裏磐梯とはいつから呼ばれたか
場所 福島県耶麻郡北塩原村にある磐梯山北側の地域
●裏磐梯とはいつから呼ばれるようになったか
大正9年(1920)の植林事業の時から呼ばれるようになります。
●裏磐梯の標高はいくらなのか
中心に桧原湖があり、標高は822メートルです。北海道の札幌と同じ気候です。
裏磐梯高原は、ほぼ箱根峠(846メートル)と同じなのです。
●湖沼の数はいくつあるのか
五色沼を含めて約300あります。
●五色沼とはなぜ呼ばれたか
五色沼は、地下水の鉱物によって沼の色が異なり、様々に色・五色に見えることから付けられたものです。
一般的には、東側入口から毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、竜沼、瑠璃沼、青沼、柳沼をさしています。
沼の色は、磐梯山の爆裂火口に最も近い銅沼(あかぬま)にみられる強酸性の水系がもたらす鉱物の影響
により、沈殿したものや水質によって色が異なるように見えるものです。
沼によっては、酸性の低い水系もあり、繁殖した植物の繁茂した影響によって水の色が異なるように
みえるものでする。
遊歩道は、片道約3.6キロメートル。約1時間のコースが整備されています。
●磐梯山の高さは
標高1818.6メートルの活火山です。くぼんだ部分が噴火で崩壊しました。
北側の吾妻山の高さは2,035メートルです。
●国立公園の指定
昭和25年9月5日
●北塩原村の面積
233.94平u。東京23区の約1/3の面積。東京都杉並区の約7倍あります。
●北塩原村の人口は
3,360人(22年3月現在)東京23区の約1/2602。
●磐梯山の噴火と、裏磐梯の開発
明治21年(1888)7月15日
明治21年(1888)7月8日頃から地震発生。
12日上の湯から水蒸気発生、山崩れが発生します。
7月15日大噴火となります。爆発の音は、佐渡島まで聞こえたといわれています。
午前7時頃から軽微な地震。
7時30分頃から地震活発化し連続します。
午前7時45分頃大噴火、約1500mまで噴煙、約20回爆発。
午後4時頃終息します。
住民477人が犠牲となり、396人行方不明、遺体は81人発見されています。
温泉の開湯と別荘開発
明治29年(1900)噴火湯 白井徳次開湯 昭和29年山崩れで崩壊。別荘建設
明治40年頃 遠藤十次郎、二階建ての別荘を建てます。昭和11年には、与謝野晶子が宿泊しています。
遠藤十次郎、長野県の林学博士、中村弥六から植林の指導を学び、恩義として、裏磐梯高原ホテル南の
沼を「弥六沼」と名付ける。
裏磐梯とは大正9年の植林事業から
森林組合の設立は昭和5年(1930)、遠藤十次郎・宮森太左衛門「磐梯施業森林組合」を設立。
道路と植林に力を入れます。約723ha。現在は、県へ移管されています。
●裏磐梯の伝説
伝説1、桧原湖北側では、伊達氏の進攻を防いだ「守りきつね」。
伝説2、桧原湖南側では穴沢氏が退治した魔物の猫(猫魔)「黒猫」。
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