昭和47年卒業
同期生
戦 績
思い出青木孝悦 伝統ある愛知大学空手道部への入部者は、他の体育系のどのクラブよりも多かったが(中には強引な勧誘があったことも否めない)、伝統ゆえにその練習の厳しさも群を抜いており、4年の間に淘汰されていった者も多く、年度毎の卒業生も少数であった。そんな中で、我々の年度は15名と、それまでの年度では一番多い卒業生であった。 無論それは、我々の時代以上に厳しい練習に晒されていた為でもあろうが、今に至っても同期の結束は堅く、後藤敏朗先輩をお迎えして定期的に同期会を開催している。 当時、前年度の真野(賢)先輩の代、東海学生選手権大会春秋団体優勝という実績を往時のように更に伸ばそうと部員一同必死になって稽古に励んだ。そのお陰で我々の代も前年同様春秋連覇を果たし「ホッ」としたことを覚えている。 また苦しい思い出としては、我々が3年の時に、名古屋校舎にて1年生の退部問題に絡んで傷害事件を引き起こし、マスコミにも取り上げられ、諸先輩、同輩、後輩及び関係各位に多大のご迷惑をお掛けしたことは今もって忘れられない。殊に首謀者であった私は責任を痛感している。 時は過ぎ、東京に住む小生にとって、新聞等で母校の記事に懐かしさを覚えながら見入る今日この頃である。
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