湖 東 三 山 百 済 寺  



湖東三山で最も南に位置します。
ところで,このお寺は百済寺と書いて「ひゃくさいじ」と読みます。

朝鮮半島に存在した百済の国を御存じだと思います。
もとは「伯済」と書いて 「はくさい」と呼ばれていましたが、
国家安定を願い「百済」と名を変えたそうです。
朝鮮の長い歴史の中で、「百済」の発音として「くだら」と呼ばれたことはなく
[ 「ハクサイ」だそうです。

日本人のみが「くだら」と発音したとのことです。


受付のある表門です。
もっと下に赤門があったようですが、
車を止めた駐車場の関係から飛ばしてしまったようです。





百済寺型「弥勒菩薩半跏思惟石像」(みろくぼさつはんかしいせきぞう)。
参道横に置かれていた像で特に謂れのあるものではありません。
ちょっとお顔が気になり撮りました。





仁王門。大きな草鞋が。
一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると謂われているそうです。

ところでここの金剛力士像は草鞋で見えない?
内側でお見合いしております。





高井杉木立の間を進んで行くともうすぐ本堂に。





本堂でご本尊は十一面観音さま。別名「植木観音さま」とも。

聖徳太子がこの地で山中に不思議な光を見られ、その光の元を訪ねて行くと
それは上二半分の幹が切られて光明を放つ杉の巨木あったそうです。
この杉の上半分の幹は百済に運ばれて「龍雲寺」の本尊十一面観世音菩薩像になっていることが判りました。

太子は根が付いた立ち木のまま幹に十一面観音の像を彫られ、
像を囲むように堂を建てられたと伝えられているそうです。
このことから呼ばれるようになったと謂われます。

ここも例外なく、織田信長の焼打ちにあっています。
残念ながらここは全焼させられてしまいました。





現在の本堂は江戸時代初期のものだそうです。





鐘楼と千年菩提樹。

菩提樹は樹齢1000年、高さ5m、周囲1.6mと記されています。





表門に戻り受付左手を回り込むと本坊の喜見院があり、
ここも立派な庭園が付属しています。

天下遠望の庭園とも呼ばれるそうです。





書院縁より見られる池向こうの紅葉。





同じく庭園内の様子。





池泉を廻って遠望台に向かいました。
庭園を囲む建物です。





展望台から望む遠景です。

左の写真で、黒く映った山並みの後ろに薄く写った山並みが見えますが比叡の山並みです。
残念ながら比叡山や琵琶湖も見えませんでした。

右の写真は視線を右に移した眺めで、
山並み中央右寄りにちょっと窪んだあたりに安土城跡、続いて観音寺城跡。

更に、遠く百済の国をここから偲んだと云われます。
百済寺は、北緯35度線上にあり西に向かって、
太郎坊・比叡山・次郎坊(鞍馬山)を経て西方880kmの彼方には「百済国」がありました。

この展望台の存在が「天下遠望の庭園」と称せられる由縁のように思います。


これで湖東三山の西明寺、金剛輪寺、百済寺の掲載を終えることが出来ました。
散策にあたり百済寺が最も楽にできるようになっています。
それは石段の参道とは別に「なだら坂」と名付けられた脇参道が設けられているからです。
しんどい思いをするのは金剛輪寺だと思います。

紅葉風景が続きちょっとくどくなってしまったかもしれません。





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