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難民問題の背景
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ブータンは、多民族国家 ブータンは、人口約60万人の小さな王国です。首都はティンプー。面積は4万7千平方キロで、九州の約1.1倍の広さです。支配民族であるウンガロング民族が国民の27%、シャルクホップ民族が33%、ネパール民族が35%を占める多民族国家です。 多民族の平和的共存を破壊する政策 1985年の公民権法の改悪。1988年に国勢調査によって支配民族が少ない事がわかった結果、同化政策が強化されることになりました。1988年の法令(Driglam
Namzha
Decree)によって、ンガロング民族の文化や民族衣装や言語が、強制されています。ネパール系住民が多い南部地方では、1989年に学校でのネパール語の使用が禁止され、さらに、学校や病院が閉鎖されています。 ブータン難民の発生 1990年に、人権の尊重と民主政策をもとめる大規模なデモが行われてから、おもにネパール系の住民を対象に、弾圧や国外追放政策がとられました。その結果、現在までに約13万人の人々が国外に逃れ、難民となっています。その内の約9万人は、ネパールの7ヶ所の難民キャンプに収容されています
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難民キャンプ内における教育状況
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ネパールの7カ所の難民キャンプで暮らしている約9万人の
ブータン難民の多くは、すでに7年前から、キャンプで生活しながら、母国へ帰ることを希望しています。しかしその政治的な解決はまだ見つかっていません。多くの人々は、祖国ブータンでは、豊かな農民生活をしていました。キャンプにおいて、人口密度をはじめブータンではほとんど自給自足で汗を流したが、キャンプでは、働かずに食料品をもらっているという恥も耐えないといけません。3、4年前までは、衛生、医療などの問題が深刻でしたが、現在は、教育、特に子供の学校教育が大きな問題です。学校は、毎日2交代で、3万3千人の子供達を教育しています。ほとんどの教室は、窓が全く無いか、あるいは殆ど無く、竹でできている暗いヒュッテです。使用されているテキストのレベルは高い(NGOやCARITASの援助によるもの)のですが、それ以外の本、辞書、参考書、小説等はほどんどありません。もちろん教師側も参考図書、辞書、辞典等をもっていません。 教師側と生徒側、両方の不満が高まっています。国連(UNHCR)の教育方面の援助が足りないなかで、難民キャンプの教育が委託されているカリタス(Caritas)の寄付に大きく依存している状況です。ブータン難民の問題は、世界でまだ十分に理解されていなので、寄付も少ないのです。さらに、キャンプの学校の悲惨な状況に失望して、キャンプ周辺の学校へ逃げ出す難民の教師が、特に2、3年前から急増しています。難民として難民のためにキャンプで働くと、同じところで働くネパール人より給料が大分低いからです。国連がその基準を決めているのです。そのため難民学校の教師不足も大きな問題になっています。そのうえ、難民キャンプ内の教育は、クラス10(日本の高校1年生)までしかありません。大学へ入るためには、キャンプ以外のネパールないしインドの高等学校に行かなければなりません。しかも、キャンプ周辺のネパールの高等学校のレベルが大学へ入学できないほど低いので、奨学金の給付を待って、インドの高校へ行かざるをえません。 その他に、1996年に入ってから、難民高等弁務官(UNHCR)側が全体予算を10%ほど減らし、また世界中で活躍している国際ボランテイア組織のOXFAMなどがキャンプ内の事業(編物などによる収入プロジェクト、成人教育援助など)を廃止または減らす傾向であるために、難民は将来に対し不安を抱きはじめています。
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