昭和41年卒業同期生
合宿の想い出と私の空手道石崎正敏 私が初めて空手道と出会ったのは高校3年の時でした。友人が習う空手道場を尋ね、練習を見て空手の魅力に取り付かれ即入会しました。 当時、地元として空手道場はめずらしく又、練習生も殆ど厳つい大人達ばかりでしたが、比較的かわいがっていただいた事を記憶しております。 愛大に入学し、下宿の先輩の紹介で空手部に入部しました。当時1年生の入部者は豊橋、名古屋で50名程だったと思います。 1年生時の夏期合宿は河口湖畔で行なわ 2年生は妙高高原で合宿が挙行され、ジャリ道を裸足で数キロも走り、足の感覚がなくなりかけたのを憶えております。
3年生のときは御殿場でした。運動場で鉄ゲタをはいてリレーをし、何周も走り、最後に足が上がらなくなった事を記憶しています。 4年生の合宿は山中温泉で、この合宿は最高師範、故、大塚博紀先生をお迎えしました。先生にご指導を仰ぎ、その中で「力を抜いて流れるように、極めはしっかり」と言う意味の言葉は、今でも印象に残っています。 又、ある夜4年生全員が先生の部屋に呼ばれ、いろいろ空手のお話を聞かせていただきました。その中で「私は未だに基本が出来ないよ」と言われ、全員驚いたのを憶えています。このとき初めて空手の奥の深さを知らされました。 苦しくも又、ある時は楽しくもあつた4年間、結局同期生は最後7名程度になって 卒業後、鷲巣先輩と愛工大を指導することになり、監督として5年間和道空手を教えました。その時の生徒達が今、愛工大の師範、コーチとして活躍され、同時に和道会の指導者の一員として頑張っておられます。 又、私事ですが、地元四日市において、昭和58年自宅に道場を開設し、故、岩川新次先輩が興された愛空塾の一員に加えていただき、 最後に愛知大学空手道部の益々の繁栄と、OBの皆様方の発展を祈念して記念史の1ページとさせていただきます。
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