平成11年卒業花村弘幸 同期生
戦績:
2回生時
3回生時
4回生時
現在私は青年海外協力隊で、南米のボリビアという国の警察学校で空手の指導に当たっています。
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学生時代の思い出 私たち同期性は1995年に愛知大学空手道部に入部しました。1年生時は部活を辞めてついでに大学も辞めてしまったらどんなに楽になることだろうかと思っていました。一年生がすべき仕事もたくさんありましたし、OBの先輩方が来て世話をするのもすごく嫌でした。当時私たちはノイローゼ気味になっていました。そんな時、みんなで励まし合って乗り切れたことが今の自分たちの中に生きていると思います。あの時逃げなくて本当に良かったと思っています。 2年生になって仕事も少なくなり、授業にも出席するようになりました。国体2位の鈴木浩暢先輩が卒業して息をついている暇もなく、古財先輩がおりました。就職活動で稽古を休んでくれないものかと同期一同願っていました。稽古の時、かなり痛い思いをしましたが、それによって自分たちが強くなっていったんだと感じています。その当時の4年生も皆強かったです。 やがて幹部になり下級生を指導する立場になりました。私達は悪い伝統を捨て、良い伝統だけを残していこうとしていました。最終的には以前より上下関係がゆるんでしまい、空手部自体軟弱化してしまいました。空手部の先輩というのはやはり憎きものでないといけないと思っています。それによって闘争心が向上し、いつか勝ってやろうという気分が生まれるからです。何もかも厳しい状態の中で稽古をしなければ、身も心も磨かれてはいかないと思っています。 最近、愛知大学空手道部は東海大会でも入賞できないようになってしまいました。最近の学生は精神的には未熟なのに我だけは一人前に強く、自己中心的な人たちが増えています。しかし、学生達に無理な圧力をかけることなく、学生達と調和がとれるソフトなOBの先輩が今の空手部に息を吹き込めば、また必ず復活するだろうと私達は期待しています。 最後に愛知大学空手道部を卒業できて、本当に嬉しく思っています。空手道部で培ってきた色々な事が今の私達の中に生きています。愛知大学空手道部卒業生だという事を誇りに思っています。
ボリビアでの青年海外協力隊員としての活動
私は2年前大学を卒業して、現在国際協力事業団の青年海外協力隊員として南米のボリビアで空手道の指導に当たっています。学生時代から海外で空手でやっていけたらいいと思っていました。私の道場の堀川豊師範と杉浦健吾先輩の薦めで協力隊を受ける事にしました。初めから先進国に行くより、途上国の様子も見て勉強した方が自分のためになるのではないかと思ったからです。そして大学卒業後1年間、堀川師範のもとで練習しました。その期間に合気道も習い、和道流の動きが理解できるようにもなりました。 協力隊に合格し3ヶ月東京の広尾で派遣前訓練を受けました。そこでは途上国の政治・経済などを学び、それ以外の時間はほとんどがスペイン語の授業でした。 2000年4月に日本を出発し、成田から32時間かけてボリビアの首都ラ・パスに到着しました。ここにあるエル・アルト空港というのは世界で一番高いところにある空港として知られ、標高が4,100mもあり酸素は日本の3分の2しかありません。そのため最初は皆高山病にかかり苦しみます。私も例外ではなく、頭痛や目眩がしました。本当にこんな所で空手ができるのだろうかと不安でした。 1ヶ月の現地語学訓練も終わり、いよいよ自分の配属先である警察学校に行く日がきました。その頃はすでに環境にも慣れ、以前よりはずっと動きやすくなっていました。着任後3ヶ月は警察幹部候補の学生達と一緒の寮(全寮制)に住んでいました。今から思えば良くあんな所に住んでいたものだと実感しています。早朝は不規則な時間にラッパの音で目が覚め、一日中騒がしく、部屋の中の物がよく壊れていました。当初越してきた時、一部の窓ガラスが以上に綺麗なのに関心をしていたら、窓ガラスがなかったのには驚きました。シャワーも壊れやすく、気温がマイナスの時に2週間くらい水のシャワーを浴びていました。その時はこんなもんだと自分に言い聞かせ、修行の一つだと思って楽しんで生活していました。ボリビアの衛生面もかなり悪く、食中毒になったとき死ぬんじゃないかと思いました。下痢はしょっちゅうしていました。空手をやる以前に自分の体のコントロールをする事から始めなければいけなかったので大変でした。 空手や護身術の指導していく上で、色々な事を経験しています。考え方や価値観の違いです。例えば待ち合わせ場所で待っていて30分たっても来なかったとします。私たち日本人なら30分も損をしたと考えますが、現地の人々は時間は無限にあるものだと考え損だとは決して考えないようです。空手の稽古ではこの練習は前回やったから今日は違う新しいのを教えてくれといって来たりします。反復するという習慣がないため次々と新しい事に取り組もうとします。ボリビアに来る前は、スペイン語ができなくても空手がしっかりできれば心配ないと言われましたが、やはり言葉ができないと誤解も生まれますし、空手道の精神までは教えられないと私は思います。最初は空手の技術的なことばかり教えていて、ある日突然一人の生徒から「精神的に強くしたい」という事を言われ、その時まで長い間、空手道を武道だという事を忘れていました。よく考えるといくら空手の優れた技術を持っていたとしても、精神が弱かったら話になりません。その時から空手道イコール武道という考えで、指導しながら生徒と一緒に自分も一生懸命練習するようになりました。あとは、こちらののんびりとした国民性が最初はいい加減に見えて仕方がなかったのですが、こちらの生活に慣れてくるにしたがって色々な角度から彼等を理解していくようになりました。今までは日本の常識が自分の中にあったので窮屈で仕方がなかったのですが、「郷に入れば、郷に従え」というように日本とボリビアの習慣を自分の中で調和させていく事で、現地の人達から信頼を得るようになりました。こちらが向こうを理解するのに時間がかかるように、向こうもこちらを理解するのに時間がかかるという事を知らねばなりませんでした。 ボリビアは南米の中で一番貧しい国です。日本とここを比較してみると、日本は全ての面において選択肢が多いということです。物や情報が溢れています。よく日本は「物は豊だが、心は貧しい」といいます。それはそうだとは思いますが、その事を私はこの国にある孤児院に行って意味が分かったような気がします。そこの孤児院は作家の曽野綾子さんが中心となってNGOから寄付を受けています。そのため設備も整っていて物にはあまり困ってない様子です。しかし、親の愛を知らない子供たちの多さには驚きます。途上国では性教育が遅れていて知識もあまりないので、子供が次から次へとできてしまいます。子供の育てる余裕がないという理由で孤児院に捨てていく人々もいるそうです。私が孤児院を訪れた時は、小さな子供たちが「パパ!パパ!」と言って近づいて来ました。その時、お金や物があっても得られないものがあるのだという事を実感しました。このような子供達を私達も協力してなくしていく社会にしていかなければいけないとも思いますが、皆様が善意で募金なさったお金も多くは途上国の政治家などのポケットマネーになっているのも現実です。先進国民や途上国民に限らず、人間の本当の姿を考えさせられる時があります。私は空手道を通して少数の人達からではありますが、意識改革をしていっています。国を発展させるには資金や物品を提供する事ではなく、まず意識からではないかと私は思っています。この国が良くなっていくように私も頑張ってきたいと思います。 最後に愛知大学空手道部で4年間続けたお陰で、多くのすばらしい人々と出会えそしてコミュニケーションがとれるという事を嬉しく思っています。先輩方には心から感謝しております。これからも愛知大学空手道部の発展を願います。
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