北塩原村、裏磐梯の歴史と文化 2006.10.07開設 文責 会津古城研究会 会長 石田明夫   

裏磐梯の文化・山塩・山城 資料 裏磐梯の知られざる原風景 2010.06 石田明夫 
   裏磐梯は、1888年に大爆発した磐梯山によってできた爆裂火口
や大小の湖沼群という世界に誇る大自然や温泉群だけではありま
せん。裏磐梯の北側には、歴史の原風景が残されています。
  戦国時代、伊達政宗と葦名・穴沢氏との戦いの場でもありまし
た。そのため、戦場や双方が総力を上げて築いた大規模な山城が
点在しています。また、政宗が手に入れようと狙った千戸の職人
町を有した「桧原金山」もありました。桧原では、今でも砂金が
採れます。豊臣五大老の1人、120万石を誇った上杉景勝、「天地
人」主人公の直江兼続も米沢と若松とを往復した唯一の街道で
す。「米沢(会津)街道」は、当時の姿で残されています。街道
筋には、兼続時代に山塩を採った大塩裏磐梯温泉や、一里塚も残
されています。幕末の戊辰戦争では、新選組の土方歳三や斎藤
一、幕府軍の大鳥圭介、桑名藩主の松平敬定が逗留した大塩宿は
大塩裏磐梯温泉となっています。昭和11年には、与謝野晶子が裏
磐梯に泊まり、五色沼などを詠んだ9首の歌があります。たま、
裏磐梯とは大正9年から呼ばれるようになりました。
新たな、裏磐梯の世界を見てください。詳しくは下の項目で。
与謝野晶子が泊まった場所から見た裏磐梯
その地に建つ「裏磐梯高原ホテル」
п@0241-32-2211
                      詳しくは下から選んでください。
PDFファイルです。A4版
下の項目をクリックして下さい
    裏磐梯との関係  地図は項目をクリック
裏磐梯とはいつから呼ばれたか  磐梯山と裏磐梯の基礎的なこと
裏磐梯穴沢一族の城と墓  裏磐梯を支配していた穴沢一族とは
米沢街道と裏磐梯  米沢街道と裏磐梯の関係
 与謝野晶子が昭和11年に裏磐梯に来る   
地図
与謝野晶子 表示">
 米沢街道は、直江兼続も歩きました
地図
米沢街道 表示">
米沢街道1 大塩〜萱峠  大塩宿から萱峠までの説明
米沢街道2 萱峠〜金山  萱峠から水没した桧原宿・金山までの説明
米沢街道3  金山と政宗の城  桧原金山と伊達政宗の山城の説明
米沢街道4 金山〜桧原峠  桧原湖北側の金山から桧原峠まで
米沢街道5 桧原峠〜米沢市綱木  桧原峠の頂上から米沢市綱木宿まで
 伊達政宗が築いた大規模な山城
標高1037mにある 戸山城  伊達氏に対抗し、穴沢氏が築いた山城
 政宗の侵入に対抗し、葦名氏が築いた山城
地図
柏木城跡 表示">.
柏木城全体図、中心部の主郭  柏木城の全体の実測図です
今でも砂金が採れる 桧原金山  江戸時代喜多方より大きな町の桧原
会津の山塩 大塩温泉から採る塩  1200年前に始まり、兼続も採らせた山塩
地図
山塩 表示">.
喜多方市の街は上杉氏が整備  喜多方市の基礎は、上杉景勝が整備
前田慶次郎と会津  前田慶次郎の子孫は会津だけ
裏磐梯と戊辰戦争・新選組  新選組や桑名藩が裏磐梯に滞在
裏磐梯のワカサギ  裏磐梯のワカサギは杉並区の人が貢献
苧(からむし)  裏磐梯でも苧を作っていました

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裏磐梯の伝説、黒猫と守り狐
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