北塩原村、裏磐梯の歴史と文化 2006.10.07開設 文責 会津古城研究会 会長 石田明夫   


裏磐梯とは・北塩原村の概要
名   称
北塩原村(きたしおばらむら)
役場の所在地 〒966-0485
福島県耶麻郡北塩原村大字北山字姥ヶ作3531
電話番号 0241-23-3111  fax0241-25-7358

                                         会津古城研究会 石田明夫
裏磐梯とはいつから呼ばれたか
                                      
場所 福島県耶麻郡北塩原村にある磐梯山北側の地域
●裏磐梯とはいつから呼ばれるようになったか
    大正9年(1920)の植林事業の時から呼ばれるようになります。
●裏磐梯の標高はいくらなのか
    中心に桧原湖があり、標高は822メートルです。北海道の札幌と同じ気候です。
    裏磐梯高原は、ほぼ箱根峠(846メートル)と同じなのです。
●湖沼の数はいくつあるのか
    五色沼を含めて約300あります。
●五色沼とはなぜ呼ばれたか
    五色沼は、地下水の鉱物によって沼の色が異なり、様々に色・五色に見えることから付けられたものです。
    一般的には、東側入口から毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、竜沼、瑠璃沼、青沼、柳沼をさしています。
    沼の色は、磐梯山の爆裂火口に最も近い銅沼(あかぬま)にみられる強酸性の水系がもたらす鉱物の影響
    により、沈殿したものや水質によって色が異なるように見えるものです。
    沼によっては、酸性の低い水系もあり、繁殖した植物の繁茂した影響によって水の色が異なるように
    みえるものでする。
    遊歩道は、片道約3.6キロメートル。約1時間のコースが整備されています。
●磐梯山の高さは
    標高1818.6メートルの活火山です。くぼんだ部分が噴火で崩壊しました。
    北側の吾妻山の高さは2,035メートルです。
●国立公園の指定
    昭和25年9月5日
●北塩原村の面積
    233.94平u。東京23区の約1/3の面積。東京都杉並区の約7倍あります。
●北塩原村の人口は
    3,360人(22年3月現在)東京23区の約1/2602。
●磐梯山の噴火と、裏磐梯の開発
    明治21年(1888)7月15日
    明治21年(1888)7月8日頃から地震発生。
      12日上の湯から水蒸気発生、山崩れが発生します。
      7月15日大噴火となります。爆発の音は、佐渡島まで聞こえたといわれています。
      午前7時頃から軽微な地震。
      7時30分頃から地震活発化し連続します。
      午前7時45分頃大噴火、約1500mまで噴煙、約20回爆発。
      午後4時頃終息します。
      住民477人が犠牲となり、396人行方不明、遺体は81人発見されています。
   温泉の開湯と別荘開発
      明治29年(1900)噴火湯 白井徳次開湯 昭和29年山崩れで崩壊。別荘建設
      明治40年頃 遠藤十次郎、二階建ての別荘を建てます。昭和11年には、与謝野晶子が宿泊しています。
      遠藤十次郎、長野県の林学博士、中村弥六から植林の指導を学び、恩義として、裏磐梯高原ホテル南の
      沼を「弥六沼」と名付ける。
   裏磐梯とは大正9年の植林事業から
      森林組合の設立は昭和5年(1930)、遠藤十次郎・宮森太左衛門「磐梯施業森林組合」を設立。
      道路と植林に力を入れます。約723ha。現在は、県へ移管されています。

●裏磐梯の伝説
      伝説1、桧原湖北側では、伊達氏の進攻を防いだ「守りきつね」。
      伝説2、桧原湖南側では穴沢氏が退治した魔物の猫(猫魔)「黒猫」。

裏磐梯・北塩原村の歴史年表
年 号
西暦
内      容       
永禄7年
1564
桧原に葦名氏家臣の穴沢氏により戸山城が築かれる。
永禄8年 1565 伊達勢に背後の尾根伝いに戸山城が攻め込まれるが、城番をしていた穴沢氏家臣の奮闘により死守される。
永禄9年 1566 穴沢氏は、戸山城を廃止し、新たに桧原南へ岩山城を築く。
天正7・8年 1579 桧原金山の50両坑付近で金銀が掘り出される。『檜原覚書』
天正12年 1584 葦名氏が大塩に柏木城を築き、三瓶大蔵を城番として150騎を常駐させる。
天正13年
1585
伊達政宗が、岩山城を攻め、桧原を守備していた穴沢一族を皆殺しにする。
天正13年
1585
伊達政宗が、桧原に桧原城を築き、54日間留まり、後藤孫兵衛を城番として置く。
天正17年 1589 会津の葦名義広が磐梯山麓の摺上原で伊達政宗に敗れる。
慶長元年 1596 鳥屋山(戸山)付近で中常坊が金銀を発見し、翌年から掘り始める。『檜原覚書』
慶長12年 1607 桧原金山の50両坑を軽井沢の長右衛門と桧原の穴沢善四郎が普請する。『檜原覚書』
明治21年
1888
磐梯山の北側斜面が大噴火し、桧原湖などが出現する。

詳しい資料は 裏磐梯の文化・山塩・山城 PDF資料

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