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「こんにちは。ネコの手運送です」
かっきり九十度。一夜漬けにしては我ながら様になっているな、とガラスに映った姿を確認する。
「はーい」
「ネコちゃんのお兄ちゃんだ」
「にもつ、誰のー?」
騒々しいが重量の軽い足音と共に、廊下の先から大量の子供が吐き出される。
別に子供嫌いなわけではないが、こう大人数だと圧倒されてしまう。もちろんそれを顔に出したりはしない。
「せんせー、それ何?」
「たべもの?」
「ちょっと待ってね。ごめんなさい、お待たせして」
「いえ。こちらにサインをお願いします」
足元に群がる子供たちに嫌な顔一つみせない。それが彼女もプロなのだと物語っていた。
「重いですから気をつけて」
「ありがとうございます」
にっこりと微笑んで箱を受け取った彼女に一礼して背を向ける。
保育園を出ると裏口に回り、そこに目立たないよう止めてある特殊なバンに乗り込む。
凄まじい数のテレビモニター。室内には集音マイクが拾うやりとりがひっきりなしに流れている。
機材が詰め込まれた狭い場所に男が五人。慣れていない者なら圧迫感だけで神経が参ってしまうだろう。
緑と黄色が特徴的な大手運送会社のトレードマークである帽子を手に画面を見つめる。
先ほど自分が届けた荷物が開けられ、子供たちが歓声を上げている光景がそこにはあった。
「普通の保母さんですよね。まぁ可愛くて胸はデカイけど」
情報分析官である部下の呟きは否定するような内容ではなかったが、黙って聞き捨てることも立場上出来ない。
「後半の情報は不要だろ」
「勘弁して下さいよ隊長。進展無しの毎日で、最近あの保母さん眺めるのだけが楽しみなんですから」
辟易した顔を向ける部下の意見は最もだ。見込み違いなのか、と彼女に会うたびそう思う。
「オモイ、それ任務絡んでなかったら単なるストーカーだからね」
「隊長そんなっ、でも任務が関係なかったら・・・運命の出会いってヤツで、彼女が俺に惚れて告白してくれて、でも事件解決したら俺たちは別れることになるから彼女は悲しさのあまり・・・」
あああっ。と悲痛な声を出して頭を抱えた部下のことは全員が無視した。
「本当にデイダラと接触しますかね」
「正直わからないな。ただ彼女は普通じゃない」
「可愛い保母さんの戸籍どころか、スリーサイズすら手に入らない。ですもんね」
重く頷く。そうなのだ。彼らの組織力を持ってすれば、手に入れられない個人情報はない。
なのに、捜査を始めて一週間。彼女の人生は痕跡が綺麗に無くなっていることだけが判明した。
両親は共に天涯孤独、彼女が生まれて三年目に飛行機事故で亡くなっている。その後、彼女は遠縁の援助で高校まで進学し、木ノ葉保育園に就職。わかったのはそれだけ。そんなこと一日あれば素人だって調べられる。
「聞き込みの成果はどうだった?」
「ダメですね。警戒されて全くです。世間話程度に話を振ってもコチラの身元を確認しようとしてきます」
「家の監視は?」
「敷地が広すぎるせいで外部監視は出来ません。場所柄電柱工事も装えません」
「セキュリティが高度過ぎて通信機器も全滅です。サーモカメラすら。これだから金持ちの家は・・・」
「金持ち。ね」
国内有数の高級住宅街。その中でも最大級の敷地面積を誇る豪邸に彼女は住んでいる。
そこに施されたセキュリティは要人警護レベル。もちろん費用は彼女の一か月分の給料を軽く上回るだろう。
だとしたら、その金はどこから出ているのか。そもそも一介の保育士にセキュリティが必要なのはなぜなのか。
「航空写真は?」
「それが・・・データ処理をしている最中に、また」
「不可解な事故か」
口ごもったオモイの報告の後半部分を自分で補足する。
入手することも困難な彼女のデータは、何か呪いを疑いたくなるほど保存を拒絶する。
監視端末からデータを移行した途端に本部のメイン端末が誤作動し、彼女のデータだけを消し去った。
運送屋に化けて荷物を届けるのは今回で三度目だ。その度に盗聴器を仕掛けるが稼動するのは数時間のみ。
世界でも信用度の高い猿飛の機器だ。その性能はこの業界の人間には崇拝に近い勢いで信頼されている。
「メンテナンスの技師は?」
「異常は全く見られないそうです。実際に・・・保母さん以外のデータには傷一つありません」
「まさか隊長・・・我々の中に裏切り者が?」
部下の問いは何度も自問し既に答えを出したものだったから笑って受け流すことが出来た。
「デイダラの?だが彼は金目当てでも政治犯でもない。協力して内通者に何の利益があるっていうんだい」
「・・・爆弾の横流し、とか。どうしよう今の発言で俺の優秀さに気づいたデイダラがこの車の下に爆弾を仕掛けて」
「それもないな。デイダラは自分が作った爆弾は必ず自分で爆発させる」
デイダラが好むのは自分の爆弾がどれだけ素晴らしく芸術的に爆発するかだけだ。
資金を出す組織の思想や宗教も、仕掛ける場所も犠牲者の数も一切気にかけることはない。
「だとしたら彼女に付きまとう、この違和感はなんなんでしょうか?」
細い糸だった。彼女とデイダラの関係は高校の同級生というだけのことだ。そしてデイダラが彼女を訪ねた、ただそれだけ。だが身内とすら連絡を取らない男が、自分から接触を取った唯一の人物でもある。
「尾行は?」
「全ての捜査員になんらかのトラブルが発生し、見失っています」
部下達の報告を聞いて、眉間の皺が深くなる。
最初は誰一人疑っていなかった。人柄にも怪しいところはない。けれど彼女を追えば追うほど疑惑が深まるのだ。
「・・・デイダラと関係するような女性には見えないんですよね」
「だが、デイダラへの報酬が彼女を中継しているなら足取りが追えない理由も説明がつく」
「世紀の爆弾魔と、可愛い保母さんか・・・しっくり来ないな」
誰もがそう思っている。モニター画面の中で笑顔を浮かべる彼女に、爆弾魔との接点など感じられない。
「どうします、隊長」
手渡された報告書を確認する。やはり方法は一つしかない。
「わかった。これより作戦をプランBに移行する」
「大丈夫ですか?」
打ち合わせ通り突然しゃがみ込んだ部下の一人に彼女が駆け寄る。
ベテランの部下の演技は見ていても不安がない。具合を悪くした中年女性、それ以外には見えない。
「少し立ちくらみが・・・」
「大変。病院、救急車呼びますね」
「いえ、少し休めば」
「でも」
病院を固辞する部下に、彼女が心配そうな表情を浮かべる。予定通りだ。
「どうしたんだ、母さん?」
「ああ、お前。貧血を起したみたいなんだよ、このお嬢さんがご親切に声をかけて下さって」
「大丈夫かい?」
「もう大丈夫。でも心配だから、叔母さんのところで休んでいくよ」
予定通り撤退。そんな報告を言葉の中にちりばめたやりとり。傍からは仲の良い親子にしか見えないだろう。
「それがいいよ。すぐそこだし」
「それじゃ、お嬢さんご親切にありがとうございました」
「いいえ、そんな」
「ヤマト。お前からもお礼を言っといておくれね」
いかにも気のいい母親らしく何度も腰を折りながら部下は近くに設置したアジトの一つに入っていく。
それを確認して、彼女に向き直る。
「母がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
「迷惑なんて。何も出来なかったんです、ごめんなさい」
ぺこん。と頭を下げた彼女の頭の上で黒髪が揺れる。予想外の展開に耳の中の無線機が指示に戸惑った。
「いいえ。お陰で母になにもなかったんですから。ありがとうございます」
この程度の差異で戸惑うな。と叱り付けたい気持ちを抑えて彼女に微笑みかける。
「あ・・・ネコちゃん」
「え?」
彼女の記憶力の良さに感謝しながら意外そうな顔を作る。
「ネコの手運送のお兄さんですよね。昨日木ノ葉保育園にりんご届けて頂いた」
「あぁ・・・え〜と、もしかしてイルカ先生って呼ばれてた?」
「はい。いつもお世話になっています」
「こちらこそ」
接触成功。無線機から代理で指揮を執っている部下の声が聞こえる。
「偶然ですね、お買い物ですか?」
「いいえ。この近くに住んでるんです」
笑顔のまま告げられた言葉は無線機を交わして分析官たちの情報源になる。
この近くに住んでいる。というのは嘘だ。彼女の家がある木ノ葉台はここから歩くと三十分近くかかる。
だが、若い女性が初対面の男に警戒してつく嘘だとも判断出来る。よって彼女を嘘つきだと断定は出来ない。
「へぇ。ボクもなんですよ。と、言っても最近母と同居を始めたばかりなので、よく知らないんですけどね」
「いいところですよ。皆さん親切だし」
「良くご存知なんですね」
当たり前だ。ここは木ノ葉保育園から一番近い商店街で、彼女の馴染みの店がたくさんある。
「はい。実は木ノ葉保育園の卒園生なんです」
「へえ。それじゃイルカ先生、今度この辺りを案内してくれませんか?」
一回目の接触で男性捜査員が若い女性と約束を取り付けるのは警戒される危険も孕む。
チーム内でも女性捜査員を当てるべきではと意見が割れたが、デイダラと実際に繋がっていたら危険が大きい。
隊長である自分が担当になったのも、デイダラの危険性を考えてのことだ。
「いいですよ」
「・・・」
「保育園は日曜日がお休みだから、日曜日なら大丈夫です」
接触二段階成功。そう呟く部下の声が一呼吸遅れた。次の約束があまりに簡単に取れたからだろう。
「あの・・・」
「そうだ。来週の日曜日、木ノ葉商店街の七夕祭りがあるんです。一緒に行きませんか?」
「え」
「商店街のお店が、全部出店を出すんです」
嬉しそうに携帯電話を取り出したイルカを呆然と見つめて、無線機からの指示に慌てて正気に戻る。
「それじゃぜひ」
「はい」
「ずいぶん警戒心の薄い人ですね」
「もしかしたらボクの正体に気づいて捜査情報を手に入れようとしてる。って可能性もあるけど」
シーがモニターを見て苦笑する。鼻歌交じりに買い物する姿は至って平和的だ。
「無警戒で可愛くて胸がデカイなんて最高だ。隊長、捜査終わったら接触してもいいですよね」
「どうかな。携帯電話が見たことの無い機種だった、メーカーもわからない」
隙を見て撮影した画像を手渡す。情報分析官でもあるオモイはわざわざ説明しなくてもすぐにそれを照合し始めた。
「デイダラに利用されてる。あるいは騙されている。ということですか?」
「判断するには情報が少なすぎる。どちらにしても、この一年でデイダラと接触したのは彼女だけだ」
「ええ」
短い時間で画像診断を終えたオモイが小さく口笛を吹いた。
「どうだい?」
「国内メーカー、海外メーカーどれもヒットしません。あえて言うなら某大国の軍用無線機と似てますね」
「今度は軍用無線機と保母さんか、ますます臭うな」
「でもまぁ、隊長の仕掛けた小型カメラで今度こそ裏が取れますよ。ほーら感度良好」
モニターを指差してオモイが笑った瞬間、イルカに仕掛けたカメラの画像と音声が一気に途切れた。
「え・・・まさか俺が指差したから」
「違う。外的要因だ。どういうことだ、今の今まで気づいた様子なんかなかったのに」
オモイの思い込みを否定して砂嵐になったモニターを睨みつける。
「彼女は・・・一体何者なんだ」
「あの綿飴屋さんは、普段居酒屋さんの自来也先生です」
無線機の向こうからオモイの『可愛い〜』という声が聞こえる。普段なら叱り付けるところだが、今回ばかりは同感だ。涼しげな海色の浴衣姿。捜査中にも関わらず、つい見惚れるほど似合っている。
「凄い混んでますね。そんなに美味しいのかな、あの綿飴」
「美味しいですよ、一つ買いましょうか?」
色とりどりの浴衣が店先に群がっている。覗き込むと長身で白髪の男と目が合った。
「男は後だ。可愛い娘っこ優先だからのォ、ほれ次は誰だったかの」
客商売をしているとは思えない無表情で門前払い同然に言い捨てられる。だが浴衣を着た女性には鼻の下まで伸ばしてニコニコ顔だ。
「エロ仙人っ!客えり好みすんなってばよ。悪ぃってば、お客さん・・・・イルカ?」
店主と思しき男を怒鳴りつけて出てきた金髪の青年がヤマトに謝罪しかけて、表情を消した。
「誰だってばよ、ソイツ」
「もう、ナルト。ヤマトさんを睨んだりしないで」
並の男ならそれだけで口が聞けなくなりそうな鋭い眼光。それが意味するものを考えて、無線機を2回軽く叩く。
『うずまきナルト。最近人気になっている一楽ラーメンのオーナー。青年実業家としてメディアにも引っ張りだこです。最終学歴は木ノ葉大学商学部卒。剣道の全日本チャンプです。父、母、弟の三人家族。うみのイルカとは保育園からの幼馴染です』
部下の報告を聞きながら二人のやり取りを眺める。綿飴屋に女性が群がっているのはどうやらこの男が原因らしい。
「そういう問題じゃねぇってよ。知らない男と祭りに来てる理由を聞いてるんだってばよ」
「知らなくないもん。りんご届けてもらったの、ネコの手運送のお兄さんなんだよ」
「そんなの完全に赤の他人じゃんか」
「また、そんなこと言って。ほら、行列出来てる」
笑い飛ばしたイルカだが、その点はヤマトもナルトと意見が一致している。
自分は正義の看板を背負っている身だからいいものの、良からぬことを考える男はいくらでもいる。
「行列なんかエロ仙人がどうにかするってばよ。イルカこそ、もう八時だかんな」
「八時だから?」
「帰るってばよ、今すぐ」
「ちょっと、ナルト。なにするの」
腕を引いてイルカを胸に引き寄せたナルトが、ギロリと睨みつけてくる。
「お前ってば何者だってばよ」
「何者と言われても」
「イルカに手ぇ出すってんなら命賭けろよ」
「ナルトっ!何てこと言うの」
「言うに決まってんじゃんか。だいたい俺とだって浴衣デートなんかしたことねぇだろ」
「したよ。保育園のとき皆で盆踊り大会毎年行ったもん」
「あんなんデートじゃねぇし!だいたいコイツ誰なんだってばよ」
「だからネコの手運送の」
堂々巡りだな。と目の前の光景にため息。
「ナルト。可愛いおネェちゃんたちが綿飴を待っとるんだぞ、なーにをサボっとる」
「うわっ、エロ仙人なにすんだってばよ!俺ってばそれどころじゃねーんだって」
先ほどの白髪の大男がひょいっ、とナルトをイルカから引き離した。
「自来也先生、ありがとうございます」
「おお、イルカではないか。ええのォ浴衣姿が可愛ぇのォ」
でれん。と鼻の下を伸ばした自来也がナルトに同意を求めた隙に、イルカがヤマトの手を握って駆け出す。
「んなことわかってるってばよっっ!ああ、逃げたじゃんかっっ」
「・・・ところであの男、誰だったかのォ」
「知らねぇってばよ!!!」
恩ある師匠の頭を容赦なく殴って、ナルトは闇に紛れたイルカを追った。
「もう、だいじょうぶ」
木の陰に隠れてにっこりと微笑むイルカだが、これでは幼馴染が心配したくなる気持ちもわかる。
全く大丈夫ではない。二人が潜んでいる本堂の裏の林は、全く人気がなく薄暗い。そんな所で良く知らない男と二人っきり。襲われたって文句は言えない状況だ。
「ごめんなさい。ナルトが意地悪なこと言って」
しかしイルカは一向に警戒する様子もなく、ヤマトの手を繋いだまま開口一番そう言った。
「ええと、友達なのかい」
「保育園から一緒の幼馴染なんです。だから子供扱いするの、イルカの方がお姉さんなのに」
「心配してるんだよ」
実際、こんな幼馴染がいたら気が気ではないと思う。ほっといたら悪い男に食い物にされてしまいそうだ。
「でも過保護」
それはイルカが必要以上に無警戒だからだ。言ってあげたいが、それを素直に信じて警戒されるのも困る。
「だね。だとするとボクの命は風前の灯なのかな」
繋がれたままだった手を示すと、イルカはちょっと考えて巾着を開く。その中にヤマトたちが喉から手が出るほど欲しいと思っている携帯電話が見えた。
「大丈夫。暗いけどイルカ、ライト持ってきたから」
「へ?」
携帯電話に気を取られたせいだろう。プラスチック製のうさぎを差し出しながらの言葉に反応が遅れた。
うさぎの耳を捻ると目が辺りを明るく照らす。その様をヤマトに見せ付けてイルカがにっこり微笑んだ。
「遭難したりしないから、安心して下さい」
『・・・ぶふっ』
無線機の向こう側で噴き出した部下を叱る気にもならない。これが世間で言う天然というやつなのか。
だがヤマトの心配を全く違う方向に解釈し、あまつさえそれを解決してくれようという姿勢は確かに可愛い。
「そうだね。ありがとう」
残忍な爆弾魔を追っているという現実を忘れ微笑み返す。
これがただのデートなら心躍るだろうな。と、少し残念に思いつつイルカのうさぎに手を伸ばす。
「珍しい形のライトだね」
うさぎのライトを見せてもらうような素振りでイルカの巾着を意図的に落す。口が開いたままの巾着から中身が零れた。
「うわっ申し訳ない」
「大丈夫です」
化粧ポーチなどの女性特有の持ち物と鍵やハンカチなどが散乱する。
腰を屈めそれらを拾いながら携帯電話を素早く後ろ手に隠す。
「あ」
同じように腰を屈めて拾い物をしていたイルカの呟きに、見られたかと背中を冷たい汗が流れる。
「ヤマトさん、空」
「空?」
嬉しそうに指差されて見上げると、ちょうど夜空に大輪の花が咲いたところだった。
「・・・」
「おすすめの場所なんです」
空を見上げる横顔が色とりどりの花火に照らされて目まぐるしく変わる。
「・・・きれいだね」
「はい」
うっとり。と空を見上げるイルカに釣られて花火を眺める。
沢山の木々に囲まれた静かな場所。こんな風に空を眺めたのは一体いつ以来だろうか。
『隊長、携帯のデータをお願いします』
耳元で押し殺したシーに訴えられて慌てて現実に意識を戻す。
自分はここに遊びに来ているわけではない。彼女は爆弾魔を捕まえるための捜査対象にしか過ぎないのだ。
横顔に見惚れそうになる自分を叱咤して、携帯電話を自分の背中で開く。イルカの視線に注意しながら肩ごしに液晶を見た。
「・・・」
待ち受け画面はイルカの子供の頃の写真だ。小さいイルカが更に小さい銀髪の男の子とピースサインを向けてくる。一瞬だけ違和感を覚えたが時間がない。すぐにデータを転送するための機材を差し込む。
この中に彼女の秘密が詰まっている。ごくり、と唾を飲み込んだ。
自分がやっていることは間違っていない。デイダラを捕まえなければ、またどこかで誰かが死傷する。
今と変わらない澄んだ瞳を向けてくる液晶の中のイルカから目を離して、機材を完全に差し込んだ。
パシャッ
何が起きたのかわからなかった。フラッシュだと気づいたのは、手の中の携帯が完全に停止してからだ。
慌てて電源を入れるが反応が無い。潜入捜査には付き物のトラブルだが、イルカが気づいたのではと少し焦る。
『カルイを行かせました。彼女に話しかけさせます』
部下からの指示が終わるかどうか。というタイミングで背後に人の気配を感じた。
「あれー迷っちまったかな。すみませーんお姉さん、トイレってどこですか」
夢中になって花火を眺めていたイルカが夢から醒めたように振り向く。
「本堂の右側です。大丈夫ですか一人で」
「大丈夫。邪魔して悪いねありがとー」
イルカが部下とのやり取りに集中した隙を狙って、携帯から機材を取り外し巾着に滑り込ませる。
花火の音と光が全てをかき消してくれるのが有難かった。
「終わっちゃいましたね」
「ええ」
ここで何か気の聞いた言葉でも口に出来たらいいのだろうが、仕事でなければ思いつきもしない。
「この後は盆踊りがあるんです」
「へぇ」
またヤマトの手を握ったイルカが賑やかな太鼓の音に、ますます笑みを深くする。
提灯に照らされた神社の中央では威勢のいい太鼓が鳴り響き、聞き覚えのある音頭が流れる。
「あ、花火音頭。ほら、ヤマトさん」
「いや、ボクは」
仕事の特殊性から大抵のことはこなすが、さすがに盆踊りまでは把握していない。
「大丈夫です。簡単だから」
「ちょっとイルカ先生」
円の中に飛び込むと横に並んだイルカが軽やかに踊りだす。
さすがに突っ立っているのも変だし、せっかく接触に成功したイルカと離れるのは立場上出来ない。
ええい、ままよ。と見よう見まねで踊り始めたヤマトに、隣から花も綻ぶような笑顔が贈られた。
「上手ですね、ヤマトさん」
「とんでもない。盆踊りなんか初めてだから変に肩凝っちゃって参りました」
カラコロと下駄の音が優しく響く帰り道。祭りの後だからか、そこかしこに家族連れや子供がいる。
「でも楽しかったです。こんな風に夏を過ごしたのはいつぶりだったかな」
偽りでない本心。花火に盆踊りに夏祭り、普段はよくやると冷ややかに見ている全てが新鮮だった。
「よかった」
両手を合わせたイルカがまたふわり。と微笑む。
「ボクは楽しかったけどイルカ先生は良かったのかな。さっきの彼じゃないけど先約があったんじゃ?」
「イルカも一人だったんです。だからヤマトさんに付き合って貰えて良かった」
「へぇ、イルカ先生くらい可愛いと彼氏くらいいそうなのに」
核心に近づく会話。無線機の向こうは緊張に静まり返ったが、目の前のイルカは桃色に染まった。
「ああ、やっぱりいるんだ。なのにボクを誘ってくれたってことは・・・遠距離?」
さり気無さを装いながら慎重に会話を進める。デイダラの本拠地は海外である。
「今は・・・砂の国に」
「へぇ、砂の国か。砂の国のどこかな?」
「イルカには内緒なんです」
唇の前に指を一本たてる。その仕草は可愛いが、それで納得してしまっていいのか。
「いいのかいそれで。何してるかわからないなんて心配だろ、悪事に手を染めてるかもしれない」
ヤマトの剣幕にきょとんと目を見開いたイルカはくすくす、と笑い出した。
「そんなことしません」
どこから来るのかその自信。そう言ってやりたいほどキッパリ、と笑顔で断言されて歯噛みする。
デイダラは加盟国全てで指名手配されている爆弾魔だ。背負っている罪状は悪事なんかで片付かない。
詰め寄りたい気持ちを抑えて、一つ大きく息を吐く。
「イルカ先生はそういうけど、男って勝手なものだよ。悪事はともかく浮気とかね」
「・・・うわき?」
「海を跨いだ距離で中々会えないんだろ。ボクだったら浮気するな」
『動揺が見られます。以前に浮気された可能性あり、隊長その線で攻めてください』
プロファイルを専門にしている部下の忠告に従う。だが泣き出しそうなイルカに胸が痛い。
こんなこと任務に入るたびやっていることだ。騙し、傷つけ、真実を探り出す。それが仕事だ。
「うわきは、しないって約束したもん」
ああ。と天を仰ぎたくなった。やはりイルカは利用されているのだ。
これだけ信頼されて、愛されているのに、デイダラは彼女を騙して悪事を繰り返している。
「口先だけだよ。連絡取ってるのかい?」
「・・・イルカからは架けちゃだめなんです、里心がついちゃうから」
「怪しいな。内緒の上に連絡取っちゃ駄目なんて」
ヤマトの仕事はまさしくそれだが、つまり同じことは犯罪者にだって言える。
もともと人を疑わない性格なのだろう。一方で素直過ぎるからヤマトを見る瞳に不安が見える。
「・・・」
「架けてみなよ」
「でも」
躊躇するイルカを後押しする。携帯の番号がわかれば居場所を特定することはさほど難しくない。
「前に連絡を取ったのはいつだい?」
「先月の・・・15日」
「もう一月じゃないか。もし彼もイルカさんのことを好きなら声が聞きたいはずだけどな」
『デイダラが携帯の電源を入れていれば場所がわかります』
部下の声に頭の中を整理する。デイダラの報酬がイルカに渡っているならあの豪邸にも納得がいく。
だがよほど言い聞かせられているのか、イルカは困った顔のままだ。
「時には妬かせるのも手だよ。ボクと夏祭りに来たこと報告するとかね」
ヤマト、という名前は任務上の偽名だ。もちろん猫の手運送にヤマトという社員は存在する。
万が一裏を取られてもいいように万全の準備はしてある。デイダラが嫉妬で帰国してくれれば願ったり叶ったりだ。
「でも・・・」
「男ってね、彼女があんまり言いなりだと飽きてしまうものなんだ」
大きな目が見開かれる。動揺が伝わって、言いようのない罪悪感が胸を抉った。
「時にはちょっと脅かすぐらいがいいんだよ」
「そうなの?」
動揺しすぎたのだろう。イルカはまるで子供のように頼りない顔でヤマトを見た。
それだけでデイダラを心底想っていると伝わってきて、なぜか口の中に苦い物が広がる。
「もちろん。なにしろボクは男だからね、イルカ先生より男心には詳しいつもりだよ」
きゅっ。と薄桃色した唇が引き絞られる。携帯を手にしたイルカが心を決めてボタンを押した。
それを隠しカメラで撮影しながら相手の番号表示を待つ。
「あれ?」
しかし、どれだけ待っても携帯の液晶は沈黙したままだ。
「携帯電話、壊れちゃった」
泣きそうな顔で訴えられて、肩透かしを食らったはずなのに少しホッとした自分にヤマトは心底驚いた。
「あと一歩だったんすけどね〜かー惜しい!」
「ヤマト隊長、実際接触してみてどうですか?」
作戦会議。デイダラの犯行は几帳面なほどの周期がある。そろそろ次の犯行があっておかしくない。
「隊長?」
「あ、ああ。なんだい?」
「うみのイルカは、隊長の目から見て共犯だと思いますか」
ボンヤリしていた自分に喝を入れて資料に目を落す。そこにはヤマトがイルカと過ごした時間が詳細に記録されている。
「彼女は、何も知らないな」
「ですよね」
シーが肩を落す。無理もない、デイダラに繋がるのはイルカだけだ。その道が閉ざされたとなると先が見えない。
「だけど、デイダラが接触してくる可能性はまだある。引き続き彼女の監視は続けるよ」
「了解しました」
部下たちが現場に戻ると会議室の人口密度は一気に薄くなる。
誰もいなくなったのを確かめて、ヤマトは大きなため息を一つ吐き出した。
「まいったな」
捜査対象にこんなにも心を乱されるのは初めてのことだ。
同じような任務は何度も経験している。犯罪者を捕らえるためならなんだってやってきた。
嘘で塗り固めた経歴で騙して信用させ情報を引き出すことに罪悪感など抱いたことは今まで一度だってなかった。
情報さえ引き出せば用は無い。その後、相手がどうなろうと関知しない。それが正しいあり方だったはずだ。
なのに、今はデイダラを捕まえることに躊躇する気持ちがある。
イルカに、彼の本当の姿を伝えることが恐ろしい。
「冗談だろ」
言い捨てて、好きでもない酒を喉に流し込んだ。
「随分荒れているな」
「・・・バキ先輩!?」
気配なく横に座った男に言われて、もう酔ったのかと自分の目を疑う。
「久しぶりだな」
「足を洗ったと聞きましたが」
「洗っている。だからお前を後ろから撃ち殺したりしていないだろう」
笑えない冗談だった。狙撃の腕はもちろん、こちらの手の内全てを知り尽くした相手である。
局内でも指折りの優秀な捜査員だった。ある日突然辞職するまでは。
「ボクを撃ち殺す必要がある、と?解釈しても」
低い声で聞いてみる。この世界は毎日が駆け引きだ。今までの仲間が敵に回ることなど珍しくない。
「奢りだ」
「用件を聞いてからでないと迂闊に飲めませんよ」
新しく用意されたグラスを婉曲的に断るが、別に気分を害した様子もなくバキは自分のグラスを手に取った。
「良い警戒心だ」
殺気は微塵もない。けれど、この男が本気になれば殺意など隠すのは簡単なことだと身構える。
「それで、ボクに何か?」
「何を追っている」
「・・・言うと思いますか」
「思いつく限りの拷問をしても無駄だろうな」
「話がそれだけなら失礼します」
カウンターに自分の分の払いを置いて席を立つ。その背中を抑揚のない声が追った。
「一つ忠告がある」
「・・・」
「お前が何を追っているにしろ、それは見当違いだ」
振り返りもせず、バキは前を向いたまま。だから表情が読めない。
「何のことでしょう」
「手を引け」
「それは、ある女性のことだと判断していいんでしょうか」
カラン。と氷のぶつかる音を響かせてバキがグラスを置く。
ヤマトに忠告するためだけに現れた。つまりこちらの行動が筒抜けだということを言いに来たも同然だ。
「・・・彼女は一体何者なんです」
「関わるな」
それだけ言って、バキは姿を暗闇に溶かした。
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