのスカイツリーが建てられ開業しましたが、ああaああ
五重塔に用いられている芯柱の技術が取り入れられています。aあ