昭和57年卒業
「学生時代の思い出」安藤紳一 今でも、仕事やプライベートで豊橋の街を訪れる事がある。そんな時、自然と国道259線を高師ケ原方面へ向かう自分がいる。渥美線は一部地下に潜り、町並みも小綺麗で昔の馴染みの店も殆ど姿を消しているが、懐かしい我が学舎がそびえている。車に乗って大学の廻りを―周してみると、今にも「アイヤー」と言う掛け声が聞こえてきそうだ。確かに2O数年前、そこに私の学生時代があった…。 今でこそ立派な体育館内の如何にも健全な道場だが、当時はプールと厩舎に挟まれ、小高い土塁に外界との交流を遮られていた(?) 我が空手道部道場! (今想うと、かなり陰湿な気もするが) 私自身は、その頃空手ブームだった事もあって大山倍達に憧れており、空手に非常に興味を持っていた。しかし、高校で上下関係の厳しい体育会系クラブに所属していた事もあり、大学では萎縮する事なく身体を鍛えるつもりであった。ところが、何の因果か、先輩方の優しくも巧みな勧誘により(優しかったのは春の合宿までのホンの僅かな期間だった)、愛知大学空手道部にお世話になることになった。私が同期の入部第一号であり、入部を決意した後は先輩方と協力(結託?) して入部者を増やしていったのである。その甲斐あって10名以上の入部者を獲得したが、結局卒業まで苦楽を共にしたのは、「さし歯になったラスカル阿部」「同じクラスで机を並べて中国語を学んだ瓜生」「桑田佳祐もどきの大久保」「ダンシング・オール・ナイトばっかり歌っていた鬼頭」「ダーティーハリー国忠」「軽自動車で塀と格闘した牧野」「空手大好き少年の渡辺」「名古屋校舎で孤軍奮闘していた真野」の9名であった。 当時、川口監督さんを始め、佐藤先輩・磯村先輩等OBの方々が、よく指導にみえていたが今その頃の先輩方の年齢に近くなって感じるのは、よく来て頂けたなあと言う想いである。(当時は戦々恐々として有難迷惑?だと感じていたのかも知れないが…)。空手への情熱・愛知大学への思い入れ・体力気力の維持などなど、今の自分と比較するとただただその高尚さに頭が下がる思いである。 現役時代には芳しい戦績を上げる事ができなかった我々であるが、脈々と続く愛知大学空手道部の―時代を継走したことについては達成感を持っている。愛知大学空手道部員であったこと、素晴らしい仲間・先輩・後輩に出逢えだこと、それが私の財産であり誇りである。 |