私の欧州三十年の回想坂神国昭(昭和42年卒)
私が愛知大学を卒業してから、と言うより空手部を出てからと言った方がふさわしいかと思いますが、早くも34年経ちましたが空手部員として過ごした辛かった日々も今は楽しいお思い出として今も深く心の中に残っております。 昭和42年3月に卒業して、同期の三浦恒君や壁谷弘高君と共に当時空手部のOBの方々が多くおられました名古屋の藤木海運に入社しました。 半年あまり経った頃、当時の愛大空手部の杉浦健五監督から、欧州へ空手の指導に行かないかと云われまして、まだ会社の仕事もまともにできない見習社員みたいなものでしたから、二年位外国へ行って、英語や西洋事情を学ぶのもいいかなと、不謹慎なことかもしれませんが空手指導という本題の方をあまり深く考えず、「はい、行きたいです」と返事をしました。 空手の方は会社の空手部の稽古週3回とそれと会社の寮の庭に巻き藁を備え付けて毎日突いておりましたから、自分は空手部の現役であると思っておりました。年齢がまだ23才前でしたから現役パリパリみたいなものでした。 昭和42年12月4日に日本を発って、5日に英国のロンドンに着きました。英国には当時まだ愛大から手部の師範であった鈴木辰夫先生や、又愛大空手部の先輩である早川明心さん(昭和36年卒業)など日本人指導員が5名ほどおりまして、そこで外国での空手指導の要領を教わり、私の空手指導員としての第一歩を踏む西ドイツへ向かいました。 当時西ドイツには、日大出身の外山豊さんが指導されておりました。外山さんがイタリアの方へ移られましたので、私がその後任として、外山さんより引き継いだ様なわけです。 本格的な指導は昭和48年の1月から始めましたが、今から考えますと、私も当時23才で当然ながら、技術面も精神面も大いに不足していた時ですから、指導も日本の大学式になる様なところがありました。余りきつくすると、生徒が来なくなる恐れがありますから、程々にと結構神経を使ったものでした。 今でもよく覚えていますが、空手指導が終わってから町の空手クラブの代表が、「ミスター・サカガミ 指導料はいくらか?」と聞かれた時、すらすらと「幾ら払ってくれ」と答えられず、こう言う事に日本人は苦手だな。特に若い空手指導部員には、と思ったものでした。 それからドイツ人は体がでかくて、当時の日本人としては並の私の体より小さい男はほとんどいませんでした。しかし体が小さい位のことで負けてたまるかという思いを常に持って指導していましたが、指導そのものが自分の稽古でもあると自分自身に言い聞かせて、実際指導中に生徒の倍位の突き、蹴りをやっていたものでした。そうしているうちに、ホームシックも乗り越えまして、日本を出た時の予定の2年もアッと云う間に過ぎ、種々の事情もありまして、昭和45年の5月に、鈴木先生の勧めもありまして、英国に移ってきました。 私が英国に移った当時、日本人指導員は鈴木先生を始めとして私を含めて7名英国に居ました。その中で、私が2番目に若く、“こりゃ大学の空手部のやり直しかな”と思ったものでした。年齢も25才で実際まだ学生時代の空手部生活から抜けきってないような所がありましたから。当時の鈴木先生のクチグセは、「我々日本人指導員が、現地の生徒に負けてはいかん。我々も気合いを入れて、そのつもりで稽古をせねばならん」と云って毎月の第1土曜日にロンドンに日本人指導員全員集合して、指導員稽古に励んだものでした。 当時私は、第2の都市であるバーミンガムに住んでおりまして、幸いにも愛大の先輩である前述の早川さんと同じ家に2年半ほど下宿しました。 新婚早々の奥さんが、いつも夕食を作ってくださいまして、本当に助かりました。もっともドイツにいた時は、2年半自炊をしていましたので、料理の腕も大分上がった?ものでした。又、稽古指導では、先生であるからと云って、ただイチ、ニッ、サンと号令だけかけているわけでは有りません。私自身も生徒と一緒になって突き蹴り、形も説明しながらも行きますし、又自由組手もしょっちゅう生徒としたものです。 私も頂上を極めた名人達人ではありませんから、たまには生徒から一発貰う事もありました。そんな時先生とは辛いもので、カットする事も、痛いと云う表情もできませんから、腹の中では「この野郎」と思っても表面上では「うん、よかったよ」と正直無理して云ったものでした。只西洋人の生徒が空手の稽古中、日本人生徒と違うところは、解らない事は聞きに来ますし、又技の説明を求められることです。 現在はともかく、私の学生時代の稽古では、何事も「ハイッ」で、先輩に技に関して質問をすることなどと云う事は皆無でした。無論それはそれでいい面も有ったと思います。若い時には、ガムシャラに稽古する事も大切ですから。空手だけではなく、何事に関してもそうですが、日本式が良い。いや、西洋式の方が優れていると比べますが、それぞれ一長一短があると思います。 表題に私の欧州生活30年の回想と書きましたが、今年で欧州生活34年目を迎えます。その間幾多の事がありましたが、それを全て述べていたのでは紙面が幾らあっても足りませんので、この位にいたします。自分が曲がりなりにもここ迄やって来る事ができましたのも、皆様方の御支援の賜物と感謝致します。特に愛大空手部の大先輩で有られる、杉浦師範の御指導、御助言なしには語れません。 最後に愛知大学空手部50年史の発刊に当たり、その編集に御尽力されております関係者各位に、心から感謝申し上げますと共に、敬意を表しまして私の拙文の終わりと致します。
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